■ 殺人未遂の発砲拳銃は、腐敗警官が提供か
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発砲(H9・11・29)から六年、時効まで四年
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その担当者は、多くを語らず、その後でこう言った。
「年内には、必ず爪痕を残す」。
キッパリとした口調だった。
蕩尽された饗応
かねてより司法当局は“讃岐”を狙ってきた。香川県警、行政、香川銀行、そして地元暴力団関係者。上から下までが連綿と連なりながら香川県を壟断してきた勢力を一気に壊滅するためにそれぞれの分野の当局≠ヘ、立ち上がった。
警察庁のさる幹部はいう。
「讃岐の本部(※香川県警本部)には、一部がかなり横着している実態が浮かび上がっている…」。
「一言でいえば暴力団との癒着だ。警察と暴力団は確かに不可分なところがある。讃岐だけでなく暴力団と密接な関係になってしまった警察官がいるところは少なくない。残念な話だがね。こういうなかで、なぜ、讃岐だけが問題なのか? それは、癒着の度合い、それに、癒着している筋というのが警察の主流にあった、ということだよ。そしてこれがもっともよくないのだが、暴力団のために事件を潰し、被害者はそれによって泣き寝入りさせてしまっていることだ。これは直ちに厳罰に処さなければならない事態なのだ」。
警察官が、地元暴力団と寄り添って、饗応の限りが尽くされ、その結果、都合の悪い事件は握りつぶされ、事件の被害者は、生涯溜飲が下がらず煮え湯を飲まされる。これが香川の実態だというならば、文字通り、前時代的県ということが出来よう。
「前時代的、というのは全く持って当を得た表現だな。そう、讃岐の密閉体質はそのまま時代が遡ってしまった感じだね」。
本紙社主、川上は、このおよそ近代的ではない警察と暴力団との歪んだ構図の中における最大の被害者と言っていい。
「まさしく、最大の被害者だね。ただ、ミスターカワカミが全国にも珍しいサムライ≠ニいうことが、彼らにとっては最大の誤算だったかもしれないね(笑)」。
川上が直接被害にあった事件は、大きなものだけでも四件ある。そのうち、自宅への銃撃事件と鉄パイプ襲撃事件は、筆舌に尽くしがたい陰惨な事件であった。 あとちょっと弾の方向がずれていたら、あるいは、あと数ミリ、速攻が大きかったら、川上の命は亡かったと言っても過言ではない。
「だから、このことを私たちが大きな問題点だとしているんだよ。これは立派な殺人未遂だ。未遂になったのは結果論で、既遂になる確率の方が高い未遂だよ。この両件では実は、うち(警察庁)のある吏官が密かに現場に行って検証しているんだ。これは極秘情報だよ。もちろんこのようなことは讃岐の本部には一切伝えていない。一から事件の性質というのを現場で見直したんです。時期? そこまでは言えないよ。しかし、ここで我々はしっかりした感触を得た。ひとつは既遂の可能性が最も高い未遂だということの確証です。それと、もうひとつ、これが大切だが、この両件に関与しているのは下手人の暴力団ばかりではない。身内の恥をさらすようであんまり好ましくないが、この両件では讃岐の有力警察官も実行犯と同レベル以上の関与をしていることが判ったんです」。
事件の共同正犯
驚いてはいけない。 川上を襲ったあの人道無視の暴力沙汰。あれには、暴力団だけでなく、現役警察官それも幹部クラスのものが関与していた!
「最初の銃撃事件。あのときに被害者である川上氏が在宅している時間、そのうえで家族全員が揃っている時間を銃撃した下手人に知らせたのは、他でもない警察官だったんだ」。
市民の生活を常に無事に守らなければいけない立場にある警察官がこともあろうに、暴力団の片棒担ぎをしていた!
「その実態は、すでに捜査済み。いわゆるウラは取っている。被害者である川上氏は危うく命が亡くなるところだったが、その手引きをしていたのが、暴力団ではなく、警察官だったということだ。なぜ、そこまでしなければいけなかったか、お判りですか?
つまり、警察官にしてみれば川上氏の香川銀行や地元暴力団である若林組への鋭い追及が早晩、自分たちの癒着関係にたどり着く、と思っていた。実際、川上氏の追及は軽々幹部と若林組との関係を掴んだではないか。これが怖かったんです。だから、暴力でこの波及を押さえようとした…」。
余りにひどい実態である。
しかし、あの銃撃事件に使われた拳銃は、実は、県警が全くの別件で応酬した、押収品だったのである!
「それともうひとつの事件、鉄パイプ襲撃事件だ。あれにも警察官が重要な位置にいたんだ。ほとんど共犯といってもいい。あの事件の時に下手人が使ったのは盗難車だったが、あれを提供したのが警察官だった。ある中古車をある場所に放置するようにし向けていたんです。
それと、川上氏があの襲撃現場を通るときに、最初に連絡したのが警察の者だったことが判りました」。
こうなると川上氏への襲撃事件は、警察が仕組んだことといっても間違いではないではないか。
「そうです。自分たちの癒着関係が明るみになるのを防ぐために、なりふり構わないことをしているのです。結局それは殺人未遂になっている…」。
再審理を要求する
この殺人未遂という言葉で川上は最高裁まで争った。しかし、現実は、警察庁幹部でさえ、殺人未遂を認知しているのだ。裁判は、この際もう一度審理を再開させなければなるまい。 しかし、それにしても香川県警の余りにひどい実態に開いた口がふさがらない。それもこれも自らの暴力団との癒着関係がばらされるのが怖いからというのだ。
「これは確かに単なる事件の揉み消し以上の罪悪です。この件のウラ取り捜査のために密かに課員を讃岐に走らせたのです。この極秘捜査はようやく結論が見えてきました。長きにわたる極秘捜査でしたが、目処が立ってきたのです。そして、その結論を今年中に出すことになるはずです」。
その日を文字通り、臥薪嘗胆の思いで待っていた。香川の大掃除が始まるのだ。
事件解決の窓口はどこ
香川県警・鶴見刑事部長に被害者である本紙社長が面談を申し込んだところ、赤崎次長から電話で「部長への伝言は私がする、直接会わすことはできない」という返事だった。
すかさず、
「鶴見刑事部長が、綾南署の署長時代、私も協力して事件を解決させたことがある。今回は私が被害者であるから、以前にもまして事件を解決させる自信があるから是非会わせて欲しい」と頼んだが拒否された。
そこで、「部長と会えないのであれば、事件解決のため、県警本部長に直接電話しますよ」
赤崎次長、「どうぞ勝手に」
このような会話があった後も解決どころか、若林組の安西元幹部、市田元組員や一緒にいた女性までも、本紙家族を襲撃した時と同様、覆面をした若林組関係者に鉄パイプで襲撃された。
警察の捜査は、民間の協力があってこそ、初めて解決できることは基本中の基本。
香川県警の鶴見刑事部長が、なぜ重要な情報を持っている被害者と会うのを避けるのか、不可解というより、解決する気がないのだろうか。このような状況が今後も続けば警察に対する不信感は増幅され、検挙率がワースト一位の汚名は返上できない。
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■ 本紙社長宅に四発の銃撃から六年
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警察官に、共犯の疑いが強い
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平成九年十一月二十九日、本紙社長宅への拳銃発砲事件からもう六年がたった。
殺人未遂の時効まで四年、香川県警は若林組をかばい切れるのか。
平成九年の夏、香川銀行大林頭取が指示した井坪建設への不正融資に伴う開発許可状況などの現地調査を実施していた。
その矢先、山口組系中津川組の元田幹部が本紙に接触、「香川銀行の大林頭取の甥から頼まれた、金で四国タイムズの記事を押さえてくれないだろうか…」
本紙が断って一ヵ月後、平成九年十一月二十九日午後十時半、銃弾四発が本紙社長宅に向け発射されたのである。
最初の二発は子供の勉強部屋。続けて居間で家族四人がくつろいでいた所へ二発。
もし、その時、子供が勉強部屋にいたり、家族が台所で洗いものでもしていたら銃弾の軌道が家族を捉えていたのである。幸運にも人身への被弾は免れたものの、一歩間違えば命にも影響があった。
そういう状況であったにもかかわらず、若林組と癒着関係にあった津島利夫警視や横田武警部グループは、この発砲事件を器物損壊、銃刀法違反(発射罪)で扱っていたのみである。
若林組の発砲事件前の状況を探ってみる。
山口組の直参である、若林組組長秘書役・広沢こと黄津一が企画・立案・お膳立てをした。
現地へは、広沢自らが陣頭に立ち、暴走族「走遊会」の川原豪リーダーや若林組の関係者を連れて下見などを念入りに繰り返している。
自宅上の山にも自ら登り、本紙社長宅を見下ろして、「ここから火炎瓶を四,五本も川上宅へ投げつければ、全滅や、…拳銃で殺るなら、入り口に大きな黒い犬が邪魔になる、毒を入れた肉でも喰わして片付けるか…」などと万全の下準備をしていた。この現地状況は、さっそく若林組長にも報告されている。
また、発砲の計画は用意周到に準備された。
公道から犯行現場までは二`ほどもあり、オートバイを使用させようと考えた。しかし、夜には屋島カントリー進入路入り口は、鍵付きチェーンで閉鎖されている。そこで広沢は、大胆にも屋島カントリー従業員に鍵の番号を聞きだしたのである。
拳銃発砲後、若林組関係者に広沢は、「鍵を閉めよった従業員にうまいこと言うて、鍵の番号を聞きだしたら簡単に教えてくれたが、オラぁ、自分でやってみたら鍵が開いたが…」と自慢そうに周囲に吹聴していたことがすでに判明している。
さすがの若林組長も、健全な警察捜査の矛先が自分に向けられるのを警戒し、今まで常用していた御坊町のビジネス企画事務所から、中央通に面した事務所に変わっている。それも、自分が関わった痕跡を残さないように、四人兄弟の末に当たる実弟の石井利昭氏に、平成九年十二月一日、本店高松市鍛冶屋町に有限会社タクト21を設立、事務所を賃貸させた。じつに発砲事件を起こした三日後の周到さである。
県民として救われるのは、若林組に腐敗された警察官は一部であるということだ。
本紙社長宅に発砲したのは若林組の仕業であることは、捜査に携わる健全な警官であれば一目瞭然である。残念なことに警察組織という性格上、担当部署が違えば口出しできないということである。それも暴力担当でも若林組担当の幹部警察官が癒着していたらどうにもならない。その被害者が、本紙川上、近藤秀三郎、安西邦治、市田稔裕らである。
ここにその有限会社タクト21の謄本がある。それによると、平成九年十二月一日、中央通に面した高松市鍛冶屋町七-四に設立、会社解散が平成十四年十月末とある。猜疑心の強かった若林組長が、癒着していた警察官だけでは心もとなく、本紙への発砲を機会に健全な捜査の手が伸びることを恐れて設立し、若林組長の入院、引退にあわせて会社を解散している。
カムフラージュという点では、坂出の鉄塔倒壊と、五色台の鉄塔ボルト外しが気になる。
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■ 徳島の自衛官変死と香川の発砲、鉄パイプ襲撃
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平成十一年十二月、徳島県阿南市の河原で海上自衛官の三笠睦彦(33)さんが変死したのは自殺であると徳島県警は扱った。
その後、遺族の呼びかけに、目撃者二人が当時不審な3人組の男やオートバイを見たと証言。
この事件を取り上げたドキュメント番組を見た国民は三笠さんが殺害されたと強く感じたようだ。
徳島県警は再捜査したが、二人の証言を採用せず、先月十九日に他殺ではないとの見解を発表した。目撃者の二人は「目撃したのは平成十一年十二月に間違いない」と反論している。三笠さんの遺族は「目撃者の証言を捜査に反映してほしい」と、徳島地検に申し入れ書を提出した。
一方香川県では、徳島の自衛官変死より一ヵ月後の平成十二年一月十九日午後八時、屋島カントリーの進入路で本紙家族が若林組の覆面した男に鉄パイプで襲撃され五b幅の坂道を後ろ向きに二百bほど逃げ九死に一生を得た。しかし賄賂を受け取っていた県警の津島警視や横田警部らの計らいで殺人未遂を器物損壊と暴力行為扱いしていた。結局、三年の時効を迎えた今年の一月十九日に、襲撃した車の窃盗容疑で逮捕し、殺人未遂についてはすでに時効が成立しているからという理由をこじつけて、窃盗した車で襲撃したと証言させた。
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■ 真鍋知事の人事は不可解きわまる
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真鍋知事による人事は不可解きわまると決めつけたい。ミスもいいところでないか。
これまでの事例を並べてみよう。
▼本年四月、県立中央病院の田村敬宏・主任内科部長を副院長に昇格させた。この人は、三面に記載してある通り、でたらめな男である。
▼大林一友・香川銀行会長を県選挙管理委員長に任命。しかも、すでに本紙が大林委員長を県選管委員長にふさわしくないと追及している最中ではないか。現在三期目になるから、県民が選んだ候補者は十一年以上も、疑惑だらけの県選管委員長から当選証書を押し頂いたことになる。
県選管委員は、県公安委員、県教育委員と共に、県の最重要人事。知事が議会に提案し、その同意を得て任命する。選挙は民主主義の根幹であるから当選証書の授与者にこだわる。
▼山下賢一・元県環境保険部長といえば、かつて、豊島の産廃不法投棄問題を引き起こした張本人で、住民の陳情を押さえつけて、環境悪化を招いた人物でないか。その人を環境行政に功績があったとして環境大臣に推薦し大臣表彰を受けさせたのである。あきれてものも言えない。
▼増田稔県議を藍綬褒章に推薦し受章させた。
この人も問題が多く、少なくとも受章に価する人物ではない。果たしてなにを基準に人選しているのだろうか、裏金でも提供されているのだろうか。(増田氏が理事長を務めるサヌキ畜産加工組合は、本紙を受け取り拒絶)
▼また、補助金の不正受給などの疑惑が噴出している日本ハムの本社に、県職員を研修のためと称して出向させている。ここでも知事の人事など選択価値基準が問われる。
組織にあって人事は全てであると言っても過言ではない。
知事は県民が納得できる、もっとふさわしい人事に努めるべきでないのか。
知事、県警察官増員を陳情
県は来年度の政府予算編成に対する十六項目の重点要望を発表した。その中に、治安の悪化が著しいのを受け、警察官の増員を新たに求めるという。今年の県内の刑法犯罪件数は九月末で一万六千五百六十六と、前年同期に比べ約三十lも増加した記録であった。それに対し、警察官一人当たりの人口負担は約六百人と全国平均の約五百二十五人を上回っており、警察官の増員を求める声が高い。
本紙は、必要であるがまだ早いと言いたい。
なぜなら、腐敗した警察官の摘出手術がまだ終わってないからだ。腐敗した警察官がそのままで増員すれば、新任の警察官が先輩を見習って腐敗するからである。
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■ 小早川弁護士懲戒請求のその後
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本年八月二十八日、香川県弁護士会に提出した小早川龍司弁護士の懲戒請求について委員会の調査が進んでいるのか、先月十一日、香川県弁護士会綱紀委員会の佐野孝次委員長から、求釈明書が届いた。
本紙がシリーズとして掲載している「香川県警の捜査放棄と冤罪捜査」に、冤罪の方で登場する、近藤秀三郎氏が弁護依頼していたのが小早川龍司弁護士である。
懲戒処分請求の理由は、同弁護士が弁護士として当然果たさねばならない任務を故意に怠って被告に不利益を与えたためで、請求人は、近藤秀三郎氏と四国タイムズの川上道大連名である。
平成十年八月二十七日、近藤氏が香川県警によって冤罪捜査で不正逮捕されてから、もう六年。今ここに、少しづつではあるが、真相の全容が明らかになってきている。 司法制度改革が始り、来年春からロースクール制度もスタートする。
お互い、切磋琢磨しようではないか。
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■ 香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その9)
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警察と若林組長を手玉に取った男の正体
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三つの名前を使い分ける男。
ある時は、暴力団名の広沢津一。 またある時は韓国籍名である黄津一。 そして善良な高松市民と見せかける西野。
日本が世界に誇るトヨタ。
今月二日、国土交通省は国家試験である一級小型自動車整備士技能試験の試験問題五十問中三十八問が事前に漏れていたことを発表した。
試験問題の漏洩を認めたのはトヨタ本社の試験問題作成にかかわる検定専門委員で、これを上司の技術開発室長がディーラーに練習問題として三百社に余る系列会社専用のHPに掲載した。翌三日には、張社長が漏洩は事実であったと認め謝罪した。
さすがに危機管理が行き届いた対応である。
トヨタといえば、香川トヨタでも不祥事では済まされない問題を抱えている。香川経済の健全な発展を願い、香川トヨタが内包している、創立者・灘波清平氏から始まった悪しきしがらみをこの機会に断ち切ってもらいたい。
それは、暴力団若林組・広沢元組長秘書役と香川トヨタ創立者である灘波清平氏の付き合いから始る。しかも、二代目の灘波敬一郎・現会長、三代目・順一社長と今も続いているから事態は深刻である。
広沢元幹部が若林組に籍を置く前に所属していた暴力団憂尚会当時からであったというから、香川トヨタとの腐れ縁は、かなり昔から始まったことになるのではなかろうか。
憂尚会副会長をしていた頃の広沢の主なシノギは、クスリ屋という覚せい剤で、別に、全国をまたにかけていたスリグループ(裏社会では俗名・パンサ)の親玉も若いときからしていたという。であるから、山口組の綱領に沿ったような仁侠道の修行はまったくないのでないか、と言うことである。
その点、若林組二代目篠原組長もお見通しで傍にも寄せ付けないのが実情のようだ。
となれば、なぜ広沢・若林組元幹部と灘波・香川トヨタ初代社長が知り合ったのか。
いろいろ調べているうちに、灘波初代は、根っからの女好きであったから、女性問題にでも因縁をつけられ深みにはまったのではなかろうか、と言うことであった。
それを裏付けるように、広沢元幹部が実質経営していた城東町の風俗事業(俗にトルコ)に灘波初代も裏出資していたというから、なるほどとうなずける。もちろん、香川トヨタのトラブル請負は山口組の代紋に物を言わせ、広沢がしていたのは有名な話である。
竹下元総理の「ほめ殺し」で一躍有名になった日本皇民党の稲本総裁が、生前本紙に漏らしていたから間違いない。広沢元幹部は、恩きせと引き換えに要求することが実に巧みで、持って生まれた能力と言い切る人もいるようだ。
しっかりと恩を売り、しっかりと頂くものは頂く。
このあたりの技に、若林ワ元組長や香川トヨタ初代もコロリと広沢元幹部にしてやられたのではなかろうか。
昭和六十年七月後半、腐れ縁の灘波清平初代が亡くなる四,五日前、広沢元幹部はドサクサにまぎれて番町にあった香川トヨタ所有の土地を名義変更に必要な判を取った様だ。それも灘波初代が意識も朦朧としているときにすばやく済ませたようだ。
この土地は高松市内でも一等地で隣組には高松高裁長官や高松高検検事長などの司法関係の官舎がある。指定暴力団若林組組長秘書役の自宅が、天皇の認証官である高裁長官、高検検事長の一角にあるということは、もし、万が一を考えると香川県警は放置できないことは言うまでもない。本紙への発砲や鉄パイプ襲撃、安西氏や市田元組員らへの襲撃が現実のものとなり、いまだに捜査放棄されていることを考えると、黙っているわけにも行かない。
また、広沢元幹部が吹聴しているように、社会保険への虚偽申請ともなれば香川トヨタは詐欺行為に加担したことになるのでないか。
当時の三井次席検事はこうした
不法滞在・就労などを取り締まることを仕事としている入国管理事務所が、香川県警に打ち合わせに行っても、組織が正常に機能していないという不満や苦情が耳に入るようになってきた。
振り返れば、平成五年、三井次席が高松地検に着任した時、白鳥の談合事件を香川県警に持ち込んだが、取り合わなかったので、仕方なく地検に告発したところへ三井氏が次席で就任したのである。
三井氏は捜査に真剣に取り組み、中小地検の独自捜査という分野を開拓したのである。
警察の応援は一切求めず、本紙の情報を元に独自に捜査を展開したのである。
特捜部は東京地検、大阪、名古屋にしかなかった。
この時に三井氏の努力で高松地検に特別刑事部を新たに設置したのである。
白鳥事件の容疑者はすべて高松刑務所に拘留されたのである。他県の中小地検から応援を求め、県警には一切関知させずに捜査をやってのけたのである。
平成六年の初頭、新年会の酒席で当時の香川県警本部の神谷刑事部長が、三本松高校の同級生であった白鳥町議会の梁木議長に、「談合事件で白鳥町の業者や町職員が逮捕された仕返しは、かならず取ってやる。四国タイムズの川上や警察に出入りしている親父も香川県警が逮捕してやる…みとれよ」と漏らしたことからも、よっぽど歯がゆかったのだろう。
しかし、振り返ってよく考えてみれば、神谷氏と梁木氏が三本松高校の同級生であったから川上を逮捕する、と言うことではなく、香川県警が香川銀行や若林組からすでに汚染されていたからではなかろうか。
平成六年の秋、香川県警が右翼の石川を別の件で逮捕したことから、これはチャンスとばかり本紙川上を逮捕するべき冤罪捜査を展開していたのである。
なぜ逮捕を免れたのかと言えば、県警の健全な警察幹部が「あんた丸亀署管内でなにかやらかしたの…」という一言で、本紙川上がすぐさま電話で丸亀署綾署長に、
「何か私に聞くことがあるのですか、あれば呼んでください、なんでも説明しますよ」と、一本の電話によって冤罪捜査の仕掛けは崩壊した。
釈放された石川氏に、取調べ状況を尋ねたところ、「自分の取調べは済んでいるのに、夕方になったら留置場から呼び出され、四国タイムズの川上を逮捕するのに協力して欲しい、一役買ってくれないかと迫られて困った」と話してくれた。
また、当時を回顧して丸亀署元署長の綾氏が、「川上さん、あの時は本気であんたを逮捕するつもりで捜査を進めていた…」と本紙川上に述懐してくれた。
これらのことから推測して、本紙川上の対応が甘かったら、近藤氏と同じように冤罪で逮捕されていたことは間違いない。
しかも最近、あの三井環氏が本紙に当時(平成六年)のことを打ち明けた。
「私が高松地検次席の時、香川県警があんたの逮捕令状を打診に来たが、拒否した。」
本紙の場合、冤罪捜査も捜査放棄も経験したことになる。冤罪逮捕は失敗、捜査放棄は成功したかに見えるが果たして時効まで発砲や襲撃犯を逃がせるかどうか、日本の健全な捜査機関はそうは甘くないのである。
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■ 田村・県立中央病院副院長の実像
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若林組長保釈に虚偽の診断書
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平成四年七月末から八月にかけて起こった事件。ゴルフ場用地を巡って、若林逮捕の情報が一週間前から漏れ、組長は中央病院へ緊急入院した。高松北署へ任意出頭しそのまま逮捕された。この時、若林組長の取調べを担当したのが横田武警部補である。
さっそく逮捕されたその日のうちに、田村・内科主任部長は若林組長を釈放させるため高松北署の留置場に出向いた。そして筋書き通り、「医療設備が整った中央病院へ明日の朝一番によこしてください、そうしなければ命の補償はできませんよ…」など言って帰ったのである。
すべて順調にことが進んだ。
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田村内科主任部長が作成した診断書には、
『余命数ヶ月であるから、警察の取調べには耐えられる状況ではない』という虚偽の内容であったことは疑う余地がない。
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その当時を思い出した警察幹部が、「どうもおかしいと思った。片肺を手術して、肺機能が十分でないから半年ぐらいで死亡するというような内容だったと思う。何が半年や、十年も生きとる。警察がだまされた…」と打明けた。
この一連の、若林組長逮捕から、保釈獲得までのシナリオは広沢が書いたのでないかと言い切る人が何人も現れてきた。
当時の広沢は若林組から破門されていた。組復帰を望んだ広沢は組長を警察に売って逮捕させ、広沢の協力によって組長の保釈を勝ちとる。組長は広沢が警察を思い通り操れるし、中央病院田村内科主任部長を意のままに動かせる広沢がどうしても組長には必要であると思い込ませ恩をきせて若林組に復帰する作戦ということだ。広沢の狙いは成功した。若林組の系列組長が反対する中、若林組長に取り入ることで復帰したのである。それも側近中の側近、なんと組長秘書役という肩書きではないか。しかし、広沢の組復帰が若林組長の命取りになるという組関係者の予感は見事に的中した。
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■ 裁量権逸脱に返還命令
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滋賀県知事と高松市長
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滋賀県草津市の下水道処理施設周辺の住民に対して、迷惑料を払い続けているのは不当な公金支出だとして、住民が国松知事に約一億三千四百万円の返還を求めていた。
その批判の判決が、先月十日、大津地裁であり「公金支出の必要性について慎重に吟味せず、過失があった」として約二千四百万円を県に返還せよ、と国松知事に命じた。
一方、香川県高松市においても、同じような問題を抱えているので今後の参考のため、本紙三月号を振り返ってみよう。
漁業補償の五億五千万円の賠償判決は妥当
三月一日付の全国紙には
「漁業補償、増田高松市長に五億五千万円支払いの判決」と見出しして高松市が平成九年までに漁協に支払った漁業補償費五億五千万円を、高松高裁は、市長が裁量権を逸脱した「違法支出」と認定し、増田市長に同額の賠償を命じる判決があったと報じた。
これには驚いた県民も多かっただろう。
ところが、これにはその前がある。
平成九年一月号の本紙記事を引用しながら、その経過をふり返ってみよう。
中略
平成八年になって、ようやく、高松市が食肉センター(と殺場)を新設した。
この食肉センターから出る排水がノリ養殖の支障になると補償交渉が始まったのが今回の訴訟事件の発端。
まず、高松市が、どうして巨額の漁業補償を決めたかについて、経緯を見てみよう。
漁協の幹部が集まって、補償金額をいくらにするかについて話し合ったとき、
「五千万円くらいでないのか」という漁協幹部の話に、
幹部と友達であった茜町の新英工業の鈴木社長が、
「言うただけは、どうせ通らんのやから高く言うてみい、最終的には五千万円くらいに落ち着くのとちがうか」
「そんなら、五億五千万円にしてみようか」
と、こういう会話があったという。
後日、「言うことは言うてみるもんやね、すんなり通ってしもた」
と、本紙社長は関係者から聞いた、しかも、税金は支払わないという条件付である。
この金額を高松市側は、たいして反論もせず、簡単に受け入れたという。
増田市長が選挙目当ての人気取りのために受け入れたとか。
おかしい、市側があまりにも弱すぎる。公金を支払うのであるから、ちゃんと調査し、適正な金額を支払うという責任があるのでないのか。
これを、「市民オンブズ香川」が見つけて、すでに支払われた五億五千万円の補償金を増田市長に求めて提訴したのがコトの始まりである。
------これは本紙の九ヵ月前の記事である。市民の負託に応える行政の判断は、情報をいかに収集活用するかである。絵画の問題も、同じである。
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■ 元若林組の市田組員から脅し
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今年六月十二日、日赤病院に安西氏を見舞ったとき、偶然にも初めて市田に会った。
「あんたに言っとく、今度若林組のことを書いたら、家族までやられる…これだけは言っとく」と、酒のにおいをぷんぷんさせながら、本紙川上に言った。
暴力団や捜査関係者の話によると、市田元組員は六月四日に若林組関係者から安西氏が鉄パイプで襲撃された後、安西氏や裏社会の関係者に、「オジキの仇は必ずこの俺が討つ、森のタマは必ず取る」と豪語していたという。
ところが、市田元組員が若林組関係者から鉄パイプで、十月二十日襲撃される数日前、
「指を詰めますけん、若林組に復帰させてくれんですか」
と若林組若頭の森幹部に電話で懇願していたという。
裏社会に詳しい人の話によると、市田は酒を飲むと気が大きくなってベラベラ秘密のことも喋ってしまう、そのため二人組の覆面した若林組関係者に口封じのため襲われたのだという。そう言えば、襲撃された直後、市田元組員は若林組の森が俺を襲撃させたことは間違いない、高松地検に告訴したとき、洗いざらい検事に話をする、と言っていたようだ。
ところが入院先の県立中央病院は若林組長と副院長である田村氏が密接な関係であったことを思い出し、怯えに脅えて逃げ出すように退院したようだ。
それを裏付けるように
十一月号の市田襲撃事件を掲載した本紙を読んだという市田と名乗る女性から抗議の電話があった。
「なぜ書いたのか」
「報道は書くのが仕事で事実を書くのが使命である」
「書かれる市田の人権はどうなるんですか」
本紙は、「表に出して裁判でもしてください」と言って切った。
その直後、女性に電話をかけさせた市田元組員は「川上のタマ(命)をとったるんや」と暴力団仲間に電話をかけまくったという。
翌日の十時十二分、市田元組員本人から電話があった。
本紙川上は、「川上のタマをとるという話はどうなったのか、若林組の森のタマをとる、安西のオジキの仇は必ずこの俺がとるという話はどうなったのか、ヤクザならヤクザらしくしたらどうなんだ」と言ったところ
市田の返事は、「僕、ヤクザと違う…」
「ヤクザと違うのなら、襲撃された被害者として、国民の義務として犯人を告訴したらどうなんだ、警察は若林の毒饅頭を喰らっているから告訴先は、検察にすべきである」
と言って一方的にこちらから電話を切った。
ここでひとつ若林組の関係者に言わせてもらいたい。
市田元組員に、若林組に復帰したければ川上のタマ(命)をとって来い、とは絶対に言ってはならない。
というのも渡辺五代目への使用者責任の提訴の数が、
@鉄パイプ襲撃(若林組の川井、西岡、木村)認めた。
A拳銃発砲(若林組関係者)
B市田元組員の襲撃(若林組の関係者)
と三つになり、山口組本家に迷惑がかかるからである。
本紙は若林組を相手にどうこう言うことは微塵にも考えていない。ただここに至って、本紙社長家族に迷惑をかけたケジメだけはきちんと付けなければならない。
文章を書き始めたら終止符がいる。
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■ 平井代議士の厚顔無恥ぶり
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豊島産廃の国予算、ルーツは本紙
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今回、四国新聞、西日本放送組織あげての選挙運動に変化があった。民主党公認の小川淳也氏が出馬したからである。
今度は平成十二年のように違反できないから、そのつもりで選挙運動を進めるように。隠語のような指示である。
公示の翌日、海上タクシーで豊島に乗りつけ、第一声を上げた。
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「豊島の予算をつけたのはわが自民党の橋本総理である。
くれぐれも忘れないように、予算をつけた自民党公認の平井卓也に一票を」
という意味のことを訴えたと言う。
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このようなことを、他人のふんどしで相撲をとる、というのか、なんと言うのだろう。
というのは、豊島産廃の予算を付けたきっかけは本紙記事だからである。
また、平成十年の国政選挙は小選挙区になってはじめての衆議院国政選挙であった。
その時の自民党県連会長は父親の平井卓志である。ところが、息子の卓也氏を当選させるために自民党を捨て、新進党に鞍替えをした。もちろん、平井卓志氏は自民党を除名になった。
なぜか? 父親の卓志氏が新進党に籍を付けたのも、選挙が小選挙区制になるのを見越して、自民党籍であれば息子が出馬できないから新進党に鞍替えしたのである。結局、代議士になれるのならどこから出てもいいという訳だ。
本紙は藤本孝雄氏の批判記事を出しており、平成八年十月号・見出しで「藤本代議士の責任を問う」と掲載。
藤本氏がたまらず橋本総理に泣きついた。その日のうちに「国が豊島に予算を付ける」と、各新聞社にFAXを送りつけた。それを読売新聞が、記事にしたのである。
藤本氏が選挙を優位に進めるため、橋本総理との蜜月ぶりを売り込んだのだ。
後日、厚生省の仁井・産廃対策室長から話を聞いた。
「突然、橋本総理が予算を付けろと。今まで、十回以上の公害調停では一度も議題に上っていない。というのも法律上、国の予算を個別の案件に直接付けるという仕組みにはなっていない。しかし総理が頭越しに決めたので、整合性を持たせるのに苦労した」と打ち明けてくれた。
このあたりの経緯を知った上で、豊島住民の汗した努力、仲坊氏の熱心な取り組み、藤本氏の選挙活動、橋本総理の藤本氏を当選させるための戦略、を見れば真相が分かる。
本紙が、国の予算獲得のルーツであるというのは、このあたりである。
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■ 追跡車が目前で損壊
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暴力の係長、虚偽報告
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岡山県警水島署員二人が、自分達がパトカーで追っていた車が事故を起こしたことを上司に報告せず、署の調査に対して「現場を通っていない」と虚偽の報告をしていたことが二十日、分かった。
一方、香川県警高松北署井上暴力係長ら二人が、自分達が警察ワゴン車で警備していた時、目前で若林組市田元組員の車を同組川井幹部が木刀で叩いて損壊させたのを発見したが放置し、警察ワゴン車も損壊させられたが上司に報告せず、虚偽の言い訳をしていたことが四国タイムズに掲載された。
警察官増員の予算獲得より先にする事があるのではないか。
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