平成九年十一月二十九日、本紙社長宅家族に向け、四発の銃弾が発射された。この時に捜査を指揮したのが高松北署津島利夫刑事二課長で事件扱いは器物損壊、銃刀法違反(発射罪)、発射した若林組関係者をかばって、時効のできるだけ少ない罪名扱いしている。翌、十年と十一年は本紙社長に暴力行為を行ったとして若林組の幹部、安西氏と
広沢・若林組組長秘書役を、気は進まないが仕方なく逮捕している。この広沢逮捕の年は四月に総選挙があり、今回の襲撃事件解決に繋がる重要な記事が四国タイムズに掲載しているので紹介したい。
池田県議の物騒きわまる言動暴力団そこのけの正体を見せたのか
四月の県議選挙に立候補する県議たちの水面下の動きが、だんだんと、激しさを加えてきた。・・・・・・・
●そんな中にあって、お正月に池田県議を訪ねた人たちが「四国タイムズをどうするのか。このままに放っておくのか」と詰めよったところ、「もう、四国タイムズが出ることはない。その証拠に一月号も来ていないではないか。実は、四国タイムズの川上に、こんど、おれのことを悪く書いて出したら、ぶち殺してやるとおどしてあるから出すことはあるまい」・・・
●地元のお年寄りの話によると、若い頃には「若い者に十万円でも渡したら、俺に楯突くヤツの始末をつけてくる」などと言いふらしていたらしい。つまり。池田県議に反対する者は殺してしまうということか。・・・・・・
●池田県議は「警察官を飼っているようなものだ」また「やくざも飼っているから、おれの自由になる」・・・
●なお、池田県議の子どもが経営するブルージャパン(産廃処理業)は、暴力団の企業舎弟といわれ、暴力団に対して多額の献金を・・・
以上の内容をすでに、五年前に掲載している。我ながらよくここまで書いたなー、というのが今の率直な気持ちである。というのも、その後、掲載内容に沿って展開しているからである。
平成十二年一月一九日夜八時半ごろ、本紙社長家族が同乗の車に、山中で、今回、安西氏が目出し帽で覆面した男に鉄パイプで襲撃されたと同じ若林組関係者に襲撃されたのである。
大川発砲事件は、なぜ、起こったのか池田県議と熊谷組の癒着は長い
●・・・・池田県議は、支持者の一人に、「おれは、警察官を飼っているようなものだ。川上あたりはどうにでもなる。また、チンピラにカネを渡したら、川上も始末してくれる」。・・・・・
●現実に、ブルージャパンを最終処分の申請をするときには、現職の大久保という警察官が、地元関係者の同意のハンを集めに回ったと聞いている。・・・・
●当時の冨田文男大川町議長は、富田組の実質経営者であったので、下請けを富田組に決めてしまった。
その後、ブルージャパンの池田社長が、坂出市内に本部をおく指定暴力団・勝仁連合の東條会長になぜか、五百万円を渡したのでないか。
東條会長は、そのうちの二百五十万円を冨田社長宅に発砲した実行犯の横尾容疑者に二百万円、運転した宿野容疑者に五十万円を渡したらしい。東條会長は、発砲事件の犯人が発覚し、横尾容疑者が逮捕、起訴され自分にも逮捕が及ぶ直前、自殺して消えてしまった。
なぜ、当時の記事をあえて掲載したかといえば、殺人依頼の直接の動機がこの記事にあったからである。
この記事を読んだ池田元県議は、当時の若林ワ組長に次のような催促をしている。
池田「川上はこたえとらんが、殺る、殺る言って・・・どうなっているのか」
若林「ちょっと待ってくれ、今、殺ったら、ウチが殺ったことが(当局に)バレバレや」
池田「そっちがせんのやったら、よその組に頼む・・・」
若林「必ず殺るからちょっと待っといてくれ」
この池田元県議が、若林ワ組長に催促した後すぐの、平成十二年一月十九日、本紙社長家族が同乗の車に鉄パイプ襲撃を敢行している。
当時の捜査責任者はやはり津島利夫氏で、肩書きは香川県警本部捜査二課次長であった。
この時の事件扱いの罪名は、なんと、時効三年の「器物損壊と暴力行為」であった。
本紙に対して暴力団から、拳銃と鉄パイプで大方命を失うところであったからには、真犯人を逮捕して香川県の改革に役立ててもらいたいものである。今後の推移を見守りたい。
千載一遇の機会を失う
二カ月前の六月四日夜、元若林組舎弟で日本士道会会長の安西邦治氏が、五人ぐらいの若林組関係者に襲われた。目出し帽で覆面した三人の男が鉄パイプで襲撃し、残りは見届け人と、すぐ逃げ出せるように車で待機していた者がいたことになる。目撃者の話によれば、逃げた車はランドクルーザー・プラグと白っぽいセダンで、ランドクルーザーは川井幹部の所有車という話もある。
五日、高松北署の井上係長と警備係長の車二台が、前日に起きた安西襲撃事件の犯人たちを警備していた。そこえ、今回の襲撃事件の原因である若林組を破門になったT氏の車を追いかけて、川井幹部が木刀で逃げるTの車を叩く(現行犯)現場を一部始終、両係長は目の前で目撃した。なにを思ったのか、若林組川井幹部は、高松北署暴対課係長と警備課係長の車のうち、高松北署暴対課井上係長の車を木刀で叩き、警察の車が損傷した。井上係長は几帳面で、翌日には暴力団川井幹部をかばって、車の修理をしてバレないようにした。
はたしてこのような場合、破損した公用車は、器物損壊の証拠として、事件が解決するまではそのままの姿で保存するべきではないのか。修理費は、公費でもなく、井上係長のポケットマネーでもなく、木刀で公用車を破損(凹ます)した川井幹部に請求する筋ではないのか。
他県の対応と比較してみる。今月一日、茨城県のコンビニ駐車場から、男が盗難トラックで約二十`逃走。松井石岡署長ら警察官三人が拳銃計十発を発砲し、約一時間半後、公務執行妨害の現行犯で無職飯村賢二容疑者を逮捕した。警察官二人が負傷しており、傷害、窃盗容疑でも追及する。茨城県警監察官室は「現場の状況から、発砲は適正な職務執行だった」という。
二日、大阪府茨木市の公園で、茨木署の巡査部長が石で殴りかかってきた男に拳銃を一発発砲し、弾が男の右手に当たり約二カ月の重傷を負わせた。巡査部長にけがはなく、公務執行妨害で男を逮捕した。男は「拳銃を奪って強盗しようと思った」と供述している。飯田副署長は「生命の危険を感じて警告のために発砲しており、適正な使用だった」。
同じ日本国で香川県警の対応は反対ではないのか。被害者より、事件を起こした暴力団若林組関係者の方をかばう、それも、同じ暴力団でも親和会などは厳しく追及する。平成六、七年ころから、四国タイムズは香川県警に対して若林組関係者の犯罪と思われる容疑を何度となく、告訴、告発してきた。しかし、香川県警の幹部曰く、
「香川県の暴力団を取り締まるのに、親和会と若林組とのバランスを考えないかんから、四国タイムズの告発もどうも力が入らん。ところで、あんたも、家族のことを考えて掲載せないかん」
と、警察が四国タイムズに、若林組を怒らせるから、右翼の街宣車による攻撃、拳銃発砲、鉄パイプ襲撃などがおきると、案に、若林組側に立った発言を繰り返していたことになる。
冤罪捜査の被害者に、朗報
天が手をさしのべてくれたのか。
七月三十日、本紙三面で「香川県警の捜査放棄と冤罪捜査」シリーズに登場する真部組の真部廣司氏が、建設業協同組合連合会の今治会長と共に事務所を訪ねてくれた。
経緯は、平成八年、近藤秀三郎氏から恐喝された被害者の
真部氏が香川県警の冤罪捜査に協力しているとして本紙が連続して(その4)まで追及してきた。
本紙の紙面方針は「罪を憎んで人を憎まず」である。
そもそも、本紙社長と真部廣司氏の付き合いは、県会議長まで務めた真部善美氏の紹介で、友好関係は七,八年ごろから始まっていた。
しかし、十二年に真部氏が逮捕される、前と後に今治会長と三人で、本紙事務所であったのを最後に交流が途切れていた。連続して冤罪捜査の悪役の真部氏を批判する記事を、今治会長が見て心配し、真部氏を訪ねた。しかし、真部氏が留守であったので奥さんに、今治会長が逮捕されたときの自己体験談を先輩として話したようだ。それに痛く感激した奥さんが真部氏に今治さんと会うように説得し、本紙川上と今治、真部の顔合わせが久しぶりに実現した。
本紙はあくまで冤罪は許せない、事実だけを思い出して、警察からの呪縛なしで真実を話して欲しいと訴えた。
真部氏は逮捕された後は自分でも性格が変わり、だれとも話したくない状態になっていたことを素直に本紙に話してくれた。
近藤被告人の弁護人と真部氏が初顔会わせ
この事件は、そもそも平成八年七月十日の朝早く、過去に藤成組関係者であった尾崎が、真部組の競合相手の大政建設高木社長夫人から、大政建設が本来取る工事の談合を真部組が譲ってくれないと愚痴ったのをたまたま聞いた。
そこで、尾崎は、単純に真部を脅せば、高木夫人の機嫌を取れ、高木の方から小遣いが出るぐらいの簡単な気持ちで、近藤氏に内緒で目川を連れて真部組に行ったのが真相のようだ。このことは同月三十日に、真部氏は警察官の篠原邦雄氏に捜査状況報告書を取られたが、警察と検察との協議の上、事件にならないと没にされた。ここで話が、複雑になるが、二年後のために、但し書きをしておかなければならない。
真部氏は土木建設業の真部組と、生コン業の多和生コンを兼務経営している。七月十日の午前中に尾崎が来たのは真部組の件、同じ七月十日の夕方に富田宅で起きた出来事は多和生コンの件であることを明確に区別しなければ、冤罪の餌食になる。
真部氏が冨田氏にカネを届けたのは、七月十日から四日後で、生コン業の問題を近藤氏に依頼した金であることは間違いない。
次号に続く
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