文字通り、未曾有の事態が動き出しているのだ。これは大袈裟でなく、革命と名付けても過言ではなかろう。それほどのインパクトを持つ、あるプロジェクトがすでに動き始めており、それは、今年早々にもその姿を現すことになりそうなのである。
これは、『K・Kオペレーション』と密かに名付けられている。主体は何を隠そう、警察庁である。
当の警察庁幹部が語る。 「とにかく初めてづくしのアグレッシブなタクティクス(※攻撃・積極的な作戦の意)です。具体的内容についてペラペラと喋るわけにはいかないが、それは焦らなくとも来年(この談話は、昨年末に聞き得たものである)の年度替わり(三月)までには、その正体がハッキリするから、それまでの僅かな辛抱ですがな(笑)…」。
ジョークを交えてこう語る同幹部であるが、このときの眼は真剣そのもの。この『K・Kオペレーション』なる代物、まさしく伸るか反るかの非常に際どい極秘作戦だという。語り口はあくまで堅いが、この作戦の片鱗を点描すると、次のようになる。
悪質なる警察不祥事を根絶せよ!
警察庁は、このところ頻々として起きている警察官の不祥事等々に対して、恐らく最初で最後の非常手段を駆使した驚くべき粛正作戦を展開していく。
例えば、昨年一年で各警察において明らかにされた不祥事の類は、驚くべき数に上っている。警視庁は、八〇余り。裏金問題で大いに世間を騒がせた北海道警は一五〇余。あと目立ったところはというと、宮城、福岡、それに神奈川のそれぞれ各県警本部が、数量の点で不名誉な上位になっている。しかし、これはあくまで数量における上位であって、これが今度は内情(性質)となると、このランキングは大いに変わってくるのだという。
警察官の不祥事の内情もしくは性質というのはどういうことであろうか?
「要するに悪質極まりない不祥事が存在する、ということ。北海道警の裏金問題は、確かに悪質だが、これが習慣化してしまえば裏金という疚しい意識がなくなり、却って堂々と行うことになります。度合いからいけばこの不祥事の性質は悪質度が軽い、ということになります。誤解されたら困りますが、これはあくまで不祥事を起こした警察官のその不祥事に対する呵責の度合い、とでも言い換えられるものなのです。罪そのものの量刑であるとかの観点ではなくて、罪を犯す者の心理情況をひとつの秤としているのです。ここで悪質度が低い、といっても決してその罪が許されるものである、ということではありません。くどいようですが、この性質、というのは、罪を犯す警察官の心理状態を基準にしている、ということです」(同)。
非常に簡単に言えば、赤信号、みんなで渡れば…=Aというような心理情況にある不祥事というのは、その不祥事の悪質度が低い、ということを言っているのであろう。これはある意味、集団心理で、確かにこの幹部の指摘通り、罪を犯す側にとっては、呵責度は低いと見られよう。
「だから、その逆の悪質度が高い不祥事、というものも存在することになります。そういう中で最も不祥事の性質が悪い、と決定づけられたのが、何を隠そう香川県警なのです。香川県警は、一時、不祥事が重なり、『週刊新潮』のような有力週刊誌などにも書き立てられたことがありますが、それも、喉元過ぎれば、で多くの人の記憶からそういうことは忘れられてきています。ところが、実際は、そうではない。悪質度が最高の不祥事が明るみにならないところで多数発生しているのです。これを報じているのは、地元の四国タイムズ、一紙のみです。そして、この悪質度の高い不祥事は、実は、唯一報じ続けているこの四国タイムズが被害者として関わるものが沢山あるのです」。
まさしく衝撃的なインフォメーションではあるが、実は本紙がこれまで報じ続けてきた事件の数々は、実は、警察官が後ろで糸を引いていたものであったのだ! これは紛れもない事実、なのである。
ある禁じ手≠ェついに使われた!!
「そう、私たちから見れば、これはたいそう残念な事ではありますが、事実です。だからこそ、今回のタクティクスを断行しなければならなくなっているのです」(同)。 本紙四国タイムズは、このショッキングな事実関係を正確に捉え、これまで香川県警の醜い部位を剔抉してきた。 そして、『K・Kオペレーション』は、いよいよ核心に触れたところとなってくる。 「このタクティクスの一番の目玉は、なんと言ってもBに絡んだものです…」。
ここでいわれる、B、とは、暴力団のことである。暴力団のイニシアルB、このことを指しているのである。そして、Bに絡んだもの、ということになると、これはどういうことになるのだろうか? 警察庁のビッグプロジェクトとBコト暴力団との絡み、これは俄には想像出来得ない。
「それはそうでしょう。全貌やこれまでの過程をスッカリお話しするわけにはいきません。しかし、ただひとつ言えること、これは来年早々には判ることでしょうから敢えて言わせてもらいましょう。 それは、空前絶後の応用作戦です。これは史上初めてのことで尚且つ今後絶対に行われないものでしょう。それを踏まえて聞いてもらいたいのですが…。つまり、警察庁とBが一時ですが、ある同じ目的に向かって上層部のみに限られますが、ひとつの情報交換、情報の共有を行います。これは誤解を恐れずに最も平たく言えば、警察庁とBとの一瞬の握手です。これこそ、史上初めての作戦といっても差し支えないでしょう」。
絶句させられたのはもちろん当方である。このオペレーションの凄み、というものがこの幹部から沸き上がっていた。警察庁とBコト暴力団との一時的握手。それも、同じ目的を持った握手、というのだ。この事態、そして内容に驚かない者はいるはずもない。 「すでにB側の最高幹部との連絡は取れています。そして承諾も得ている。もちろんここではBについて、その存在そのもののインフォメーションをお話しするわけにはいきませんが、国内最大級の広域指定暴力団です。このタクティクスは、このBの本部がある県警本部シークレット部隊との連携も行っている。ある意味、両者の連携はかなりのレベルで取れています」。
凄まじいばかりの進捗度といっていいだろう。確かにこの幹部が言うように、警察庁という立場であっても、あるいは暴力団という立場であっても、国家、という一括りのなかで考えると、同じ方向に向かっている、或いは、同じものを目指している、という部分は絶対にあるだろう。国体の護持、国体への矜持、というレベルで捉えれば、表向き水と油のような関係性であっても、実は求める方向は同じなのである。そう考えると、この作戦の大胆性の真意、というものが判ってこようというものである。
「そうなんです。どのような立場であってもやはり求める方向が同じという部分、というか、琴線に触れる部分、というところでは共通しているのです。これを、今回の作戦で実行していこう、ということです。しかし、これはある意味では禁じ手かもしれません。だからこそ、一回こっきりの大作戦なのです」。
逆に、この幹部の言う意味から全く逆行した者がいる。
私利私欲のためにあってはならない癒着を続ける者。それは、警察官と暴力団である。警察情報を漏洩して小遣いを稼ぐ。警察官を搦手で取り込んで弱みを掴み、虜にしてしまう暴力団。 さらには、この醜い関係を円周の中心として、様々な勢力がこの円の中や外に蝟集してくる。
「香川、もっと正確にいえば四国タイムズ川上社主が中心点にいる円の中には、これらの勢力が全て集合していました。まさしく希有な例。恐らくこれまで我が国ではここまで凝縮された例はなかったでしょう。だからこそ、今回のタクティクスをわれわれは敢えて実行するのです」。
この言葉は、まさしく決意のほどを端的に表したものであることが理解出来よう。
描かれていた、川上社主を中心に全てを巻き込んだ円周
ここでいわれる、勢力≠ニは、警察や検察のいわゆる司法、暴力団(具体的例として若林組)、金融(同じく東証、大証一部上場の香川銀行)、行政(同じく真鍋香川県知事や増田高松市長、或いは各県内首長、或いは国会議員や県議会議員等々)、そして、民間企業(建設業社、大手商社やメーカー等)、その他諸々の拮抗や反対勢力。つまり、日本の三権分立(司法、立法、行政)と、政・財・官それに暴力団というアングラ勢力が全て川上社主の円の内外で蠢き、どれも勢力を伸ばそうとしていたのである。
まさしく驚天動地の事実だといわなければなるまい。しかし、それはいずれも本紙において既報の通りなのである。これらの複雑怪奇な関係者との絡み合いから表出したものが、川上社主への銃撃事件並びに鉄パイプ襲撃事件なのである。さらにこれに絡んで、最高裁の判決(川上社主に対する名誉毀損の刑事裁判)に連なる。
「いいですか。話は確かにここ十年余という時間的経過を抱えていますし(※これは座標軸の横線である)、表出した部分についても丹念な分析(※これについては座標軸の縦線を当て嵌める)が必要です。そのうえで関連づけて考えなければならない。一見複雑怪奇でしょう。
しかし、結局一本の線、というものがあるのです。実際にある。それは、川上社主に対しての香川県を中心にして起きている事態、ということです。これはシンプルですが、この線の太さはそんじょそこらの事件の比ではありません。この点をもう一度噛みしめて戴けたら、自ずとこのタクティクスの目的は判ってくるはずです。
そしてこのタクティクスの名前の由来ですが、K・K、というのは、もうお判りかもしれませんが、川上社主の頭文字K、それに香川県の頭文字K、これなのです。当初は、香川ではなく讃岐、と称していましたが、タクティクスの命名に際しては現実表記の香川としました」。
もうこれ以外言葉はない。
これまで本紙がそれぞれについて詳報してきたことが、ここに警察庁あげての大作戦の下、一掃という形で表れるときがやってきた、ということである。
新しい夜明け、遂に来たる!
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