平成十三年十一月三十日、川上・本紙社長は憤然として、検察官適格審査会(法務省内)に対し、原田検事総長の罷免請求書を突きつけた。
【検察官適格審査会 殿 請求人 (株)四国タイムズ社 代表 川上道大
罷免請求の理由
検察官はすべての犯罪について捜査することができ不偏不党の立場で身内の犯罪においても真実を追究する権限と責務を国民から負託されている。今まで検察はこの使命を充分果たしてきた。検察の信用を失墜する場合でも黒は黒として白は白として真実追求の責務がある。
これに違背する場合には検事総長といえども検察官として資質はなく罷免されることとなろう。法務当局は加納大阪地検検事正を検事長への上申を内閣にしたが同人に対する虚偽公文書作成、同行使、詐偽罪(裏金づくり)による刑事告発が原因で内閣から再考をうながされて予定の内示日にも内示ができず苦慮した。十月二十日には都内麹町の後藤田正晴事務所を原田検事総長、松尾事務次官、古田刑事局長の検察首脳三名が訪ね、後藤田氏に加納の検事長人事の承認が得られないと検察が崩壊しかねないなどと泣きを入れ、後藤田氏は、小泉総理に連絡し、翌二十一日、同事務所において、小泉総理と原田検事総長との話し合いの結果、加納氏の検事長人事が事実上承認され十一月一日福岡高検検事長への内示がなされ、十一月十三日内閣で正式承認、十五日辞令、そして午後には天皇の認証ということになった。原田検事総長は裏金づくりは検察内部では公知の事実であるのに加納氏の検事長承認のためにはこれを白とする他はなく、捜査を担当する大阪高検、高松高検へ指示して「不起訴・嫌疑なし」との裁定をさせた。
加納氏の裏金づくりが公表されれば検察首脳の過去の裏金づくりが発覚する恐れがあるため、捜査指揮権を乱用してまで白としたものである。
多数の虚偽調書や報告書が作成されているであろう。原田検事総長のこの行動は明らかに検察官としての資質はなく罷免されなければならない。
原田検事総長が後藤田氏を介して小泉総理に加納氏の人事に関して申し入れをすること事態、検察の自殺行為であり、今後政界汚職の摘発は困難となろう。さらに捜査指揮権を乱用して黒を白としたものでこれ以上の論を待たない。以上の次第で原田検事総長は検察官として資質はなく検察庁法第二十三条一項の「…その他の事由に因りその職務を執るに適しないとき」に該当し検察官適格審査会の議決及び法務大臣の勧告を経て罷免されることを請求する。
ただちに検察官適格審査会は職権にて調査されたい。】罷免請求書を受け取ったのは黒沢・人事係長と荒井氏で、川上社長は中央省庁における最後の聖域は、外務省ではなく法務省の検察である、すみやかに「検察の原点、在るべき姿」を取り戻してほしいと訴えた。しかし、平成十四年三月十三日審査会から、議決には付せられないという回答があった。
------下記 時経表の説明------
平成十三年五月七日には、本紙から告発された加納氏は森山法務大臣に高松高検検事長人事を拒否されている。非常に重要なのはこの後、十月十九日金曜日、加納氏は大阪地検検事正室を抜け出し隠密裏に新幹線で検察首脳と打ち合わせのため上京している。前回同様、森山法務大臣が加納氏の福岡高検検事長人事を承諾しない、すなわち、正規の関所を通れないので、しかたなく「けもの道」を通って検事長になる方法を選んだ。「けもの道」とは、小泉総理に原田検事総長が直談判するということである。都合よく、古田刑事局長は後藤田氏が法務大臣のときの秘書官であった。
十月二十日土曜日、原田検事総長、松尾事務次官、古田刑事局長の三人が後藤田事務所を訪ねている。十月二十一日日曜日、後藤田事務所で原田検事総長が小泉総理に加納氏の検事長承認を承諾して欲しいと泣きつき、加納氏が告発されている事件処理を「嫌疑なしの不起訴」と裁定することを決める。十一月一日、加納氏を福岡高検検事長に内示。しかし頭隠して尻隠さずか、告発はまだ未処理のままである。
十一月七日、大阪高検が「嫌疑なし不起訴」の処分。しかし一度も告発人の呼び出しはなく、調書はいまだに作成されていない。十一月十一日、日中文化会館で後藤田正晴氏の米寿祝賀パーティーがあり、原田検事総長、松尾事務次官、古田刑事局長がお祝いと称して加納福岡高検検事長実現の件で、お礼に行っている。また一方、高松高検では、加納被疑者についての初の事情聴取。十一月十三日、高松高検が加納被疑者を「嫌疑なし不起訴」処分。同日、小泉内閣が福岡高検検事長に加納駿亮氏を承認。十一月十五日、加納駿亮氏が天皇の認証を得て福岡高検検事長に就任。十二月十三日、東條・大阪高検検事長が三井公安部長の部屋を訪ね、加納駿亮福岡高検検事長が三井部長に対し人事や給与面で冷遇したことに理解を示し「関西勢力は問題がある、ハラが小さいね……しばらく外の景色を眺めていてくれ、悪いようにはしない・」と発言したようだ。
また、土肥元検事総長や逢坂元検事長もここ一ヵ月に三度も公安部長室を訪ねたり、酒席に誘っている。平成十四年一月、三井部長を恐喝しようとして失敗した暴力団渡真利が腹いせに、四国タイムズの情報源は三井部長だと人を介して検察に投書。二月頃から、渡真利の投書をこれ幸いに悪用し、三井口封じのため、逮捕に向け捜査を始動。四月二十日、原田検事総長は二十二日午後「ザ・スクープ」収録予定を察知し、三井逮捕の捜査指揮権を発動。四月二十二日午前、三井逮捕。以上の経過事実を知った上で、今回の三井逮捕をひも解けば真相が見えてくる。本紙は再び、原田検事総長の罷免を求める。
---------三井・大阪高検公安部長逮捕までの経緯---------
H13年 3月29日 加納・高知地検検事正当時の詐欺容疑を被疑者として最高検察庁に
告発。
H13年 5月 7日 高松高検検事長に内定していた加納氏が森山法務大臣から拒否される
H13年 7月10日 渡真利こと光武と、三井、川上がクラブシャガールで飲む。本紙川上、
日 航ホテルで宿泊。
H13年10月19日 加納大阪地検検事正が新幹線で隠密に上京
H13年10月20日 麹町の後藤田事務所に、原田検事総長、松尾事務次官、古田刑事
局 長が訪問。
H13年10月21日 麹町の後藤田事務所で、原田検事総長が小泉総理に加納福岡高
検 検事長承認を依頼。
H13年10月22日 加納大阪地検検事正が正式に上京。
H13年10月30、31日 東京で全国高検検事長会議。
H13年11月上旬 三井部長、渡真利から恐喝を受けるが未遂。
H13年11月 7日 大阪高検が加納被疑者を「嫌疑なしの不起訴」にする。
H13年11月11日 日中文化会館で後藤田正晴・米寿祝賀パーティー。原田検事総長、
松尾事務次官、古田刑事局長が出席。
H13年11月13日 高松高検が加納被疑者を「嫌疑なしの不起訴」にする。小泉内閣が
加納駿亮氏を福岡高検検事長に承認
H13年11月15日 加納駿亮氏が天皇の認証を得て福岡高検検事長に就任
H13年11月30日 本紙川上が原田検事総長の罷免請求を検察官適格審査会に提出。
H14年 1月・・ 三井部長を恐喝しようとして失敗した暴力団渡真利が、腹いせに「四国タ
イムズの情報源は三井公安部長だ」と人を介して検察に投書
H14年 2月・・ 大阪地検特捜部が、暴力団渡真利を利用して三井逮捕を画策。
H14年 4月18日 本紙川上が神戸灘区の三井宅に宿泊。
H14年 4月20日 法務省三田分室「料亭かつら」で検察首脳が謀議、原田検事総長が
三井逮捕を指示。
H14年 4月22日 大阪地検特捜部が三井大阪高検公安部長を逮捕。
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