無言の連動、いよいよ最終段階へ! 『すべてにおいて、時代を予兆していた。 川上四国タイムズ社主襲撃事件、今からでも遅くない』。 司直、渾身の思いを今、現実のものに!
「これ以上の布陣は考えられません。オペレーション最後の一撃は、二〇〇八年の初頭を飾ることとなるでしょう」。 自信に満ちた表情で語るのは、警察庁のさる幹部である。もう説明の必要もないであろう。我が香川において検察、警察、あるいは国税庁などの司直と、金融当局の一大連合体による、一斉大掃除=Aすなわち、名付けてオリーブ・オペレーションが発動されてそれなりの時間が経過した。オペレーションの成果は、最初こそ、我々の目に見えないものであったが、そこここにおいてその結果が見え始め、今年に入ってその勢いはグンと加速度を増した。 香川県警の腐敗構造を曝き、地元暴力団若林組の酷い実態を白日の下に晒し、それまで香川上空にのさばってきていた彼らの戦力をまさに壊滅状況に追い込んできた。 「それはもちろん、四国タイムズの先導があったればこそ、なのです。もとよりこの醜い実態は、四国タイムズ社主川上氏が憂慮し、そのうえで紙面で痛烈に非難糾弾したところから我々が知るところとなったわけです。それはむろん市民の皆様も同じだったはずです。そのうえで、川上氏は、数度の大変な襲撃を受けてしまうこととなりました。 マスコミ人として、王道を極めようとしていた人に向かって、それを暴力で封殺しようとした彼らは断じて許されるはずもない存在になりました」。 これがやがてはひとつのモチベーションを司直に与えることとなり、やがてはオリーブ・オペレーションの発動となっていった、という経緯は本紙読者ならば十分に知っていることであろう。
「オペレーションが発動されてから、驚いたことに、川上氏を襲ったときのような銃撃事件が頻々と起こるようになりました。例を挙げたらきりがありませんから、ここではそれは省きますが、川上氏への銃撃事件はいわば現在の我が国が抱えている銃社会を予兆したものだったようです。これはまさしく憂慮すべきことですが、予兆という観点から眺めると、(銃社会への)対処という点で、このオペレーションの意義はある、ということになるわけです。オペレーションにおいては、若林組の武器庫の洗い出しや、拳銃の密売ルートなども丁寧に洗いましたからね。そういう意味では、オペレーションの網を張った地域、つまり香川、徳島、そして愛媛などは、拳銃への対策強化が為され、(銃撃事件が多発する)九州などよりは、危険性はかなり減じてきていると思います。 思いもよらない余録というべきか、怪我の功名というべきか、ちょっといい言葉が思い浮かびませんが、川上氏襲撃事件の成果はこんなところにも出ているのです」(先の幹部)。 確かにこの言葉通り、今や我が国は銃の恐怖に、なんの障壁もなく晒されるような事態に陥ってしまった。昨年末、佐世保で発生したスポーツクラブでの散弾銃乱射事件、その前には、九州の最有力暴力団同士の抗争があり、一方の組の会長が銃の前に斃れた。伊藤一長長崎市長も銃殺事件であったし、愛知県や東京都下では、末端の組員がやはり銃を使って襲撃、並びに立てこもり事件を引き起こしている。これらは、なにも十年以内に起きたものなどでは決してなく、ここ一年以内に起こった事件である。幹部氏曰わく枚挙にいとまがないというのは、まさにその通り、といわざるを得ないのだ。 しかしながら、史上最大級のオペレーションであるオリーブ・オペレーションのキッカケになった川上氏襲撃事件は、すでに発生から十年余りが経過している。死の恐怖にさらされた川上社主は、ずいぶん以前からこの銃の恐怖を実感していたのだ。 「まさしくそういうことです。故に川上氏銃撃事件は、やはり今の時代を予兆していたといっても過言ではないでしょう。 その意味で今初めて明かしますが、目下大変な頻度で発生している銃による凶悪事件への対処は、それより十年余りも前にその恐怖を実感した川上氏襲撃事件をひとつのモデルケースとして、捜査なり解決の糸口の発見などに役立てているのです。つまり、川上氏襲撃事件の時に培ったノウハウが今起きている銃撃事件の対処にそのまま使用されている、ということなんです。 これは非常に画期的なことで、オペレーションの積み上げはこういうところにも思わぬ効果をもたらせているのです。もっともその大半は、銃で襲撃されても我が道を貫くために危険を承知で敵≠ノ立ち向かってきた川上氏の精神性(スピリット)によって支えられていたわけですけれどね。 そりゃそうでしょう、一度の銃撃で川上氏が萎えてしまっておれば我々はあの事件から恐らくなにも学ぶことはなかったでしょう。イヤ、ああした事件に巻き込まれれば誰だって一度で十分、一度でその気持ちは萎えてしまうはずです。川上氏の場合はそうでなくとも御家族まで巻き込まれるような事態となったわけですからね。しかし川上氏は萎えなかった、そこで自分が目指した道の変更をしなかった。だから、我々は来るべき銃社会への恐怖への対処も速やかにできたのです」。 これこそオペレーションのひとつの大いなる成果といって差し支えないではないか。川上社主は、そこで、オペレーションの実働部隊とのいわば、『無言の連動』を邁進していくわけです。これこそ、まさしく、阿吽の呼吸、といったところかもしれない。事件を通じて、新しい事件の抑止力に繋げる。川上社主は、それだけの痛み≠越えてきている。それを十分に掬い込み、そこから丁寧に新しい事件への対処の礎を築く。この連動は、いかなる計画性に基づいたプランでも成就できないであろう。 なぜならば、川上社主は、その後も、立て続けに、今起きている銃の恐怖を味わわされる事件に対峙しているのだ。
さて、そういうなかでも、オペレーションは川上氏との『無言の連動』を積み重ねながら、着々と進行しているようである。 「ひとつの結果を新年初頭に持っていきたいと思っております。オペレーションの成果は様々なところで上がってきています。しかし大きな動きとしては、香川県警や若林組などのいわばターゲット≠ノ現れて来るはずです。 また、行政面でもその成果は上がってくるはずですよ。むろんのことですが、その具体的なことをここでお話しすることはできません。オペレーションの関係者が、タイムズの愛読者であり、また、香川とその周辺の浄化を願う市民の皆様が、同じようにタイムズの愛読者ということは、ターゲット¥伯Nはもとより、誰もが知っていることですからね(笑)。その取材に、我が方の手の内を見せるというのはチョットね…(爆笑)」。 確かにそれは然り、であろう。ただ、オペレーションがついに、新年明けを飾る、という方向付けは重要であろう。おおきく変わっていく我が香川が新年から見ることができる、ということである。それは願ってもないことであろう。 「私たちの『無言の連動』者、素晴らしきパートナーである川上氏を取り巻く状況は確実に変化していますね。これまで川上氏が追及してきていた様々な事案が、どんどん明るみなって問題化、あるいは事件化してきています。そのことは愛読者である我々は当然ですが、市民の皆様もひしひしとお感じなっていることだと思います。我々はあくまで黒子、この状況をもっと広めていくために、昼夜分かたずに努力しているのです。もちろんそれは川上氏との歩調を合わせながらですよ」(同)。 ここで言われるように、以前から四国タイムズで川上社主が追及してきた、香川銀行がらみの様々な不祥事、あるいは、香川県国保連の不倫騒動という醜聞事件などは、その典型と言って差し支えないであろう。 前者香川銀行においてはついに労働基準局が家宅捜査に踏み切った。前代未聞のことである。一方香川県国保連の件については、中央の老舗月刊誌が連載を始め、大きな反響を呼んでいるという。年金問題が目下炎上している我が国においてその反響は当然のことかもしれない。幹部氏が言う、『これまで川上氏が追及してきた様々な事案がどんどん明るみになって問題化、あるいは事件化してきています』、というくだりはまさしく上記のような事例を指している。 二〇〇八年が明けた。我が四国タイムズは、これまで通り、『無言の連動』者となってオペレーションの総仕上げを支えながら、自らが定めた王道を邁進していく。そこにはわずかな変化もないのだ。
《…昭和57年2月、浜谷情報調査部長が経営に関する問題点を指摘し、改善を要望したところ、これに腹を立てた川井社長は、浜谷部長を二ランク下の事務副部長に格下げした。続いて、58年8月の臨時取締役会において、理由もなく植田専務・営業本部長をヒラの取締役に降格。 この二つの格下げにさすがの銀行内部も騒然となり、浜谷氏を中心にして職員組合の幹部が血判までして刷新の火の手をあげた。…》 これは、本紙が最初に香川銀行を追及した、平成6年9月号の「香川銀行は金融界の伏魔殿か」である。 もちろんこの本紙を届けに、入院していた浜谷氏を伊達病院に見舞ったのは言うまでもない。ベッドで本紙を読み終えた浜谷氏は、 「このままでは、死んでも死に切れない、川上さん、香川銀行の刷新はあんたが引き継いで欲しい…」 本紙川上が、浜谷氏の遺志を引き継いだ瞬間である。 その後、一ヵ月ほど経った10月16日、浜谷氏は帰らぬ人となったのである。 本紙川上が香川銀行の刷新に力が入るのは、浜谷氏の遺言も大きな原動力となっているのは間違いなかろう。 さて、26年前に香川銀行の刷新を誓った血判状の思いは、一体どうなったのだろう。 血判した11人の思い、すなわち、香川銀行の刷新を心から願った人たちの思いは脈々と今も生きているのである。 それでは、香川銀行を心から心配している、健全な勇気ある行員からの投書を紹介しよう。
(前略)以前より御社が当行を糾弾している記事も、インターネットで拝見しています。私の知り得る限りにおいての御社記事は、100%近い信憑性があると皆が認めています。信憑性が高いからこそ、当行は記事内容についての反論ができない状況に陥っているのです。 当行内部においては、御社記事の影響からかコンプライアンスの徹底等、業務管理体制の強化が図られています。当行が御社記事を一つの糧として、本来金融機関があるべき姿へと変貌しつつあるのではないか、と淡い期待を持っていました。しかしながら今回発生した事項について、当行の処理手法は大変に理不尽なものであり、又社会的に決して許されるべきことではありません。又関係者の処分についても当行の機関決定がなされてすでに処分済となっており、ことの詳細が当行外へ漏れ出ることはありません。体よく言えば、当行が臭いものに蓋をして当行自身を守ったのです。 今回の件にて、当行における自浄作用が機能しないことが残念ながら証明されたので、御社のペンの力にすがるしかありません。今回発生した事項及び当行が実施した事後処理のあらましを記事として、当行行員・当行顧客・当行株主・地域住民・当行を管轄する金融庁へ周知することにより、強固な自浄能力を有する本来の香川銀行へ戻していただきたいのです。
今回発生した事項について 平成19年11月に、当行の芳地淳代理が懲戒解雇となりました。解雇理由としては、丸亀支店・高瀬支店に勤務していた約8〜10年前に、両支店の顧客へ自己資金を一時的に融通していたというものです。平成19年8月に融通を受けていた顧客が、現在の担当行員へ口を滑らして判明したのです。決して他の顧客の顧客預金を流用していたものでなく、自己の資金を融通していたものであり、当時には該当顧客も納得していたようです。約8〜10年前といえばコンプライアンスという概念も薄く大なり小なり顧客への便宜は図っていたようです。当時事項を、蒸し返され懲戒解雇になるならば、現在当行に在籍している45歳以上の行員は居なくなってしまいます。時代が違い又自己の資金といえども、金融機関に勤務する者が決して行ってはならない浮き貸しをしたのですから、ペナルティーを受けるのは当然です。しかしながら懲戒解雇は厳しすぎます。この厳しい処分についてことのあらましを知り得た行員の間では、ことが大きくなる前にとかげの尻尾を早目に切ったのではないか、と噂しています。 御社もご存知のとおり当行は金融庁より、コンプライアンス関連にて二度の業務改善命令を受けています。万が一、三度目の業務改善命令を受けるとすれば、現経営陣は刷新されトップに天下り役人を受け入れざるを得なくなります。この異常事態を回避する為に、当行が四国財務局・香川県警本部へと根回しとし、早期に該当行員である芳地代理を懲戒解雇としたのです。根回しについては、今回の不祥事は決して表沙汰にしない代わりに当事者の処分は厳しいものとする、との内容であったようです。 ところが当時の芳地代理の管理責任者と言うべき上司達の処分は、ずいぶん軽いものです。つまり当行は芳地代理の首を四国財務局へ差し出し、当行及び当時の上司達に対する厳しい処分を免れたのです。10年近くの前のことで単に事が表面化しただけで懲戒解雇処分とし、又上司達の管理責任を強く問わないとは、香川銀行も地に落ちたものです。 上記詳細から判断して、いかに今回の関係者の処分が甘いか、又該当者の懲戒解雇処分がいかに重いかがご理解いただけると思います。 何故か、理由は明白です。 人事本部長である本田専務及び人事の実務者である山口部長代理が、関係者として処分に該当するからです。 過去の不祥事における関係者の処分例を参考にするなら、本田専務は引責辞任・山口部長代理は懲戒降職が妥当な処分です。本田専務及び山口部長代理は、人事本部長・人事の実務者として芳地代理に懲戒解雇という厳しい処罰を下し、これをもって四国財務局・香川県警本部との交渉カードとして活用し三者間の合意へと導き、同時に自らも軽い処分で完了させたのです。 当行は金融庁から、すでに二回の業務改善命令を受け、コンプライアンス重視の経営を標榜してきた筈です。 現職の担当役員が又人事の実務者が自らの監督責任処分を甘くする代わりに、該当者を生贄・御供えばりに切り捨てるとは。四国財務局・香川県警本部も、本来当行を指導する立場ながら当行のお手盛り処分の片棒を担いだ結果となったのです。 当行にある行内通報制度を利用した内部告発とするのが本来でしょうが、相手が代表権を持った専務であり、人事の実務者です。現在の当行の体質では、告発しても済んだこととしてウヤムヤにされるのは明白です。よって御社の力で当行行員・当行顧客・当行株主・地域住民にことのいきさつを知らしめていただき、今回の関係者の処分が正しいものかどうかを世に問い、香川銀行の改革に役立てたい…。
平成19年度、11月議会閉会の12月14日。 香川県議会議場の傍聴席に腰を下ろした本紙川上は、わが目を疑った。そこに見たのは、理事者側最前列、右端に本紙が追及している小川和彦元香川銀行専務が座っているではないか。 もっとも現在の肩書は、香川銀コンピューターサービス会長・香川県経済同友会代表理事、香川県行政への参加は、真鍋武紀知事から任命された人事委員としてである。 傍聴席にいた本紙川上に気付いたのか、小川人事委員は顔を赤らめ、俯いてしまった。 それはそうであろう。香川銀行常務時代には若林組の隠れ事務所であるタクト21に、若林ワ組長を訪ねているのだから。それも、若林組のフロント企業である井坪建設の不正融資の件で。 香川銀行のカネをむさぼっていた若林組が、その井坪建設への不正融資を調査し始めた本紙川上封殺に傾くのは火を見るより明らかではないか。 まして、不正融資をした香川銀行の小川常務から泣きつかれ、その上、香川県警OBの山田一郎氏が香川銀行の顧問であったからなおさらだ。 要するに本紙は、小川人事委員が議場の理事者側席に座るのは断じて看過できない。
真鍋知事は、香川県民を愚弄しているのか、と思わず叫びたくなる。 というのは、小川人事委員のすぐ隣に香川県警本部の山田本部長が座っているからだ。 この光景を目の当たりにした本紙川上は、真鍋知事の差し金で山田県警本部長の隣に小川人事委員を配置したと直感した。捜査に熱心な山田本部長のすぐ脇に小川人事委員を配置して引き合わせるということは、事件潰しのための一手と解釈せざるを得ないではないか。 幸い山田県警本部長は、隣の小川人事委員の存在には意に介せず無視、熱心に議会答弁に集中していたので今では捜査に支障あるまい。 さて、本紙川上がこれほどまでに神経質になる理由をまとめてみよう。 【三竦み】(「関尹子」に、なめくじは蛇を、蛇は蛙を、蛙はなめくじを食うとあることから)3者互いに牽制し合って、いずれも自由に行動できないこと、と広辞苑にある。 この本来の牽制し合うはずの立場が手を組めば一体どういうことになるのか。一言でいえば、香川県の実態は「三竦みの同居」と言わざるを得ない。 イメージからすれば舞台の構図はこうだ。 香川県警・暴力団若林組・香川銀行(融資、選挙管理委員長、人事委員)・香川県(警察官は県の職員)・香川県弁護士会。これらのトップらが手を組んでいたのが香川県の実態である。蛇となめくじと蛙が同居して酒盛りをしていたとは、「香川県民を馬鹿にするのも、いいかげんにしろ!」と言いたくなるではないか。 さてここで、香川県の捜査放棄と冤罪操作を可能にした重要な役割の部署を紹介する。 それは、真鍋武紀・香川県知事が会長の「暴力追放運動推進センター」 この暴追センターの存在が、じつは、表社会と裏社会を繋ぐ秘密の通路、すなわち「けもの道」であったのだ。 客観性を確保するため、佐長彰一先生喜寿記念『危機管理の法務と実務』を引用して説明する。 まず、桑嶋健・暴追センター専務理事の「暴追センターの現状と今後の課題」 《(前略)【暴力追放相談活動の成功要因】香川の暴追センターは、設立当初からあまりにも恵まれた環境でスタートした。その成功要因は、日弁連民暴委員会の初代委員長佐長先生のご尽力によるところが非常に大きいといえる。 その一つは、民暴弁護士14人の全員が暴追センターの相談委員を委嘱されたことである。(後略)》 当初、暴追センターの相談委員弁護士は、わずか2、3人の予定であった。それを当時の島田県警本部長に無理強いして、全国でも珍しい14人もの弁護士を相談委員に押し込んだのである。県からの予算を多く取り込んだので、それだけ佐長弁護士の発言権は強くなったのは言うまでもない。まして県の人事委員長であった佐長弁護士の権力はとてつもなく肥大していく。 ここで最悪の弊害が。 警備畑の川元、黒川らが、マージャン外交を武器として香川県警の刑事部長に抜擢されたのである。もちろん捜査放棄と冤罪捜査を携えて。 本紙川上の事件はここから発生し、潰され、近藤秀三郎氏の冤罪捜査はここで仕組まれたのである。許せない。
川原「二代目もワシらから、カネばっかり吸い取って、これが親ですか。先代の姐さんも、先代が死んで組とは関係ないのに、なんだかんだと、ワシらを使い、カネにきつい事ばっかり言うてきて、やってられまへんわ」 松下「おい、あんまり大きな声で言うな。ワシやってえらいわ、組の者もみんな愚痴ばっかり言うとるわ」 川原「おじき、もうウチの組、もてまへんで、ワシらどうなりますんや」 松下「このまま行ったら、組はもう終わりや。お前も先のこと考えないかんで。ワシは、もう考えてるわ」 川原「えっ、それどういう事でっか」 松下「ワシは、よその組に兄弟分がおるから、ちゃんとレース組んでるわ」 川原「おじき、ワシも頼んまっさ」 2年足らず前、二代目若林組松下浩文・舎弟頭補佐と川原豪・本部長補佐が飲み屋で密かに交わした会話である。 六代目山口組本部の慶弔委員に就任した二代目若林組篠原組長が、カネを幹部から吸い取る額が増えたので堪らず本音を吐露したのだろう。 確かに最近、事態は進行したように見える。 川原豪が実質オーナーの金融業「グローバルファイナンス」も平成18年11月で県登録は更新切れ。名義貸しの松本啓助社長もやる気をなくしているのではあるまいか。
法廷で、古市修平弁護士から裁判に直接関係のない安西氏の家族までもが人身攻撃された。その後遺症は取り返しのつかない事態にまで深刻さを増している。 古市弁護士に名指しで攻撃された安西氏の娘さんを診察した三野クリニック(精神科)の先生は、 「これはひどい、仕事ができる状態ではない。4、5日休んで自宅で療養しなさい…」と専門医からの診断を施したというではないか。 また経緯を知っている夫人は、ショックのため健康を害し、ドクターストップで離職せざるを得ない状態に陥り、今も回復の見通しは2人とも立っていない。 なぜ事態がここまで深刻になったのか。 理由は、古市修平弁護士の法廷闘争の「封じ手」に問題があるといわざるを得ない。 この質問状をまず示そう。 《四国銀行高松支店長殿 さくら不動産(濱井潤一)は元々右翼系の会社と私どもは認識致しておりますが、四国銀行高松支店の認識はいかなるものでしょうか。世間は暴力排除の気運が高い中、貴行は半公共的な企業でありながら、一方では、このような企業に多額の融資を行い利益のみを追求をしているのか、それとも、このような企業に何か弱みを握られ融資を行っているのかとしかみえない。この点に付いて回答を求める。 また融資の仕方も何か不自然であり、相当な大きな弱みを握られているとしか私どもには見えない。そのような問題があるのであれば、一日も早く解決して健全な銀行に戻ることを望みます》 大阪市で暗躍する山口組系右翼・日本玄洋社の顧問である橋爪勝治が「さくら不動産」に嫌がらせの圧力を掛けている質問状である。 要するに、さくら不動産の代理人である古市弁護士が、さくら不動産・濱井社長に嫌がらせをしていた橋爪を味方に抱きこみ、さくら不動産側に都合のいい証言を法廷でさせていたということである。 おまけに、宅建業法違反で逮捕され懲役2年執行猶予5年の刑を言い渡された、池浦聖智元町会議員までも抱きこんで悪用するとは、弁護士としてあるまじき行為である。 訴訟相手の安西氏には、右翼暴力団の偏見を被せ、依頼人の敵対する相手である右翼暴力団や詐欺師を都合よく悪用するとは言語道断である。 香川県宅建協会の顧問弁護士としても看過できない。
「よかったということにせないかんでしょうけど、家庭とかトータルで考えると何とも言えない」 最後の記者会見で、市長になってよかったか? との質問に、増田市長はこう答えざるを得なかった。 記者の質問もよりによって相当に意地の悪い質問をしたものだ。 それはそうであろう。 辞めたくもない市長職を、本紙の追及によって辞めざるを得なくなったのだから。 もっとも、四国タイムズに辞めさされたのではなく、司直の動きを心配して辞めたのではあるのだが。 さて、増田昌三氏の高松市長を辞める選択は正しかったのかどうか、について記す。
この新聞記事を見て驚いた。 「鹿島・所得隠し6億円 キャノン工場受注絡み」 大手精密機器メーカー「キャノン」の大分市内のプリンター関連機器工場建設をめぐり、工事を受注した大手ゼネコン「鹿島」が下請け業者への外注費を装って裏金を工面していたとして、東京国税局に約6億円の所得隠しを指摘されていたことが分かった。うち約5億円の使途について鹿島は最終的な支払先を明かさなかったため、使途秘匿金として制裁課税を受けた。経理ミスなども含めた申告漏れの総額は三十数億円で、同国税局は重加算税などを含めた約3億円を追徴課税した模様だ。(07年12月11日付朝日) 本紙が追及している増田昌三・前高松市長の「鹿島」絡み疑惑と、全く本質が同じではないか。 次に、本紙の平成19年2月号を見てみよう。 《「増田市長のネコババ3億円を返還せよ 鹿島・カナックが官製談合で裏金を捻出」 『鹿島・カナック異常な入札の軌跡 円藤元徳島県知事も関与か官製談合』 まず、増田市長のネコババ3億円を捻出した、高松市から発注された官製談合の工事内容を明確にしておこう。 (中略)これら3回の摩訶不思議な軌跡にどこから説明を加えたらいいのであろう。本紙も増田市長のネコババ3億円を追求するうち、高松市政の、いや香川県政の腐敗を構築する鉱(人)脈にぶち当たったようだ。 奇妙なことに気付いた。 やり直しを繰り返した3回の入札とも、鹿島・カナックの名が消えない。これは何なのか。鹿島においては執拗にカナックを抱いて共同企業体を組んでいる。たとえ鹿島自身が営業停止処分を喰らっても大切に大切にカナックを抱いて入札に参加している。痛々しくて見ておれないくらいだ。 さて、ここら当たりに秘密が隠されているのではないだろうか。 やはり、あった。鹿島がカナックを丁重に扱っていた原因が分かった。 なるほど、鹿島が徳島県の工事を受注するには、カナックを抱いて、カナックにも利益を分配しながら営業を展開するという究極の公共工事受注作戦があったのだ。 種を明かせば、円藤・元徳島県知事の存在ということになる。コトデンの故大西潤甫社長の妹は、元運輸省官僚から徳島県知事になった円藤氏の妻、そしてカナックの大西大介社長とも姻戚関係にあたる。さらにカナックの大西社長は、増田市長とは高松高校、早稲田大学、香川県人会寮と、同コースを進み、切っても切れない関係にあったのだ。 「驚き!」の一言である。 この人脈をたどれば、全てのことが紐解けるでは…》 これは、1年ほど前の記事。 なぜ本紙が、大分県・香川県(高松市)・徳島県にここまでも強くこだわるのか、それについて触れてみよう。 平成14年3月4日、徳島県の議会開会直前に円藤寿穂知事が東京地検特捜部に逮捕された。この事件を主導したコンサル会社「業際都市開発研究所」の尾崎光郎氏こそが、大分県の「鹿島、所得隠し6億円」絡みで裏登場するコンサル会社「大光」に出資している人物その人ではないか。 裏金提供の指南は、徳島・香川・大分と伝播したので、今度は大分から香川に飛び火するのか。検察に期待する。
平成5年8月、児玉勇一寒川町長の後を広瀬正美氏が無投票で町長の座に就いた。児玉町長と厚生族の藤本代議士の蜜月関係を引き継ぎ、広瀬町長はマネージャの且l国・古瀬幸司社長を介してナサコーポレーションの野崎社長と知り合うのである。 老人福祉事業の流れは時代の要請を受け、広瀬町長の独断場であったことは間違いない。そこに目を付けたのがナサコーポレーションの野崎社長。この一期目に広瀬町長と野崎社長の仲は、周囲が目に余るほど急速に癒着を深めていくのである。 それを裏付けるように、平成9年の高木茂・元町会議長との一騎打ちとなった二期目の町長選挙には、野崎社長が広瀬町長に6千2百万円もの選挙費用を注ぎこんだようだ。 ところで、昨年暮れの12月21日、高松地裁では旧寒川町長広瀬正美被告の判決公判があった。それによると、菊池則明裁判長は、旧寒川町の在宅健康管理システム事業をめぐり、契約で便宜を図った見返りに2百万円のわいろを受け取ったとする事後収賄については懲役1年、執行猶予3年、追徴金2百万円の有罪を言い渡した。また、一方の虚偽有印公文書作成の罪については、「会計実務として適正でないとしても、内容は真実であり、虚偽の文書に当たらない」と無罪にした。 この判決は、事実誤認である。なぜなら、6千万円からの選挙資金は、広瀬町長の便宜供与を見込んで野崎社長が提供したからであり、また、虚偽有印公文書作成についても木村伊都子課長の役割からすれば虚偽の公文書作成は明らかである。
意外とこの本紙「三木町は高松市と合併を」が、香川県の改革にとって重要な役割を担うのではないかと、最近なんとなく感じてきた。 要するに、三木町出身の真鍋知事が、三木町を香川県では「特別扱い」をしているのではないかと思われる事実が、異常に数多く見受けられてきたからである。 さて今回は、10年ほど前の平成9年、石原町長の借金返済するために大胆不敵にも町長の権限を悪用した私的な利益追求の話を紹介しよう。 三木町駒足に石原町長の屋敷がある。その南東側に隣接した急勾配の2万8千uの土地(牧場・畑・山林・田)で、昔、石原町長が養豚業を営んでいた。今では、写真のように進入道路を整備した、頂に「し尿の一時貯蔵・廃棄物の仕分け」をする三木町クリンセンターの施設がある。 今回問題にするのは、この土地売買に関する町長の疑惑。 それはそうであろう。 買い手がつかなく持て余していた石原収・個人の土地を、公人である石原収・三木町長が高く買取ったのだから。 売買金額は、1億9千2百万円で、uにすれば6千8百円だが、ほとんどが急勾配の法面であるから実際に使える有効面積は半分にも満たない。 となれば、有効面積からすれば坪単価が3万近くにつく。 三木町内の前川不動産鑑定士が売買金額を決定したようだが、鑑定評価は水増しの競争抜き疑惑の価格と取られても仕方がなかろう。 梨花の下で冠を正さず、だ。 次回は、平成20年度事業の三木町下水道東部最終処分場(下高岡・八戸)について掲載予定。