検察史上最悪の汚点を残した原田検事総長が任期途中で急遽退任した。三井口封じ逮捕後、三井氏のことを「想像を絶する…(悪徳検事)」と言ってのけた総長、その「想像を絶する…」とはそのまま自らの仕業に対する言葉であったのだ。
四月二十七日、三井事件が、いままで担当していた裁判長から新しく宮崎英一裁判長に代わった。流れも変わった。
次々、渡真利の証言が覆されていくではないか。
先月十一日、原田検事総長にとっては最悪の出来事が起こったのである。
前裁判長が、本紙川上を証人不採用にしていたのを、新しく就任した宮崎英一裁判長が、一変して採用したからである。
三井弁護団が次回の証人に本紙川上を申し出たとき、検察側は徹底して抵抗したと聞く。四日後の六月十五日、原田氏は検事総長を退任した。
なぜそれほどまでに原田検事総長は本紙川上が証人採用されることを恐れたのであろうか。
大阪地裁、本紙川上の証言前の出来事
大阪高検元公安部長の三井氏が平成十四年四月二十二日、検察の調活裏金作り問題を現職のままマスコミに出て告発する寸前に口封じ逮捕された。
容疑は電磁的公正証書原本不実記載、不実記録電磁的公正証書原本供用、詐欺、公務員職権濫用であった。この罪名では身内をかばうはずの検察が逮捕するには不自然であった。そこで再逮捕の容疑に悪用したのが、渡真利からの収賄罪である。
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検察のシナリオは、平成十三年七月十日、詐欺師の渡真利が三井氏を大阪のクラブシャガールで接待、その後、デート嬢をあてがったというもの。しかし、このシャガールに同席していた本紙川上の扱いがなんとも邪魔になって仕方がなかったようだ。なぜなら渡真利がシャガールで接待したのは本紙川上であったからだ。接待の目的は、本紙川上と付き合いのある冷凍食品の加ト吉社長を紹介させ、衛星中継テレビのコマーシャル契約をさせることである。
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三井逮捕の一ヵ月後の五月二十一日、本紙川上は大阪地検特捜部・小寺検事に事情聴取された。一幕は大阪のシャガールでの渡真利からの接待状況。二幕、週刊文春に十一月初め、調活問題を告発したのは高松のミニコミ社主、情報源は現役検事(三井氏)と掲載されたことで渡真利から恐喝されそうになった状況。三幕は、逮捕される四日前、六甲の三井宅ベランダで現役検事のまま実名で告発する決意を三井氏と本紙川上が確認する状況であった。
ただ検察が本紙川上から供述調書を欲しがっていたのは、三井氏の収賄容疑をでっち上げるための一幕、クラブシャガールでの状況であった。
急遽本紙川上の担当を命じられた小寺検事こそいい迷惑でないか。原田検事総長の描いたシナリオが狂いを生じた分岐点といっていい。
というのは、三井逮捕後マスコミが賑わした記事に「三井口封じ逮捕」「高級クラブで接待」「デート嬢を紹介」などが踊り、朝日新聞の落合氏からは「川上さん気を付けて、あんたを逮捕したら完全に口封じになる」などの話やら、大阪地検に出頭する前、日本テレビのジャンさんから、「検察で聴取された後、川上さんがもし逮捕されたらこの映像を流す、その時に備えて、録画どりを…」。
大阪地検の前でタクシーを降りるところから、検察庁に入っていく場面、最後に別れのため本紙川上は心細くジャンさんに手を振った…。
五月二十一日午前十一時、大阪地検特捜部一六〇九号室。
検察官・小寺哲夫検事、北山検察事務官。さすがに逮捕歴のない本紙川上は緊張した。それもそのはず、シャガールの場面を執拗に聴いてくる。小寺検事は少なくとも、五,六回、部屋を出て誰かの指示を仰いでいるようにも感じた。本紙川上は思わず検事に、
「三井さんが違う部屋にいて、供述調書を会わせるため、何度も打ち合わせに出て行くのですか」
「私は別の事件を扱っていて、急遽川上さんの担当をするようになったので…」
ますます本紙川上は、三井さんと同じように検察が口封じのため逮捕する方向で供述調書を取り始めているのではないかと焦りに焦っていた。
小寺検事は、おもむろに、
「あんたにも、渡真利は、三井さんと同じようにデート嬢を用意していたというがどうなんですか」。
そら来た、本紙川上を逮捕する筋書きで誘導し始めた。これはえらいことになった。朝日新聞の落合さんや日本テレビのジャンさんが言っていた心配が現実になるのか。
本紙川上は、意図的に事実でない供述をした。それはシャガールで二時間余り過ぎた後、三井氏と共に渡真利の車で日航ホテルまで送ってもらった事実を、一時間三十分ほど経過した後、本紙川上だけが一人で、歩いて日航ホテルに帰ったという供述をしたのである。三十分余りの空白。
この空白は、本紙川上が自らの逮捕を逃れるために意図的に事実でない供述をしたのである。
小寺検事は、
「あなたが言うようにそのまま調書に書きますから、三つの調書に別々に署名してくれますか」と言ってきた。
本紙川上は、ここでも検察に対する不信感が高まり、「別々にサインはしません、三井さん口封じ逮捕に都合のいいとこだけ利用されたのでは納得がいかないので、三つまとめてのワンパック、一つの署名しかしません」。
小寺検事も北山事務官も、大阪地検大塚次席や大仲検事からの指示には困り果てていたのでは…。
結局、前裁判長は、本紙川上が明らかな嘘を供述したことを証人不採用の理由にした。検察の目論み通りであった。
本紙川上、三時間の証言
七月二日午後一時三十分、二〇一号法廷。宮崎裁判長の前で、嘘は言わないと宣誓して証言台の前に座った。本紙川上を証人として採用してくれたからには、三井口封じ逮捕事件が検察改革の糸口になるよう、日本司法の歴史に残る意義ある名判決を、裁判長が下せるようにと願いを込めて事実を述べた。心の中で次の一節を唱えながら、
裁判官は、「その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」。
前科13犯の渡真利の供述調書のみで逮捕起訴した検察の選択が、なにかおかしいと感じてくれることを最大限期待しながら、渡真利がらみの収賄容疑を中心に証言した。
裁判長の真実を知ろうとする目
宮崎裁判長は15分の休憩時間を10分に短縮して後の公判を再開した。5分でも多く本紙川上から事実を聴きたいという裁判長の姿勢にはただ頭が下がる思いである。
司法改革が叫ばれている中、特異な事案として事実を事実として伝えることによって、日本の民主主義の成熟に役立つと確信して、宮崎裁判長に訴えた。
それは「獣道(けものみち)」。
本紙川上が証人採用され一番困るのは誰か? 原田検事総長その人である。
しかし、検察組織のことを考えると、原田氏が検事総長という権力の長としての肩書きであったため、多くの健全な正義を愛する検事が苦しみ、板ばさみになっていたという事実を厳粛に受け止めなければならないのである。
三井逮捕の四日前、六甲自宅ベランダで、神戸の夜景を見下ろしながら三井氏が力強く本紙川上に決意を表明したのが耳に残る。
「長年検察にお世話になった、最後のご奉公として現役のまま実名で告発する。それによって検察改革が始まり、『検察の在るべき姿』を取り戻してもらいたい」。
原田検事総長の過ち
(一)本紙川上から検察の調活裏金作りで告発されていた加納氏を一人切って(処分)
検察組織を救うべきであった。
(二)告発が未処理であったため、森山法務大臣の加納氏検事長承諾が得られず、
小泉総理に直談判という「獣道」を選択した。
(三)小泉総理の告発未処理発言に、「検察の命」である捜査調書を捏造させた。
原田検事総長が発覚を恐れた「けもの道」
H13年3月29日 加納・高知地検検事正当時の詐欺容疑を被疑者として最高検察庁に告発
H13年7月10日 渡真利、川上、三井がクラブシャガールで飲む。本紙川上、日航ホテルで宿泊
H13年10月19日 加納大阪地検検事正が新幹線で隠密裏に上京。
H13年10月20日 麹町の後藤田事務所に、原田検事総長、ほか2名が訪問。
H13年10月21日 麹町の後藤田事務所で、原田検事総長が小泉総理に加納福岡高検検事長承認を
依頼。(後藤田、川人、小泉、飯島、原田):敬称略
H13年10月22日 加納大阪地検検事正が公務?で上京。
H13年10月30、31日 東京で全国高検検事長会議。
H13年11月上旬 三井部長、渡真利から恐喝を受けるが未遂。
H13年11月7日 大阪高検が加納被疑者を「嫌疑なしの不起訴」にする。
H13年11月11日 日中文化会館で後藤田正晴・米寿祝賀会。原田検事総長らが出席。
H13年11月13日 高松高検が加納被疑者を「嫌疑なしの不起訴」にする。
小泉内閣が加納駿亮氏を福岡高検検事長に承認。
H13年11月15日 加納駿亮氏が天皇の認証を得て福岡高検検事長に就任。
H13年11月30日 本紙川上が原田検事総長の罷免請求を検察官適格審査会に提出。
H14年1月下旬 渡真利、亀谷が荒川元検事長に三井部長の件で接触。
H14年2月・・ 大阪地検特捜部が、渡真利を悪用して三井逮捕を画策。
H14年4月18日 神戸市六甲の三井宅ベランダで、三井部長が実名告発の決意を本紙川上に語る。
H14年4月20日 法務省三田分室「料亭かつら」で検察首脳が謀議、
原田検事総長が三井逮捕を指示。
H14年4月22日 大阪地検特捜部が三井大阪高検公安部長を逮捕。
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