木村義雄氏に衆議院議員ををやめてもらいましょう
即・真鍋武紀氏に香川県知事をやめてもらいましょう
小川和彦氏に県人事委員をやめてもらいましょう
即・増田昌三氏に高松市長をやめてもらいましょう
中村栄治氏に高松市助役をやめてもらいましょう
大林一友氏に香川銀行名誉顧問をやめてもらいましょう
着々と進む捜査 すでに開幕していた改革の舞台
本紙がこれまで追及してきた数々の疑惑は、すでにその大半が良識ある司直の手によって解明されてきている。
そして、ある関係者はその咎を示され、法的に断罪され、また別の関係者は、属している組織を事実上、壊滅状況に追い込まれたりしている。
それは、結果的に必然として受け入れなければならない。
香川県警が迎える歴史的な変革 その日は目の前に来ている!
こういう状況に追い込まれた組織の最たるものは、まずは香川県警であろう。同県警は、これまで地元暴力団、若林組とスクラムを組んで、香川県民、高松市民を壟断してきた。そのやりたい放題やってきたツケを今、支払っているといっていい。
「(香川)県警のこれまでの横暴は、調査の度合いを深めれば深めるほど目を覆いたくなるようなものです。よくぞここまで酷いことをしてきたな、と呆れるばかりの惨状でした。この惨状が、結局、四国タイムズ社主の川上(道大)氏への前代未聞の言論弾圧という民主主義においてもっとも卑劣なる行為に繋がっていったわけです」。
こう言うのは、本紙ではもはやお馴染みといっていい、警察庁のある最高幹部である。この最高幹部は、これまで様々な形で本紙に史上最大のオペレーション、オリーブ・オペレーションのさわり、あるいはA TO Z(エー ツゥー ゼット)をサジェストしてくれていた人である。この人物のサジェストは本紙を通じて香川県民、あるいは高松市民の皆様にある種の勇気を与えてくれたものである。
「逆でしょう(笑)。勇気を与えてくれたのは、私の方ではなくて、川上氏を先頭とする真の革命家ですよ。私たちは川上氏のことを侍と呼ばさせていただいていますがね。
こういうことを大きな声で言うことはなかなかできませんが、私の立場だって、川上氏のようにあらゆる迫害を受けたなら、前向きな気持ちなど萎えてしまいます。警察機構の管理を預からせて戴いている人間がこういうことを言うのは、まさしくタブーそのものですがね。そこは嘘はつけません。とどのつまり、人間の限界をそこに感じるのですが、川上氏はその限界の線を一気に越えてしまった。これは実に驚嘆すべき事態でした。
だから私たちは奮い立ったわけです。前代未聞といわれるオペレーションを立ち上げることとした。予算もたくさん取るようにして、このオペレーションを実現させてきたのです。
だから、勇気をもらったのは、私たちの方なんですよ。ここのところは非常に大事なので何度でも繰り返させてもらいます」。
決然とした表情でここまで語るこの最高幹部の言葉にはたしかに強い意志が感じられよう。それもこれも、やはりそのキッカケは、本紙川上社主が受けた曰く民主主義においては絶対あり得べからざる卑劣なる行為だったのだ。
そして、その悪の根源となっていたのが、香川県警なのである。もうひとつが、若林組であり、この両者が両翼となって、我が讃岐を悪夢の飛行に導いていたのである。
「その両翼にズバッと手をつけているわけですよ。このような事態は、別の自治体では考えられなかった。だから、最初に手をつけなくてはいけなかったのです」。
灯台もと暗し、という言葉があるが、我が讃岐においてこれまで定着していた事態だけに、なかなか目を向けられなかったわけだ。しかし、それでは天の配剤は余りに不公平に過ぎた。
「そういうことです。その目を川上氏が開かせてくれたのです。このことも何度でも言わさせていただきますからね」。
最高幹部は、日本警察の威信を込めてこの台詞を叩き込む。因みにこの最高幹部は、自室に四国タイムズの綴りをいつも一番目に付くところに架けている。何かあれば、この綴りを引き吊りだし、自分の意志を鼓舞するのだという。本紙にとってもこの挿話ほど勇気を与えられるものはない。お互いに勇気を与えて高めあっているのである。
王シフトならぬ川上シフトの仰天構想 ついに始まった大鉈の布陣
「そういうことになりますね(笑)。
だから四国タイムズにはこれからも力を振り絞ってもらわねばなりません。そこで、まず警察です。県警ですね。ここには大鉈を振るいます。すでにその人材配置は、完了に近くなっています。今年に入って意外なる人材配置に愕かれた方もいるでしょうが、特に内部にね(苦笑)、それはさておき、この人材配置は香川県警大改革の水も漏らさない布石なんです。言葉を換えて言えば、川上シフト、といっていいでしょう! 王シフトではなくてあくまで川上シフト。王シフトはあくまで、王(貞治)選手(時代)にホームランを打たれないようにするための、いわば防衛のシフトでしたが、この川上シフトは違う。川上さんを防衛する為のシフトなんです。このシフトをすることで、讃岐に関わる問題分子を駆逐することになるのです」。
この喩えは非常に興味深い上にまた且つ分かり易い。同じシフトでも、我が身を防衛するためのものか、その逆で周りが第三者(この場合、川上社主ということである)の積極的な行動を邁進させるために、他からの妨害を潰していくためのものか、という違いなのである。後者の方が非常にアグレッシブなシフトと言えよう。
「そういう意味でも今回のシフトは、実にアグレッシブにやらさせてもらっています。香川県警という機構はこの先もっともっと浄化させますからね。非常に極端なたとえですが、川上シフトにおいて、香川県警内の腐ったみかんに属する勢力はすべて粛清します。腐ったみかんとは確かに極端ですが、さりとて言い過ぎでもありますまい。これまで川上氏の命を脅かしてきたのが他ならぬ、この腐ったみかんの属する勢力であることは自明の理なのですから。それは私たちの内偵捜査でも、すでに定着した事実です。大幅な機構改革、あるいは、川上氏をはじめ広く意見、要望を取り入れるようなシステムを導入しますからね。そして重要なのは、OB連中の一斉排除。私もこの先OBとなるでしょうが、その時は自ら排除される立場となる覚悟の上です。そしてこれは極秘事項ですが、やはりこのオペレーションのキッカケとなった川上氏へのアドバイスを的確に受けるディヴィジョンの新設というのも考慮しています」。
このことは確かに極秘事項であろう。しかし、だからといって本紙と良識ある警察の関係性はいつだってある種の距離は置かなければならない。
距離を置いてこその信頼関係。県警、若林組、香川銀行、そして香川県、高松市の行政。続けざまにメスは入っていく!
「その距離というのは実に重要です。一定の距離こそ相互の信頼関係を保持する最大の秘ですからね。
それともうひとつ、かつての県警とスクラム組んでいた若林組への対処は、この春にさらに進捗します。ここでハッキリさせますが、その究極の結末はいうまでもなく壊滅、です。そこに至るまで、我がオペレーションは手を緩めることはありません。
これだけはここで断言させていただきます。四国タイムズ紙上で断言したことは絶対に実行しなければなりません。これはある意味、四国タイムズと読者間にある最大で最高の不文律ですよね?故に私たちの手が緩むことはこの先も有り得ないのです」。
まさしくこれほどの決意を伴った言葉は有り得ないであろう。
「この先、県警、若林組、そして香川銀行、その先にある行政、すべてに我がオペレーションの手が入っていく。もはや時代は変わったのです。
その時期は、ズバリ、統一地方選。
これ以上の言葉はもう不要でしょう」。
至言であろう。本紙もこの先この至言を心得て報道に徹していく。
古武士・兼元徳二の正義を引き継げ
本紙に告げた「腐敗県警幹部の名」
正義を愛し、直島を愛した男が亡くなった。気骨ある古武士であった。
四、五年前に何回か電話を頂いたが、なぜか直接会えなかった兼元さんと、今年に入って、何度も会うことになった。会うところは、高松市多賀町の喫茶「彩花」である。
兼元さんは、いつも、お抹茶を注文され、私もご馳走になった。話の筋にぶれが無く、目が非常に澄んでいた。すい臓の大手術をした後なのに、こちらに気を遣わせないような人であった。
六月に入って連絡が通じなくなった。中央病院に入院していたのである。
六月二十九日、ジャーナリストの斎藤真氏と共に見舞った。鼻と、腹に管を通していたがベットに座っての話である。
七月五日、中央病院へ見舞ったのが最期となった。
兼元徳二、平成十六年七月十三日二十二時、死去。
(平成16年8月号本紙から)
本紙川上の尊敬している兼元徳二さんが掲げていた正義の炎を、警察庁が進めているオリーブ・オペレーションが引き継いでくれたのではないかと、最近なんとも言えない不思議な気持ちが湧き起こってくる。
「…香川を腐敗させているのは、県警の木内、麓、桑島、神谷、川元、黒川ら、そこを見抜いて頑張ってください」
本紙にこう語った兼元徳二さんは、小泉総理の内閣情報官であった警察庁の兼元俊徳氏の父親なのである。
真鍋知事と松永支部長の危うい関係
知事選挙の見返りに生コン予算で便宜
平成10年夏の前、当時の真鍋知事候補は、農林水産省OBの地位を悪用して、選挙資金は日本ハムの大社会長、それに集票マシーンではJA農協の組織力に頼り、突如として選挙運動に走り出した。
地元県議会の総意を無視しての奇策である。
一枚岩ではなかった自民党県議会の足元を見透かした、余りにも卑劣な県民無視の選挙戦を展開したと当時の良識ある県民には映ったのではあるまいか。そして3期目に入った今も、この後遺症が未だに尾を曳いているのである。
さて今回は、この真鍋知事の奇策にチャッカリと便乗した、四国生コン業界のドン、松永雪夫氏を紹介しよう。
本紙も創刊から15年余り経つが、財政難にあえぐ香川県民の足元で、真鍋知事と松永支部長の密約がここまで進行していたとは、県政の目付け役を目指す立場からして素直に反省しなければならない。
まず、現在の松永雪夫氏の肩書きは、葛ヲ和土建社長、葛ヲ和生コン会長、香川県建設協会善通寺支部長、西部生コン協同組合理事長、香川県生コン協理事長、四国生コン協会会長、全国生コン連合会副会長、自由民主党丸亀支部長などである。
今、日本中を震撼させている首長の汚職事件の中でも、これだけの便宜供与をしやすい肩書きを持った業者はいないのではないだろうか。
談合汚職のルーツは香川県 選挙協力の見返りに生コン予算で便宜
昨年には、日本縦断的に福島、和歌山、宮崎県で相次いで知事が逮捕されたが、そのルーツは香川県である。
なぜ本紙がそう言い切れるのかについておさらいをしてみよう。
四国タイムズを創刊した平成4年当時、日本の捜査機関は、「談合金の伴わない談合は捜査に着手しない」という国の統一した見解があった。
そんな時期、談合情報を取り合ってくれない香川県警に業を煮やした本紙が、「白鳥談合容疑」を高松地検に告発した。そして、そこに高松地検次席検事で着任したのが三井環氏なのである。根っから捜査が好きな三井次席は、さっそく告発人の本紙川上を呼んだ。後は、三井次席のペースでことが運ばれ、香川県警に頼らない、検察だけの独自捜査を展開したのである。
この捜査手法が、「中小検察の独自捜査」と呼ばれるようになったことからすれば、間違いなく談合汚職のルーツは香川県と言えるのではなかろうか。
さて、ルーツに相応しく、新手の真鍋知事と松永理事長の汚職手口を紹介する。
ここに、公正取引委員会や捜査関係者ならだれでも喉から手が出るほど欲しくなるような資料がある。それは、仲多度建設業協同組合と香川県西部生コン協同組合との間で交わされた「売買基本取引契約書」、それに「覚書」。
(※建設業組合を甲、生コン組合を乙、甲と乙の組合員を丙とする)
まず、役所(真鍋県政)の予算が、生コン1m3につき、1万1千8百円であることを押さえて目を通して欲しい。
「契約書」。甲と乙は、丙との間における生コンクリートの売買に関する諸条件について次のとおり…締結する。
第5条(取引価格)丙が購入する生コンクリートの基準価格は土木工事用で1m3当たり1万1千3百円とする。
第8条(取引対象範囲)香川県中讃土木事務所管内一円における国、県、市、町の公共土木工事とする。
「覚書」には、
第1条(手数料及び現場誘導費)、第3条(取引価格の特例)という条項もあり、捜査を逃れる巧妙なカラクリで悪質なカネの分配システムといわざるを得ない。
まず、@―発注者である役所から組合員である受注業者が談合で生コン単価1m3につき1万1千8百円を確保する。 A―受注業者は生コン組合に5百円を引いた1万1千3百円を支払う。B―生コン組合は受注業者に現場誘導費として生コン代を4百円差し引く。また、C―5m3百を超える大口にはBの上に6百円を更に差し引く。まだある、D―生コン組合は取引手数料として建設業組合に取引手数料として1m3に5百円を払う。
同じ県内でも他支部の場合は、1m3に予算は8千円余りであるから、真鍋知事が3千円余りを選挙協力の見返りに便宜供与していることになる。
香川銀行の小玉元支店長代理
高松地裁が懲役1年2カ月の実刑判決
「ホップ、ステップ、ジャーンプ、着地」
本紙の告発がホップ、観音寺警察署の送致がステップ、高松地検の起訴(懲役2年求刑)がジャンプ、そして、高松地裁の実刑判決で着地。
平成17年4月に本紙が告発して2年近く経った先月、高松地裁の増田裁判官が見事な着地を決めた。香川銀行の改革を願う健全な銀行員と共に盛大な拍手を贈りたい。
さてここで、増田裁判官が決めた、もうひとつの見事な着地を紹介する。それは、昨年3月7日、本紙川上を殺害する目的で拳銃を発射した二代目若林組の森裕之被告に対して下した、懲役15年の実刑判決。長年、香川銀行と若林組との癒着を追ってきた本紙からすれば、同じ増田裁判官が下したこのふたつの判決には、「お見事! よくぞ本質を見抜いてくだされた」と拍手喝采したいのである。
ここで香川銀行が、なぜ金融庁から業務改善命令を2度も出されたにも関わらず、同じ過ちを繰り返すのかについて考えてみようではないか。
原因はすでに解明されてきた。
香川銀行、若林組、腐敗警官、それに職務(司法システム)上、仲を取り持つことになる弁護士の分担された役割がそれを助長させている。そう、香川銀行という組織そのものが、犯罪を繰り返すには最適な土壌を持ち合わせているということである。
閉廷後、「懲戒解雇など社会的制裁も受けている。判決は理解に苦しむ」と述べた弁護側の発言が、香川銀行の改革を遅らせていることだけは間違いない。
国保連の破廉恥が続々
賭博首謀者の父、なんと生活安全部長
本紙が白川理事長や佐々木常務にしていた改革に着手する時間的な猶予という配慮は、結局、今回も活かせず、追加の不祥事を掲載することになった(なんとか早く改革に着手してください、お願い)。
先月27日の午後3時ごろ、偶然、ウエルシティ高松の2階で白川理事長に会った。
「(私が)配慮しているのが分かりますか、なんとか改革に手を着けて下さい…」
「してるしてる(改革をやっている)…」と、理事長である白川観音寺市長が答える場面に出くわした。偶然とはいえ、なんとも恐ろしいものではないか。
というのは、改革が後手に廻れば、新たに余分な記事までもが掲載されるからだ。
それは、先月号に掲載した国保連合会の職員が、野球部合宿中に行っていた国保連ダービーと名付けられている賭博行為の追加記事。この主催者である審査課再審査係の松村誠氏が、なんと、香川県警本部の松村学・生活安全部長の息子であることが判明した。
それも、暴力団の賭博は刑事部組織犯罪課の担当であるが、一般市民の賭博行為は、まさに父親である松村学・生活安全部長の担当ではないか。
穿った見方をすれば、白川理事長や佐々木常務は、部下の父親が県警の現役部長であるから、それを見込んで改革に着手しないのかと、勘ぐられてもしかたがない。それでは念のため、本紙が勘ぐって松村部長について調べてみる。
平成12年ごろの吉田県警本部長当時、松村学・警務部教養課長は本部長といざこざを起こして警察学校副校長に左遷されたことがあった。
平成12年1月19日は、本紙川上が若林組から鉄パイプ襲撃を受けた時期で、川元刑事部長から黒川刑事部長に人事異動があったのもちょうどこの頃。それに本紙川上の逮捕を断言してはばからなかった神谷元刑事部長は、麓部長、松村部長らと共に三本松高校の卒業グループではないか。
香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その47)
篠原組長のウソ、山口組に恥を塗る
先月26日付の朝刊を、本紙川上は見て驚いた。概要を記すと、こうなる。
「暴力団幹部射殺事件で警視庁が山口組総本部を捜索」
東京・西麻布で先月5日、指定暴力団住吉会小林会の幹部が射殺された事件で、警視庁組織犯罪対策4課は、実行犯を特定しないまま、指定暴力団山口組の総本部を、殺人などの疑いで捜索した。
同課は、一昨年9月に山口組の傘下に入った国粋会が射殺事件に関与した疑いが強いとみて、山口組総本部が関与したかについても捜査を進める。背景には、六本木など都内の繁華街の利権を巡る小林会と国粋会のトラブルがあったとみられ、国粋会が事件に関与していたとの情報もある。
その後、国粋会の工藤和義会長(70)が台東区内の自宅で拳銃自殺しており、同課は、山口組総本部と国粋会との間に、どのような動きがあったのかについても調べている。
ヤクザの世界は「厳しい」の一言。
それでは、山口組直参若林組から、本紙川上が三度も発砲や鉄パイプ襲撃された事件を解決するため、同じ山口組の直参である国粋会と大変失礼ではあるが比較する。
本紙は、国粋会の工藤会長が拳銃自殺した事実に注目したい。
ヤクザの凄みは、命をかけるという行動に裏打ちされている。所属する山口組には迷惑を掛けない、迷惑を掛けるなら腹を切る、この判断ができるのが任侠ヤクザで直参に相応しい本物ヤクザではないのか。そして、任侠ヤクザは一般人を鉄パイプ襲撃したり拳銃で発砲などしないはずだ。
裁判にウソの答弁書 篠原組長「森が子供に空手を指導」
さて、平成16年9月29日に本紙川上が、五代目山口組組長と二代目若林組篠原組長ら4人を使用者責任で神戸地裁に提訴した裁判も2年4ヵ月を超えた。
山口組の当代も、五代目から六代目に代が替わり、平成18年8月25日には六代目山口組組長と二代目若林組篠原組長ら10人を使用者責任で、法廷を高松地裁に移して提訴しなおしたのである。公判を繰り返しながら時間を掛け、神戸地裁の法廷では登場していなかった3人の襲撃実行犯らや、2人の替え玉実行犯らも、高松地裁では登場させるのに成功したのである。
念のため、実行犯らの名前を特定しておく。
【3人の襲撃実行犯】
一回目、平成9年11月29日の拳銃発砲犯・川原豪。
二回目、平成12年1月19日の鉄パイプ襲撃犯・山中敏勝。
三回目、平成18年3月7日の拳銃発砲犯・森裕之。
【2人の替え玉実行犯】
二回目の鉄パイプ襲撃の真犯人・山中敏勝の役に西岡誠二。それに、襲撃現場の状況説明役と、鉄パイプ襲撃犯役の西岡誠二の補助役に、真犯人・山中敏勝と養子縁組した木村重利。(木村と山中が養子縁組した理由は、すでに別事件で刑務所に収監されていた山中に面会しなければ、真犯人山中から襲撃現場状況を聴くことができない。戸籍上の養父になれば面会できるという、法律上の盲点を突いた癒着警官からの悪知恵)
舞台が神戸地裁から高松地裁に移って、ますますボロが出てくるではないか。
ところが、いまだに直参の二代目若林組篠原組長は、ヤクザの親である六代目組長に掛ける迷惑を顧みず騙しと保身で逃げの一手である。
こんな状況が、任侠ヤクザ(三代目山口組田岡組長当時の原点回帰)を目指す六代目山口組で許されるのだろうか。
もしもこれらが許されるのなら、山口組の組織の箍(たが)が緩むのは必至ではあるまいか。
それでは、二代目若林組組長の篠原重則、同若頭の森隆が依頼している横井貞夫弁護士から提出された答弁書に触れながら、真相を導き出してみよう。
【若林組からの答弁書】
一回目の犯行と二回目の犯行に対する使用者責任は、すでに神戸地裁が平成18年3月27日に原告らの請求を棄却するとの判決。その後、原告は大阪高裁に控訴したが平成18年8月21日の経過により既に確定している(本紙の敗訴)。
【本紙川上の主張】
これも癒着警官の悪知恵であろうが、原告川上の口頭弁論が平成18年1月30日に終結するのを待って、3月27日の判決前、原告川上を殺害する企てで3月7日、二代目若林組森裕之に実行させた。「死人に口なし」で幕引きを狙ったものの未遂に終わった。
もちろん原告川上は、この三回目の犯行を神戸地裁に急遽追加、そして判決を先延ばしして欲しいと願い出でたが聞き入れられず判決が出た。
即、大阪高裁に三回目の犯行を追加して控訴した。
ところが、大阪高裁から、三回目の犯行も(追加して)含めて控訴するのであれば被告側が了承しないであろうから、一、二と、三回目の犯行もまとめて、新たに一審の地裁からやり直した方が、裁判所としては事件の真相を理解しやすい、と薦めてくれたのである。
【若林組からの答弁書】
森裕之の立場について、…A二代目若林組組長の秘書をしていた、B民間の町道場(被告森隆とは関係がない施設)で子供に空手を指導していた、C平成18年2月6日付で二代目若林組を破門された、D被告篠原の長男が被告森裕之の養子となっている、これらについては認めるとある。
【本紙川上の主張】
これら裁判所に提出された答弁書から、二代目若林組篠原組長のウソが明確に浮かび上がってきた。
それは、Bの子供に空手を指導していたという答弁。
本紙川上に発砲した森裕之の肩書きや役割は、二代目若林組の組長秘書、組員に喧嘩のために空手を教える指導係、それに篠原組長の命令で襲撃や暗殺を担当する実行役でもある。そして、覆面の目出し帽、鉄パイプ、拳銃、これら3点セットの使用を二代目若林組から許された組員数名のリーダー格が森裕之である。
さて、この森裕之が、民間の町道場で子供に空手を指導していたという答弁がウソであることを、具体的な証言や状況から迫ってみよう。平成15年4月、若林ワ組長が亡くなった後こんなことがあった。
若林組の二代目を継いだ篠原重則組長から、「ウチの若い者に空手の練習をさせるので、六条町の倉庫を貸してくれんか」と先代組長と親しくしていた滝川氏に依頼の電話があった。
当時、倉庫を使ってもいなかった滝川氏は、二代目若林組篠原組長に使用を承諾した。空手の道場として利用された倉庫には、組員10人余りが出入りして稽古をしていたそうな。夏で熱かったのか稽古着を脱ぎ、入れ墨を丸出しで喧嘩のような稽古振りだったようだ。しかし、滝川氏の都合で倉庫の使用は6ヵ月ほど経って終わりになった。
篠原組長や森隆若頭は、組員によっぽど空手を稽古させたかったのか、その翌年、森裕之の関係で国分寺町の総合運動公園にある「B&G海洋センター」の二階、トレーニング室で若林組組員を集めて空手の稽古を始めた。夏場で熱くて冷房も効かなかったので窓は開けられ、入れ墨丸出しの姿(若林組組員)を地元の人たちに見られている。
本紙川上は言いたい、
「山口組直参組長に相応しい任侠ヤクザで在れ」と。
腐敗警官の一掃が急務
若林組からの呪縛を断ち切れ
今年の9月で、五代目山口組若林組の近藤秀三郎元副組長が、高松刑務所に収監されてから3年になる。
この近藤氏の恐喝事件は、まさしく若林組の広沢こと黄津一が、腐敗警官に賄賂をつかませてでっち上げた冤罪捜査そのものだったのである。
収監前の近藤氏が本紙川上にこんなことを言ったことがある。
「篠原が言うには『逮捕前の情報や、捜査資料は120l事前に手に入る』らしい。篠原や宮川も賭博容疑で逮捕令状が出てた時にも、広沢が警察に言うて潰してくれた…」
この篠原とは、当時の若林組若頭のことで、今の二代目若林組組長を指す。
さて、健全な香川県警の警察官のためにも、県民のためにも、本紙は手を抜くことなく踏み込む。
平成12年1月19日、本紙川上の家族は若林組の山中敏勝から鉄パイプで襲撃された。その年の11月15日には、中坊公平弁護士と建築家安藤忠雄氏が呼びかけ人となって「瀬戸内オリーブ基金植樹大会」が豊島で開かれた。
肝心な話はここからであるが、この大会に、当時、若林ワ組長の舎弟であった日本士道会安西会長が、街宣車など13台に分乗して右翼関係者50人ほどと共に押し掛けたのである。もちろん香川県警からも警備課や機動隊が80人以上は警備にあたったようだ。
安西会長は、豊島産廃の処理について中坊弁護士が進めた直島処理案に反対の姿勢を示し、街宣活動を展開した後「抗議文」を中坊弁護士に手渡さそうとしたのである。
しかし、機動隊に阻止され、乱闘騒ぎになり、一時は騒然となったようだ。
2、3日して、安西会長や関係者先に県警の捜索が入った。捜索令状の相手は、若林組の広沢こと黄津一の名である。当時、時の人であった中坊弁護士の力が県警を動かし、広沢と癒着していた腐敗警官の力を上回ったのであろう。
安西会長の取調べは、県警本部の香川明宏警備係長。
数日続いた取調べの後、安西会長は若林組長に呼び出された。組事務所に出向くと、そこには当時の篠原若頭が安西会長の取り調べ調書のコピーを持って座っているではないか。
篠原若頭、「オジキ、ウチには警察の捜査資料は直に入るんですわ…」
本紙の主張「公務員の腐敗警官を許せば日本が滅びる」
増田市長は3月議会で釈明を
ネコババ3億の逃げ得を許すな
福島、和歌山、宮崎の各県知事が談合汚職で逮捕され、その後、捜査機関の火の勢いは以前にも増して熱くなっているようだ。
発注者がいれば受注者がいる。当たりまえの話である。
先月28日、名古屋市発注の地下鉄工事を巡り、大手ゼネコンの営業担当ら5人が、独禁法違反容疑で逮捕された。
容疑の最初の入札は05年に大手ゼネコン各社が「談合の決別宣言」をした後、わずか1ヵ月余りというからあきれてしまう。この決別宣言も巧妙な隠ぺい手法となれば、悪質極まりないではないか。
増田高松市長に、官製談合工事から3億円を捻出した鹿島が逮捕の中に含まれているのが気に掛かる。
都市開発部と土木部の統合 談合で3億円捻出の足跡を隠蔽
高松市が、この3月議会で61の議案を上程した。
増田市長が任期まで逃げ切ろうとする議会であるから、本紙もじっくりと内容を点検してみよう。
条例関係では、来年度から助役に代わって導入する副市長を一人制とするための条例案、それに収入役を廃止する案もある。また、都市開発部と土木部を統合して都市整備部とする案も。
本紙は言いたい、
「余計なことをするな」と。
というのは、増田市長が、当時の中村収入役を助役にと議会に申し出たとき、議会側が中村氏は助役には不適格と受け入れなかった。ところが、増田氏が、市長を辞める時には、中村助役を連れて辞めるからとの条件付で議会側が承認を受け入れた経緯がる。まして副市長についても手をつけるとは、次の新市長を無視するのか、と言いたくなる。
さらに都市整備部の統合についても、本紙の見解を述べてみよう。
それは、なぜこの時期に、辞める直前の増田市長が高松市の組織機構の見直しをしなければならないのか、という素朴な疑念が残るではないか。増田氏が、大西秀人氏に市長を禅譲するのであればそれも理解できるが、経緯からしてその可能性はない。間もなく誕生する、新高松市長の手に組織機構をゆだねるのが筋であるはずだ。
本紙が、その疑念について答えよう。
それは先月号本紙の増田市長追及の紙面にヒントがある。
「増田市長のネコババ3億円を返還せよ 鹿島・カナックが官製談合で裏金を捻出」
「増田市長の汚れた晩節『あかね荘』 吉岡施設長との蜜月が汚職に発展か」
説明する。
まず、3億円を捻出するために必用な組織機構を頭に描いてもらいたい。
捻出とは、公共工事の予算からひねり出すこと。
そう、中部バイパス第1幹線工事の予算計画は都市開発部、そして、3億円を捻出するには官製談合を担当した土木部が全面協力するしか方法はないではないか。
本紙が長年扱った談合問題から推察すれば、ズバリ、増田市長の組織機構の統合は、ネコババ3億円を捻出した足跡を隠蔽するための煙幕。
ところで、なぜ増田市長が、この時期、そこまで大掛かりな組織機構にまで手を付けなければならなかったのか、という疑問にも答えよう。
ズバリ、本紙の既報内容が余りにも信憑性に富み、司直の手が増田市長自身に伸びるのではないかと危機を抱いたからである。
その裏付けとして、先月号の本紙を読んだ贈賄側であるカナックの山田専務が、「俺もやっと四国タイムズに載るようになった」と嘯き認めているからである。
真鍋知事が条例違反に目こぼし
西川県議の不法投棄は許されるのか
先月19日は、香川県の3月議会が始まる日で、10時の開始前にこんなことがあった。
本紙川上が自民党議員控え室にいたところ、真鍋知事と泉出納長が二人連れ添って入ってきたが、本紙の追及が効いているのかこちらを一瞥しただけ。
その直後、入ってきたのが坂出選挙区を地盤にしていた池田長義元県議の後継者、西川昭吾県会議員であった。
やはりこちらを無視して通り過ぎようとしたから、本紙川上が怒鳴った。
「何年、議員をしているのか、…朝の挨拶もできないのか」と。すると西川議員は「いま、2期目…」と言って本紙川上を威嚇する目付きで睨むではないか。
「暴力団をバックに動いとったら許さんぞ…」
本紙川上もはしたないが、それにはこんな理由がある。
むかし、本紙の追及記事に業を煮やした池田長義・県議親子が、川上の殺害を若林ワ組長に依頼、そして、平成12年1月号の本紙を発送した後には、念を入れて殺害の催促までしていたのである。
「そっちでせんのなら、よその組に頼む」(若林組で川上を襲撃しないのであれば、ほかのヤクザに頼む)
それから1週間ほど経った平成12年1月19日夜、本紙川上が運転する家族同乗の車を、若林組の山中敏勝が鉄パイプで襲撃したのである。
この池田長義、純一親子の後継者が、西川昭吾となれば本紙としても看過する訳にはいかないではないか。
池田元県議は議員のバッチを、息子が社長の産廃処理会社である「ブルージャパン」に悪用し、県外から持ち込まれた不法投棄を県から「目こぼし」させていた。深夜、阪神方面から運び込まれる産廃運搬トラックには、得体の知れない土壌汚染を招く産廃も含まれていたようだ。
若林組の絡みで倒産したブルージャパンを継承したのが、西川県議が経営する「新光開発」となれば、産廃ウオッチャーの本紙からすれば、真鍋知事の動向と共に関心を持たざるを得ない。
なぜなら、「県外産廃持ち込み禁止」の条例を、県議のバッチで「目こぼし」することになれば、真鍋知事が西川県議に便宜供与していることにもなるからだ。
泉出納長を副知事にさせるには、真鍋知事からすれば「目こぼし」はお安いことだ。
森田・元代議士に脳梗塞の噂
アル中の原因、佐伯明浩の責任を問う
先月に入って、本紙川上に一本の電話が入った。
「川上さん、元気。あんたのとこ、大平先生と仲良しだったんでしょ。…娘婿の森田のピンちゃん、脳梗塞で倒れたよ…」
ピンちゃんとは、森田一、元代議士のことではないか。
本紙川上も尊敬する大平正芳先生は、郷里が同じ豊浜の旧和田浜。父や伯父は大平兄弟とは先輩後輩で、特に伯父は大平先生の初陣の時、選挙の婦人部長を務め、「この大平は、先では日本の総理大臣になる男である」と、声を大にして応援していたそうな。
その大平先生の娘婿の森田氏が脳梗塞で倒れたとなれば一大事である。
本紙川上もこの情報の確認を試みたが、曖昧な返事ばかり。もしや緘口令ではと思っていた矢先の3月3日午後10時過ぎ、南古馬場のビルから森田一元代議士がお供2人を引き連れて、待機中の自家用車に乗り込んだ。
乗る前には見送るママに手を挙げて挨拶。酒のせいかすでに赤ら顔であった。
芳子夫人からも深酒を控えるように注意されている、もしも噂のように脳梗塞にでもなったら取り返しが付かないではないか。
「だれだ、ピンちゃんに深酒を教えたのは」
犯人が分かった。
なんと森田一元衆議院議員の秘書をしていた「佐伯明浩」ではないか。
さて、この佐伯明浩なる人物について調べてみよう。
仕事よりも酒と女が大好き。アルコールはビール一筋。一度若い頃には結婚したが、酒と女で家庭が崩壊。森田代議士の晩年の数年間は東京事務所の責任者。夕方4時頃にもなれば森田代議士を頻繁に酒場に連れ出し、6時ともなれば酒に溺れた状態で、決まって店内で「雄叫び」。ほかの客から苦情が殺到し、店から出入り禁止を言い渡される。
森田代議士の引退後は運輸省で知り合った赤沢衆議院議員の秘書になるが、酒癖の悪さが発覚しお払い箱になった。
東京ではすでに酒癖の悪さは有名で、ほかの代議士からも総スカン。しかたなく地元に帰り、この4月に行われる地方統一選挙の県議選に出馬するという。香川は一体どうなってんの?