意外や意外!『悪の構造』の扉を開く鍵
本紙が掴んだ新情報 拳銃は池に沈んでいた
「確かに驚かされましたね。あの情報には…。あの一件は、私たちすら掴みきれていないものでした」。
警察庁の最高幹部は、深く溜息をついた。全く、感慨深げな溜息である。
本紙先月号における次の記事を読んだときに同庁幹部連中が一様に漏らした溜息である。
「拳銃を見つけたぁー」
県道、いわゆる新田街道から久米池に投げ捨てたという犯人の証言を基に、拳銃の捜索をしていた香川県警のスキュウバーダイビングの一人が、石積み洗堤近くでこう叫んだ。
捜査員10人ほど、うち潜水3人が捜索を始めてから二日目の発見である。
「弾が入っとるが」
県道で待機していた捜査員が、発見されたばかりの拳銃を手渡されつぶやいた。
本紙川上はこの話を、久米池水利組合のMさんから先月初めて聞いた。〜中略〜
出頭した森以外にも襲撃に関与した若林組関係者がいたのは間違いないようだ。(平成19年7月号本紙から抜粋)
「この記事を見たとき、私は不覚にもそのとき座っていた椅子から滑り落ちそうになりましたね(笑)。不甲斐ない話ですが、この情報は、私たちにとっても全くの初耳、でした。目を剥いた、というのは、まさにあの記事を見たときのことでしたね。長い警察官僚生活においてもあれほど驚いたことは過去、ありませんでしたよ…。
四国タイムズ及び川上氏に驚かされたのは、これまでにもありましたが、今回はちょっと度が過ぎる(笑)…」。
苦笑しながらそういう幹部氏である。それでもその目は真剣そのものだった。ここに引用した前号の記事は、それほどの衝撃を警察庁に与えたのである。ことに、約二年以上かけて行っている、『オリーブ・オペレーション』の実行側だけに、その衝撃は相当強かったらしい。
一糸乱れぬ阿吽の呼吸 しかし衝撃、「拳銃を見つけたぁー」
「オペレーションは、これまでにも申し上げてきたように、非常に順調に進行してきています。四国タイムズ社主、川上氏との阿吽の呼吸がこの順調さを支える屋台骨だったのです。自慢するわけではありませんが、この阿吽の呼吸は、これまで一糸乱れぬパーフェクトなものでした。もっとも、それは、川上社主の当方側の空気を正確に読んでくれているところに多分に依拠したものではありましたがね、当方が川上氏に、少々甘えていたところは否めませんが…(苦笑)。
まあ、まあ、それでも、双方最善の努力を続けているわけで、それでオペレーションが順調に進行しているわけです。
ところが、今回の、「拳銃を見つけたぁー」≠ナ始まる(前段引用の記事を参照)あの記事は、私たちの驚きを一手に買ったわけですね。これはいわば、前進の驚きですから、この驚きによって、我々と川上氏との、無言且つ阿吽の呼吸が乱れることはありません。むしろ、その呼吸はより足並みをそろえる要素ではあるわけですが、それにしても、一瞬は、当方の動悸が乱れたことは確かです(苦笑)」。
この最高幹部がここまで興奮したことはかつてないと言っていい。それだけ、あの記事のインパクトは強かった、というべきなのである。
「ただ単に、あの事実、つまり池から拳銃が見つかった、という事実だけでは、それほどの衝撃があるわけありません。その裏にある一連の事件の核心部に衝撃を感じたわけです」(同)。
これはどういう訳であろうか? 池から拳銃が見つかっていた、ということが、警察中枢において未知の事態だったわけである。それだけでも、すっぱ抜かれたならば、大きな衝撃となり得るのではないのであろうか? しかし、そのことよりも、この幹部は、『一連の事件の核心部に衝撃を感じたのです』、というのだ。
この部分は具体的にどういうことなのか。
特殊なる探索 香川県警の闇の一派・闇のルート
「それはですね、まず、あの記事のここのところを、もう一度読んでみてください」、そういって、この最高幹部は、例の記事の一部を指さした。
それは、実は先ほど、筆者が敢えて、〜中略〜とさせていただいた部分である。以下に引用しておこう。
《Mさんによると、昨年(平成18)3月7日夜、本紙川上が若林組の森から発砲された後10日ぐらい経った出来事だという。犯人が拳銃を久米池に投げ捨てたと証言、そこで香川県警が池を捜索するので立ち会いを引き受けたそうだ》
「これですよ。確かに池に拳銃があった、という新事実だけでもショックではあるのですが、ここに書かれている、 『犯人が拳銃を久米池に投げ捨てたと証言』し、『そこで香川県警が池を捜索するので…』、というところです。ここの部分が私たちの驚きの声を引き出したのです」。
新事実以上に、もっと彼ら警察中枢を驚かせたもの、それはここに引用した部位だという。これには具体的な説明が必要であろう。
「具体的に申しましょう。まず、犯人が、『久米池に(拳銃を)投げ捨てたと証言』、というところ。いいですか、このような重大な情報について、我々は香川県警から受けていないのです。
イヤ、正確に言いましょう。
香川県警の現場がいちいち我々に細かな報告をあげる必要はありません。しかし、我々は現在進行させているオペレーションの真の実行者ですから、こと川上氏に直接関わる事件については、香川県警のある部局(※この部局に関しては絶対に明かされることはない。国家機密のレベルのインフォメーションということである)を通じて、微に入り細にわたって、それこそ日夜、報告されるのです。
しかしですよ、この情報は、全く、一切、我々に上がってこなかったのです。これは、すなわち、香川県警の直属部局にも、全く上げられていなかった、ということになるわけです。もっといえば、この池の探索は、ある勢力の全く単独の行動、ということになる。県警の了解を得た、正式なる探索ではなかった、ということに、直ちになるわけです。正式なる探索であれば、直属部局が未知なわけはあるわけないですからね。どういう形で探索の予算をひねり出したのか、そういう細かなことは目下、全く判りませんが、いずれにしてもここには大変な陰謀が隠されているということになる。こうなると必然ですよ。意図的に探索を行った、というわけです。
しかも、その探索のきっかけは、犯人の証言、ということになっている。おかしな話です。犯人がそうした証言をしたという事実はこれまで一回も出てきていない。これは明らかに立会人(M氏)に対する方便だったのでしょう。意図的な探索をするほどですから、こんな方便はいくらでも作り上げる。ましてや相手は、捜査等々には全くの素人ですからね。いとも簡単に納得してしまうでしょう。無理もないところです。そこまで見越して、単独の探索を香川県警の一部筋、つまりオペレーションのターゲットはしたわけです。
これが我々にとって、大変な衝撃だったのです」。
真剣勝負の間合い 堪えきれなくなった腐敗組
これは全く大変なことであろう。まさしく戦慄すべき事実といっていいであろう。
この警察庁最高幹部の言葉を幾度も反芻してみよう。それを何度反芻しても、出てくる結論は同じなのである。
つまり、
あの事件(森被告を主犯とする、川上氏銃撃事件)は、すべて、香川県警と犯人側、つまり、若林組との間で綿密なる計画を練って実行されたものである、ということなのだ。
「そのようなことはすでに判りきっている、と思われるでしょう。事実そうなのですから、それは当然ですよ。しかし、我々としては、その定着していた実態の、真の物証をこの事態で掴んだのです。私たちが、腰が抜けるほど驚いた、という意味がおわかりでしょう?」。
確かにそうであろう。この池の探索という行為にそれだけの濃厚な意味が隠されていたのである。
「その探索の実行者、並びに指揮者、それはもちろん、有力OBも含まれるのですが、この特殊なる探索(!)で、その影の一部をクッキリと現しましたな! 動かぬ証拠を自ら暴露してしまったわけです。この特殊なる探索をきっかけにオペレーションの進行度は加速することだけは申し上げておきましょう」。
この最高幹部が言うには、「結局、相手は、真剣勝負の間合いに堪えきれなくなって、早まった。これで勝負あった」、というのである。
本紙前号のこの記事のインパクトはこれから大変な動きを見せ始めるに違いない。
「しかし、いつも最後の詰めのところで、川上氏に、行くべき道を示してもらうことになりますなぁ。『Walk this Way!(こっちの道を歩け!)』、というイディオムが英語にはありますが、川上氏には、それをいつも肝心なところで言われていますね」。
そういいながら、最後までその目は真剣に空を見つめていた。
オペレーションの完了はもはや近い。ただ、本紙は、ひたすら我が道を行く。
カネに物言わすイオンの姿勢
民主党・岡田の政治利用はタブー
綾川町のイオン出店規模は、敷地面積が約12ヘクタールと大規模な開発計画のため、県は全庁組織の県環境・土地利用調整協議会を開くなどして、平成17年8月から今年の5月28日まで計画内容を関係法令に照らしてチェックする事前協議を行っていたが、造成開発を許可した。
イオン側は同日、都市計画法に基づく開発許可申請を県に申請。これは、1万平方メートルを越える大型店の場合、郊外出店を規制する改正都市計画法が今年の11月に全面施行するので、イオン・西松建設が、法の盲点を突いた「駆け込み出店」であることは間違いなかろう。
民主党の党首を笠に着る 「内閣を動かしても許可を取る」
イオンは、資本金が約2千億、店舗数は国内外に4百を抱え、民主党・岡田克也元代表の兄の岡田元也氏が、社長を務める会社であることをまず押さえてほしい。
今年4月にイオン高松ショッピングセンターが、香川県高松市郊外の香西さぬき浜街道沿いにオープンした。
さらに一ヵ月も経たない時期に、今度は丸亀市に近い綾川町にも同規模を出店すると発表した。
「一体、イオンはどうなってんの」と、本紙川上は思わず本音を口走ってしまった。
というのは先に、イオンの権力を笠に着た高松市一宮地区への強硬な根回しを目の当たりにしていたからである。
それを見かねて本紙が、開発を阻止するキャンペーンを張ったのは言うまでもなく、地元商店街の再開発に向けた取り組みに横槍を入れるのかと、当時、開発反対の立場を鮮明にしていたのである。
それでは、イオンに、高松市近郊の一宮地区を断念させた本紙を紹介しよう。
平成13年9月号・「ジャスコの新店開店を阻止しよう いま、なぜ、開発しようとするのか 高松市の農地調整区域」
平成14年1月号・「ジャスコ、高松南部の出店をねらう
県農協の手助けはおかしい」
高松市南部の市街化調整区域内に、大手スーパーのジャスコが出店すべく、目下、激しい動きを見せている。
ジャスコは、調整区域内の約三万坪という広大な農地を借地して大型店を新築し、平成17年の春にオープンさせたいとしているようだ。もしも、この計画が成功したら、広々とした農地が一挙に消えてしまう。またもや、みどりと自然環境の喪失になる。
また、地元スーパーや小売店を大きく圧迫するばかりではない。現在、都市再開発事業を進めている高松市内の中心的商店街にも影響する。
ジャスコの計画を支援しているのが県農協と知って驚く人も多い。
農協は、本来、農地と農民を守るべき立場にあるのではないのか。
当初は、香川県経済連・経営管理部の黒川室長、県農協の谷正典農住課長がジャスコの手先のように動いていたが、本紙に追及されたためなのか、現在は一宮支店の支店長が走り回っているようだ。
なお、地権者との交渉において、ジャスコの幹部は、「当社は、内閣を動かしてでもオープンさせる」
と大見得を切ったとか。これに類した言動も多々…
事前協議を無視した県行政 地位を悪用、池田親子が裏金を捻出
漁業法の中に内水面漁業調整規則があるので、綾川町のイオン出店事業を請け負った西松建設は、当然に、直接関係のある淡水漁業を営んでいる漁民との事前協議が必要になるはずである。
ところが、綾川町に店舗出店のために大規模開発を申請していたイオンは、正式に事前協議を必要とする坂出綾歌淡水漁業組合を無視して香川県から造成開発の許可を取得していた。
これはどういうことなのか。
平成13年9月にも本紙の紙面で指摘したように、イオンから交渉を任された西松建設が、またぞろ同じ様に「内閣を動かしても、…山口組を動かしても」と、大見得を切って不当に開発許可を香川県からもぎ取ったのだろうか。
本紙が調査したところ、「やっぱり」と頷けた。
五代目山口組若林組、故若林ワ組長の舎弟であった池田長義・池田純一親子の関与。
池田長義氏は、イオンの開発敷地に隣接した北条池の理事長であるから、藤井賢綾川町長と組んで開発を牛耳り、金儲けを企むことはほぼ間違いなかろう。
4、5年前にも、北条池の浚渫や堰堤の工事を、池田理事長名義で西松建設に発注していたから、裏金を捻出するのは容易なことに違いない。
息子の池田純一氏に、倒産したブルージャパンを復帰させれば済むことで、協力者には生コン会社の「坂陸生コン」がいるではないか。
収監という人生の因果
男の生き方、小島会長が緊急入院
先月の連休明け、本紙川上に一本の電話が入った。匿名である。
「あんたが追い込んだ小島会長が、薬飲んで、市民病院に救急車で担ぎ込まれたよ」
一瞬、なにを言っているのか分からず、よく聴いてみるとこういうことであった。
平成17年秋、右翼の小島会長が、国分寺町で起こした恐喝未遂事件で坂出警察署に逮捕された。その後、2年余りの実刑が確定されたが病気などを理由に収監を逃れていた。
ところが、収監を逃れていた間も、仕事を取るために丸亀の石材工事会社と組んで香西イオンを脅していたというのである。
本紙川上は、「小島会長を追い込んだなど、ひと聞き悪いことを言わないで下さい。本紙は、公的な問題にまつわる事実関係をただ記事にしているだけなんですから…」
と、電話の主に応えた。
本紙も小島会長の逮捕にはある意味関わっただけに、早速に取材してみた。
すると、小島会長の収監日が7月10日と決まり、それを嫌った小島会長が、一週間前の3日に睡眠薬を多量に飲んで高松市民病院に救急車で担ぎ込まれたということが分かってきた。いまは集中治療室から一般病棟に移され一命は取りとめたというから、本紙川上も安心した。
それにしても、小島会長と言えば、一世を風靡した大物右翼会長ではないか。脇信男さんが現役の高松市長であった時、小島会長が自身のマンション建築費の借り入れで住宅金融公庫から融資を受ける際、連帯保証を脇高松市長にさせたことは本紙既報の通りである。やっぱり、大物右翼会長でも刑務所には行きたくないのかと、改めて分かった。
そうすると、若林組の広沢や腐敗警官らの策謀で冤罪逮捕された近藤秀三郎氏の場合どう説明すればいいのか。
近藤氏が収監される前、高松国際ホテルで本紙川上にこういった。
「満期であれば3年と40日、身体を浄化してくる。病院の先生は2、3ヵ月ずらして少しでも涼しくなって収監されてはどうか、刑務所の中では40度からの高温になるから、身体には堪えると言ってくれてはいるが…、決まったのならしゃない、こっちから行って来る」
本紙川上は言葉を失っていたが「力不足で申し訳ない」と、やっと応えた。
平成16年7月22日に収監。
そして近藤秀三郎氏は、3年近く経った平成19年6月28日に出所した。
香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その52)
権力の悪用が腐敗捜査を可能にした
先月19日、高松高検検事長に着任した有田知徳氏(59)が記者会見を行い、
「従来の求刑の相場などに流されず、被害者の苦しみや処罰感情を検討し、…国民の視点に立った職務を行いたい」「市民が司法に参加することは、今後の日本において極めて重要」と語った。
本紙川上は、先に着任した松浦地検検事正が表明した、「真相に即した適切な処理を行い、暴力団などによる組織犯罪など市民生活を脅かす事件に適正に対処したい」と、
有田高検検事長の「従来の求刑の相場などに流されず、被害者の苦しみや処罰感情を検討し」に深く感銘を受けた。
というのは、若林組が本紙川上に襲撃を繰り返していた事件も、やっと解決に向け検察の態勢が整ったと感じられたからだ。また有田検事長が、宗像名古屋高検検事長と共に、名古屋地検の検事正を務めていたことがなんとも心強い。
本紙川上への発砲 追い詰められた首謀者は誰だ
平成9年11月29日の夜、若林組の川原豪組員が本紙川上宅に拳銃を発射した事件も、残すとこ時効まで3ヵ月余りになった。人の気配に向けて4発も発射したのであるから殺人未遂罪を適用するのは当然である。もっとも、5発目は暴発して川原自身の右腕を負傷したので、不幸中の幸いか、本紙川上家族が殺害されるまでには至らなかった。
さて、最初の事件から時効が3ヵ月に迫った。そこで有田検事長が着任会見で語った「市民が司法に参加することは、今後の日本において極めて重要」という指摘に沿って、被害者である本紙川上も司法に参加してみよう。
司法改革が叫ばれるようになった原因の一つは、裁判官の世間知らずが挙げられる。
右に掲載した「若林組の本紙川上襲撃事件」の時系列を見て欲しい。
平成9年の@発砲から、平成18年のD発砲まで、これら9年間に本紙川上に襲いかかった5つの事件の内4つは、すべて山口組若林組の関係者であることが歪められているものの判明し、なおかつ法的な処罰もすでに科されている。
これらの状況から、事件が山口組若林組の「使用者責任」を問えると判断できない、真相を推測できないような裁判官では、被害者を守れずかえって犯罪者を助長させるだけではないのか。
それでは、平成18年3月7日夜7時20分に発生した、二代目若林組の森裕之幹部による、本紙川上殺害計画の実行に至る経過を記してみよう。
本紙川上への情報源は、裏社会、表社会、現役から元まで、捜査情報関係者など実に幅広い。それらをまとめるとこうなる。
平成16年9月29日、本紙川上が五代目山口組組長と二代目若林組篠原組長ら4人を使用者責任で神戸地裁に提訴した。丁度1月後の10月29日、五代目山口組執行部からの働きかけで、本紙川上は、渡辺組長の使用者責任訴状を取り下げた。その時期は平成16年11月12日、最高裁が山口組トップに使用者責任を認める判決を下す直前であったから、本紙の取り下げの意味は非常に大きい。二代目若林組篠原組長ら3人の裁判はその後も神戸地裁で続いた。公判の回数を重ねる度に追い詰められたのは若林組と癒着関係にあった腐敗警官の一派。
堪らず一派が動いた。
まず、香川県警の元刑事部長であった川元、黒川が、愛媛の山口組直参Y組に足を運んだ。
平成18年1月、二代目若林組篠原組長が六代目山口組の中四国ブロック長であった淡路の侠友会寺岡会長を2,3度、相談に訪ねた。
平成18年2月6日、二代目若林組篠原組長が組長秘書の森裕之に、使用者責任を逃れるための工作として破門状を出した。
平成18年3月7日、破門状を出された森裕之が、殺害の目的で本紙川上に拳銃を発射した。
二代目若林組の森裕之が、本紙川上の殺害に失敗した後、山口組の中四国ブロックから淡路がはずされた。
大阪府警の5百人態勢で六代目山口組本部を捜索する様子が、テレビで放映された。
高松地裁10人訴訟に一本化
神戸地裁・六代目の訴状は取り下げ
先月30日、本紙川上が神戸地裁に提訴していた六代目山口組組長と、六代目山口組の二つの使用者責任の訴状は取り下げ、すでに提訴している高松地裁二代目若林組10人訴訟にと一本化した。
なぜなら、これら二つの裁判は、若林組と癒着していた腐敗警官らを引き摺り出すための手段で、すでにその必要がなくなったからである。
本紙川上は、今月号一面に掲載した東京からの原稿で、国の捜査機関・オリーブオペレーションが、香川県警腐敗組と若林組との『悪の構造』の実態である物証を掴んだことを知った。
本紙の7月号一面に載せた、
「若林組の発砲、謎深まる 久米池から弾入り拳銃を発見」の記事が、どうもそれに貢献したようだ。
本紙川上が、五代目山口組組長と二代目若林組篠原組長ら3人を神戸地裁に使用者責任で提訴したのは平成16年9月29日であった。その後、盛力健児会長の尽力で、五代目渡辺組長の訴状だけを取り下げた。取り下げ時の交渉で、本紙川上の気持ちや考え方は
次のような内容でテープに収録しているはずだ。
「日本の背骨である公務員が腐れば日本は滅びる。アウトローで生きる若林組と公務員である香川県警の警官が手を結び、捜査放棄や冤罪捜査を繰り返すのを放置するわけにはいかない。本紙川上を襲撃した若林組組員と共犯の関係にある香川県警の腐敗警官を抱いて自首させて欲しい」
今、この本紙川上の肉声テープは、神戸の山口組本部にあるはずである。
その後平成17年夏、山口組組織も五代目から六代目へと代替わりがあった。
そこで本紙川上は、二代目若林組篠原組長の親分である六代目の注視の中でしか複雑な事件を解決する道はないと判断し、六代目を神戸地裁に提訴したのである。まさか二代目若林組篠原組長が、保身のために六代目を楯にするとは考えも及ばなかった。
佐長彰一弁護士の正体
暴力対策委員長が暴力団に手を貸す
先月9日夕方、佐長弁護士から突然本紙川上に電話があった。最初、誰だか分からず電話に出たが、佐長弁護士と分かったので一方的に断って電話を切った。その後、続けて2回も電話が鳴ったが伝言メモにして出なかった。
というのは、平成18年12月号「本紙の代理人を卑劣な手口で封殺か」「恣意的に懲戒処分を悪用か 日弁連が見抜いた生田弁護士の立場」
「冤罪捜査の餌食 若林組・腐敗警官・腐敗弁護士が連携」、平成19年1月号「腐敗の暗部に弁護士・暴力団・警察の姿が」などと佐長弁護士の好からぬ記事を本紙に掲載していたからである。
何かが起きている、何が起きているのだろう。本紙川上もこの時期、権力を自在に操る佐長弁護士の術中に嵌るわけにはいかないではないか。
さて、佐長弁護士がなぜ、「捜査放棄や冤罪捜査」と、自在に権力を操れるのかについて本紙も調査をしてみた。
金融財政事情研究会が発行した「佐長彰一先生喜寿記念危機管理の法理と実務―民事介入暴力対策の新たな地平」から抜粋する。
【佐長彰一弁護士のプロフール】
▽昭和55年、日本弁護士連合会民事介入暴力問題対策委員会委員長
▽昭和58年、香川県人事委員会委員長
▽昭和61年、警察庁警察官定数研究会委員
▽平成2年、警察庁暴力対策研究会委員
▽平成10年、危機管理研究会代表幹事就任 現在に至る
本紙川上がザッと目を通しただけで、佐長弁護士が権力を自在に操ることが可能であることが頷ける。まして香川県の人事委員長まで務めていれば、香川県警の人事で桑嶋、神谷、川元、黒川などを刑事部長に就任させて捜査放棄や冤罪捜査をさせることなど容易なことであろう。
さてそれでは、本紙川上が若林組から襲撃された当時の実質的な捜査方針を決める責任者を特定してみよう。
平成9年11月に川原豪が発砲した当時、平成12年1月に山中(木村)敏勝が鉄パイプ襲撃した当時に絞ってみる。
両事件に関与して、平成9年度から平成14年度までの警備部長、高松北署長、刑事部長は川元純一。
鉄パイプ襲撃事件が加わった時の、平成12年度から平成14年度までの高松北署長、刑事部長は黒川俊雄。
「川元・黒川コンビ」が、本紙川上の事件を潰していたことが明確になってきた。
増田前市長の退任直前人事
「泣いて馬謖を斬る」非常さが必要
「高松さんさん荘」の汚職事件や、また、増田市長が直接に関与した「あかね荘」を立ち上げたのは、当時の横田純一教育長である。
先月29日、参議院選挙も終わり、安倍総理の自民党が大敗した。赤城農林大臣の更迭の遅れが、安倍総理の不甲斐なさというイメージを国民に抱かせる結果となったことは周知の事実である。
さて、これらを踏まえて我々の高松市はどうか。大西高松市長には、本紙の5月号に目を留めて欲しいものだ。
「増田市長退任前の人事に異議あり 塩津消防局長・草薙総務部長のポスト」
(中略)
大西秀人・新高松市長が、不穏な増田市長の問題を引き摺らないためにも、このどんでん返しに仕掛けられた本質を迫ってみよう。
昨年の9月議会で退任を表明した増田前市長は、任期までわずか6カ月という市長の職務期間中、職権を悪用して矢継ぎ早に市組織の再編、副市長1人制、それに人事権のある総務部長などの人事を断行した。動機は捜査からの回避を目論んだ悪あがきである。
本紙川上は、大西秀人・高松市長に言いたい。
辞職する直前に増田市長が敷いた人事は不適任である。
増田前市長の捜査回避という個人の不純な動機から人選された人事は、高松市民のためにはならないということだ。
大西市長は、増田市長から禅譲された市長ではない。
増田前市長の不純な擁護 横田教育長と住谷主幹の更迭は必然
それでは、先月号でも本紙で触れた、
「大西高松市長の告発義務横田教育長の職務放棄に問題あり」を掘り下げてみよう。
6月議会でこの問題も取上げられたが、事実関係の中で本質の捉え方が的をはずれ、上滑りでごまかされた状態で不祥事が収拾されたようだ。
先月25日付の朝日新聞によれば、
「3人を懲戒処分 高松市美術館のプール金」
…この問題は、同館が06年度の3特別展で余った計約170万円を市内の製作所にプールしていたもの。23日までに全額市に返還されている。
市人事課などによると、公金を不適正に処理したとして美術館美術課の主幹(52)を減給10分の1(6ヵ月)、また、監督に適正を欠いていたとして上司の美術館美術課長を減給10分の1(3ヵ月)、馬場明美文化部長戒告とした。また、横田純一教育長を厳重注意の処分とした…とある。
ところで、最初に本紙が高松市美術館の不正に目を付けたのは、脇市長時代からで、セシールの脱税対策に応える形で高価な美術織物を寄附として受け取り、金額を水増しした証明書を高松市が発行していたということであった。
今回の高松市美術館の不祥事は、当時の体質をそのまま引き摺っているのではないだろうか。
それでは、いま浮上している不祥事以外についても触れてみよう。
平成18年5月、住谷晃一郎・高松市美術館美術課課長補佐は、「森ビル・森美術」の主催する8日間ドイツ旅行に招待され、本庁には内緒で参加した。それに気付いた横田教育長と増田市長は、「領収証を持ち帰れ」と牛野課長に指示して住谷課長補佐へ国際電話を入れさせた。そのころは増田市長も「高松さんさん荘」汚職事件で神経質になっていたからであろう。
帰国後、住谷課長補佐は「森ビル・森美術」の領収証58万円を発行させた。その後、増田前市長は、なぜか辞職する直前に住谷課長補佐を擁護して主幹に昇格させた。
大西市長に言いたい、住谷主幹の学芸員20年以上は不祥事を招く温床であると。
教育部長→消防局長→環境部参事
高松市の粗大ゴミ・塩津参事の処分を
増田前高松市長が、塩津政春を今まで高松市政の中枢に登用していたかと想像すると、今さらながらゾッとする。
そうであろう、高松市の将来を託す子供たちを育てる教育部長にこの男を据え、当時、部下の既婚女性職員にはセクハラ、また、金銭面ではタクシーチケットの使い込みとくれば本紙の追及を受けるのも無理もないはずだ。
ところが、当時の増田市長は、本紙の追及や右翼の街宣抗議を市長自身が避けるため、よりによってこの男を高松市民の財産と生命を守るはずの高松市消防局長にと送り込んだのである。
さて、塩津高松市消防局長が誕生して困り果てたのは、消防団員や消防局職員であった。それはそうであろう、県の災害ヘリコプターでは遊覧飛行を楽しむは、決裁権を持った塩津消防局長が金銭的な不祥事を巻き起こしたのは周知の事実である。
しかし、塩津のご乱行も増田市政での話しで、5月から新しく高松市の市長になった大西市政では許されるはずもない。案の定、8月から消防局長という肩書きを取上げられ、環境部減量担当参事に降格されてしまったのである。
ところが、である。
塩津参事が8月から着任した上福岡町にある環境部で、今、ひと悶着が起きている。
塩津参事の言い分は、
「俺は参事で偉いのだから個室を用意しろ、応接セットも用意しろ…」である。
本紙川上は、今、改めて言いたい、
「塩津環境部減量担当大臣さん、なにか勘違いしていませんか。あなたが頼りにしている増田市長は、いますでに市長ではありませんよ」
塩津教育部長、そして塩津消防局長、さらに塩津環境部減量担当参事への本紙の追及もほぼ間違いではなかろう。
大西高松市長が、高松市の財政難を解決するには、粗大ゴミ・減量担当大臣を処分するしかあるまい。
カナックの大西社長が会長に
増田前市長のネコババ3億を返還せよ
本紙は、平成15年に高松市が行った官製談合について繰り返し報道してきた。この官製談合で鹿島・カナックから捻出された3億円は、いまだに増田高松前市長側に手渡されたままである。
こんな記事を見つけたので参考にして欲しい。
《奈良県生駒市は3日、公共用地取得をめぐる汚職事件で、背任と加重収賄の罪で起訴された前市長の中本幸一被告(70)が、緑化事業のコンクールで市が獲得した賞金1千万円を着服していた、と発表した。職員に指示して賞金を架空団体名義の口座に入金させていたという。市は「本人から謝罪を受け、全額が弁済されている」などとして、刑事告訴はしない方針…》
(平成19年8月4日付朝日)
それでは次に本紙の平成19年2月号を見てみよう。
「鹿島・カナック異常な入札の軌跡 円藤元徳島知事も関与か官製談合」
まず、増田市長のネコババ3億円を捻出した、高松市から発注された官製談合の工事内容を明確にしておこう。
▽開札日、平成15年8月20日。
▽工事名、中部バイパス第1幹線工事。
▽予定落札金額、36億3千8百50万円。
▽落札業者、鹿島建設・飛島建設・カナック。
(中略)なるほど、鹿島が徳島県の工事を受注するには、カナックを抱いて、カナックにも利益を分配しながら営業を展開するという窮極の公共工事受注作戦があったのだ。
(後略)
この本紙記事の影響が早くも出て、「鹿島建設」出身の大西カナック社長が会長に、山田専務が社長になった。
高松市に3億円の返還を!