即・真鍋武紀氏に香川県知事をやめてもらいましょう
真鍋武紀氏に暴力追放センター会長をやめてもらいましょう
木村義雄氏に衆議院議員ををやめてもらいましょう
小川和彦氏に県人事委員をやめてもらいましょう
水本勝規氏に県会議員をやめてもらいましょう
石原収氏に三木町長をやめてもらいましょう
香川の改革はマスコミ先導 捜査のモデルはウオーターゲート事件
オリーブ・オペレーションは、ひとつのモデルケースをノウハウの奥底に潜ませていた!かの米国で起きたあの大疑獄事件。メディア先行で、やがてトップのクビを取る。
オリーブ・オペレーションの担い手である、おなじみの捜査当局首脳がいう。
「ここまで来ました、だから、当方のタネをひとつ明かしておかなければ、見識高い、『四国タイムズ』読者の方々は、まあ、納得して戴けないでしょう」。
こう言って、ある国際的大事件の名前を口にした。そして、その事件の簡単なおさらいをしておいて欲しい、という。
「私たちはある時からその事件をモデルケースにして、オペレーションを進めてきました。その大きな理由は、事件の内容もさることながら、その展開の具合なのです。勇気あるメディアが先行してその事件は始まったわけですよ。そこから、警察や企業、あるいは議員同士、あるいは行政などの悪事が明るみになり、やがてはトップそのものの大悪事が明るみになった。そこに至るまで先導したのは、われわれのような捜査当局ではありませんでした。そう、メディアでした。今回の件で言うと、(四国)タイムズですよね。そう、その具合が、今回とまったく同じなのです。
結局、トップは、最後には表舞台から去っていった。むろん、涜職の汚名を着て、です。
繰り返しますが、私たちはこの大事件をモデルケースにしています。その世紀の大事件と今の香川での大事件は、全くの異口同音ですから。
それだけに、この最後の展開の前に、われわれがモデルケースに使った世紀の大事件をタイムズ紙上で簡単におさらいしておいてくださいよ。それは、我が香川も、同じ結果となっていくという意味も含めてですからね。なにしろ、そういう意味では、タイムズ、いや、主役は、四国タイムズ社主川上(道大)氏なのですから。やはり、おさらいしておく義務もあろうかと思いますが(笑)…」。
そのオペレーションがモデルケースにしていたという世紀の大事件というのはなにか?
今から四半世紀上も前に米国合衆国で起きた(一九七二年発生)、かの、『ウオーターゲート事件』がそれなのである!
この事件は、メディア先行の事件として有名だが、それ故か、その後映画にもなり、アカデミー賞まで取った。
「今の香川の事件も、すべてが終わったあかつきには、一本の映画に記録しておいてもいい、とわたしは考えますがね」。その首脳は、そういうのだ。
何故、この大事件をモデルケースにしているか。勇気あるメディア先行はむろんのことだが、その他の大きな理由は、ディープ・スロートの存在である。
まずは、ここでネタを明かす前に、首脳のリクエスト通り、同事件の概要をここに引用しておこう。
ウォーターゲート事件(英語:Watergate Scandal, もしくは単に"Watergate")とは、1970年代に起きたアメリカの政治スキャンダル。リチャード・ニクソン大統領の辞任に結びついた。事件は、ニクソン政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に、不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入したことから始まった。当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場をとったが、ワシントン・ポストなどの取材から次第に政権の野党盗聴への関与が明らかになり、世論の反発によってアメリカ史上初めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態となった。
(※事件の関連事項)「ディープ・スロート」
審問の過程で、マッコードがCIAの元局員で大統領再選委員会の警備主任であったことが判明する。ワシントン連邦地方検事局(アール・J・シルバート主任検事補ほか)はマッコードとCIAの関係の調査を始め、彼が大統領再選委員会から何らかの賃金を受取っていることを発見する。同じ頃、ワシントン・ポストの記者ボブ・ウッドワードは同僚カール・バーンスタインと共に独自の調査を始め、事件に関する様々な事実を紙面に発表した。内容の多くはFBIおよび他の政府調査官には既知のものではあったが、ウォーターゲート事件に対する世間の注目を集めることとなり、ニクソン大統領やその側近を窮地に立たせる結果となった。ウッドワードによって「ディープ・スロート」と名づけられた内部情報提供の素性は本人(当時のFBI副長官であったマーク・フェルト)が2005年5月31日に告白するまでウォーターゲート事件におけるミステリーとされていた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
上記のように、かの有名な国際的(あるいは歴史的)疑獄事件、ウオーターゲート事件は、オペレーション首脳も指摘するように、メディアが火を付け、結局最後まで主導し、ついには大統領のクビを取った、という経緯をたどっている。メディアとはワシントン・ポストのことであるわけだが、この点について、今回のオペレーションとの同一性を首脳は指摘するのだ。
マスコミ主導の捜査 ワシントン・ポストの記事が大疑獄に
「わたしは、オペレーションの指揮を執っていて、ふと思い出したわけです。このパターンは、わたしの記憶の片隅にあるものだ。そのときからわたしは、その記憶を探り始めました。そして、その記憶に辿り着きました。キャリアの警察官僚が一度は学ぶ(勉強する)過去の重大事件、そのなかにそれはありました。それが、ウオーターゲート事件でした。この事件が、『今回のオペレーションとそっくりじゃないか』、そう気付いたのです。
特に、ふたつの点が、両事件に相似性をもたらせました。ひとつはマスコミ主導、という点です」
捜査当局のなかでは、捜査は経験から、という言葉があるという。経験とは自分が積んだものだけではなく、過去の事件という意味も含まれるそうである。その意味で、過去に学んだ事件から、現在手掛けている事件の手がかり(捜査手法も同様)を見つける、というのは、優秀な当局の常道といえるという。
そこで見出した、過去の事件、それが今回のオペレーションの方向性を決めた、というのだ。ウオーターゲート事件というモデルがあったのだ。その大きな理由が、メディアの主導だという。
たしかにいろんな文献を見ても、かの大疑獄事件は、ワシントン・ポストの報道が最初から最後まで主導していた。時には、報道に対する妨害もあった。また、捜査当局そのものが報道を妨害したり、報道を否定したりしたこともあった。当然、報道のターゲットとなった側、つまり大統領側などは、同紙(ワシントンポスト紙)に対して、妨害をし、また、報道は真実でない、というようなことを盛んにアピールしていたものである。
それでもメディアは負けなかった。そして、最後は、メディアの勝利となったのだ。
「どうですか?今のオペレーションと違いますか?まったく同じではありませんか?(四国)タイムズの読者の方々ならば、そのことは一番よくお判りになるんじゃないですか?
わたしは、この大事件を思い出した時に、思わず膝を叩きましたよ。これだっ、とね。タイムズ社主の川上氏は、撃たれても撃たれても、妨害され続けても、真実を報じてきています。それはいつの時もです。今でも、また未来永劫それは続けられるでしょう。
だから敢えていいます。今回のオペレーションは、ウォーターゲート事件の時と同じです。この言葉の意味を理解してください」。
首脳は思い切ったようにして、この言葉を告げた。それは文字通り、思い切って、という有り体だった。
それは、本紙に対する、これまでの報道への絶対的な真実性の裏付けを言っているのである。その言い方が、思い切って、となるのも、当然のことであろう。
「そう、ウォーターゲート事件時にも見識の高い捜査幹部は、ワシントン・ポスト紙の報道について、あれこれ言わなかった。(報道を)妨害していた連中は、ターゲットとつるんでいた連中でした。最後はそういう連中は自滅したものです。
そういうところも非常に類似性を感じませんか?
満身創痍で身体を張って真実を報道していた川上氏に、ポスト紙記者らとオーバーラップするものがありませんか?」。
首脳の言葉は次第に力が籠もってきている。これらはオペレーション内部への自問の言葉でもあるはずだ。
もうひとつ、ウォーターゲート事件との同一性、というのが、先ほどから出ている、ディープ・スロートの存在である。つまり俗な言葉で言うと、ネタ元、ということだ。
ディープ・スロートの存在 改革を切望した内部情報提供者
「われわれは、今、このディープ・スロートの存在を認めなくてはいけません。これまでも仄めかしてはきましたが、今ここまで来たのですから、そういう存在はいる、と認めましょう。
そして、そのディープ・スロートからは、ほとんど洗い浚い協力という名の下に、聴き取りました。その人にしても、やはりわれわれと意を同じくしていたことがありました。それは、(四国)タイムズ紙と同紙社主川上氏への信頼と期待です。傷だらけになっても真実を報道することを諦めない川上氏への大いなる期待。
これが私たちの共通意識でした。この意識が、オペレーションの進行をグッと早めたのです。このディープ・スロートの存在もやはり、ウォーターゲート事件と同じではありませんか?
だから、わたしはオペレーションの采配方針を、それと気付いてから、ウォーターゲート事件方式にシフトしました。そこにはなんの躊躇もありませんでした。
そして、それが今、実を結ぼうとしているのです」。
すでにターゲットは判っている。そこに今度は、国政にたずさわる者も入ってくると言う。
「それにしても、すでにタイムズが充分報じてきていることです。タイムズはわれわれの軌跡を綴ってもいるのですよ。
但し、ディープ・スロートは、ウォーターゲート事件の時と同じように、すぐにはその名を明かせませんね。四半世紀とは言いませんが(笑)」。
事件は人間が起こすもの、そこに決して古いも新しいもない。ウォーターゲート事件に自ら手掛けるオペレーションの方向性を見出したのは、炯眼意外のなにものでもないであろう。
我が四国タイムズは、これまでの道を驀進するのみだ。
「希少糖」に群がる寄生虫
木村代議士・真鍋知事・石原町長は一蓮托生
「殺せるものなら、殺してやりたい!」
殺気だったこの発言の主は、石原収・三木町長。
このセリフの真意を掴み取るために、当時の背景に触れてみよう。
真鍋武紀氏が、平成18年夏の知事選挙で3期目の当選をはたした後の出来事である。
3期目の真鍋知事は、2期副知事を務めた川北氏を切って泉出納長の副知事就任を目指した。もちろん、泉副知事実現のためには、議会の選任同意が必要。
本紙が、泉・副知事実現阻止のキャンペーンを展開したのは言うまでもない。平成19年1月号本紙の「異常な『香川の腐敗構造』泉・副知事を実現させてはならぬ」などはそれを物語っている。
さて、香川県の平成19年2月議会。
空席が続いていた副知事ポストは、議会事務局長であった高木孝征氏が香川県副知事に就任した。手続き上、議会の選任同意が3月16日に議決されたということだ。
当時の県議会議長は、三木町選出の筒井敏行・県議。
冒頭の「殺してやりたい」発言は、石原・三木町長が筒井・県会議長に対して憎しみを表した発言なのだ。現役の石原町長が、同じ地元の三木町民から選出された県議に向けて発せられたとは、驚くべき言葉ではないか。
要するに、石原町長・真鍋知事・木村代議士らの意中の人物、泉・元出納長が副知事に就任できなかった腹いせに吐いた言葉なのだ。
希少糖と集落排水の相関 助成金・補助金を喰らう構図
石原・三木町長は、筒井議長が邪魔をしたから泉副知事が実現しなかったと思い込んでいるようだ。
しかし冷静に考えて欲しい。筒井議長の反対で、泉・副知事が誕生しなかったかどうかを。まして議長には議決権はない。「本多副知事を実現させてはならぬ」平成10年9月号、「泉・副知事を実現させてはならぬ」平成19年1月号とも本紙のキャンペーンである。
石原・三木町長の矛先は本紙に向けられるべきで、筒井県議ではないはずだ。
さて、本題。
先に本紙川上はこんな話を聞いたことがある。
香川大学の農学部と工学部がそれぞれ希少糖の研究をしている。希少糖を研究して実用化できれば医療、食糧、化粧など多肢に亘って活用でき、量産できれば莫大な利益を得ることができる。希少糖の研究をしていた大学7校ほどが国の助成金申請をした。香川大学も助成金交付の5校に選ばれ、年5億の助成金が5年間交付されることが決まった。
結構なことではないか、ぜひ成功してもらいたい。
ところが、希少糖の話も内容が変わってきた。
「希少糖の研究に参加するため民間企業が争奪戦まで繰り広げた。なにしろ実用化されれば世界市場に進出できる事業である。大塚製薬や丸亀の伏見製薬などが勝ち残った」
最近では、
「国の助成金は終了し、更新は認められない。ランクを落とした補助金で研究を繋いでいる。研究の成果が出ない。実用化の見通しがたたないのなら補助金は打ち切るべき」
など、一時の華々しさは影を潜めた。
ここで、三木町が作成した「地域再生計画」と、本紙連載の「三木町は高松市と合併を」とを見比べて欲しい。
特に、「時期、それに助成金・補助金」の交付申請の理由付けを注視してもらいたい。
なぜなら、「希少糖」と「三木町集落排水」の補助金詐取のカラクリが相関しているからである。
まず「地域再生計画」から。《…「合同会社希少糖生産技術研究所」設立関係者から平成17年11月下旬に山南地区にある旧小蓑小・中学校校舎等を「三木町希少糖研究研修センター」として活用し、三木町を希少糖に関する学術研究の世界への発信基地にすると共に、産学公連携による新しい産業再生への研究拠点とし、同時に、豊かな自然の中で科学の夢を育む科学教育の拠点にしたい旨の打診があり、三木町は平成18年1月23日「三木町希少糖研究研修センター誘致検討委員会」を設置して3回にわたる誘致検討委員会を進めて来た。(中略)三木町と合同会社等が一体となることによって、世界に希なる研究の拠点「希少糖の里」として「三木町の賑わい」が十分に期待できるとの結論に至った。そして、平成18年9月定例町議会全員協議会においてその価値を認め旧小蓑小・中学校への企業誘致と三木町による校舎等改修が全会一致で承認されたところである》
それでは次に、平成20年2月号本紙。
《さて、その石原町長の疑惑に迫ろう。
三木町には、平成17年10月に認可された農業集落排水事業がある。予算は38億余りで平成22年3月には供用する5ヵ年事業。農林省の予算50%、香川県の予算22・5%、残りは三木町である。
この三木町下水道東部最終処分場(下高岡・八戸)の建設をめぐって、石原町長の命取りになるかもと危惧される問題が沸き起こっているのである》
要するに、木村義雄代議士・真鍋武紀知事・石原収町長・石井定夫町議らが組んで助成金や補助金を喰っていたということだ。
幻の泉副知事 真鍋知事の野望に止めを刺す
ここで、本紙の平成19年2月号「真鍋知事が捨て身の布石泉出納長を副知事から知事に」に目を通してみよう。
なぜなら、香川の歴史に重要な影響を与える「希少糖」汚職疑惑を読み解くには、2年6カ月前の本紙を読むことで当時の状況が鮮明に蘇ってくるからだ。
《真鍋知事の独裁政治への布石は着々と打ち込まれようとしている。官僚出身のノウハウを如何なく発揮して小憎らしいほどだ。裏舞台では本紙川上と袂を分けた本多元出納長、山西知事元秘書課長などが支えている構図が透けて見えるではないか。
さて、本紙の先月号
「異常な『香川県の腐敗構造』泉・副知事を実現させてはならぬ」が反響を呼んでいる。本紙のヒット記事の一つであることは間違いなさそうだ。
まずここを押さえて欲しい。
真鍋知事の生まれは、香川県三木町下高岡、現在の三木町石原町長とは同郷で、切っても切れない仲であることは周知の通り。去年夏に行われた真鍋候補の知事選挙では、全県下で総決起大会を開いたのは高松市ではなく三木町だけであったことからしても、その異常さが窺える。
この異常さは何なのか。
この際、もったいぶらずに答えを先に言おう。
香川県の真鍋知事と、三木町の石原町長と、三木町の石井議長と、それに香川県の泉出納長の「密約」である。
それは、真鍋知事の3期目後に、泉出納長を真鍋知事の後継者として禅譲するという、香川県民にとっては寝耳に水の「密約」なのである。
この密約を実現させるためには、3月17日で出納長の任期を終える泉氏を、なんとしても副知事に据えなければならないではないか。「密約」が泉出納長拘りの事情である》
この本紙が止めを刺したのか、県議会は泉出納長の副知事就任を認めず、高木県議会事務局長が香川県の副知事に就任したのである。
香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その76)
若林組が「使用者責任」で六代目を苦境に
平成16年秋、本紙川上が山口組五代目組長らを使用者責任で神戸地裁に提訴してから、すでに5年が経った。
山口組の組長も五代目から六代目になり、本紙川上にとって時代の移り変わりがとてつもなく速く感じてならない。
今となれば、5年前の本紙川上の発言は間違ってなかったのではあるまいか。
「山口組の直参組長には、山口組に相応しい組長を選ぶべきです。任侠道を心得た組長でなければ、将来、使用者責任で本家組長が苦しい立場に…」
これを裏付ける記事を見つけたので紹介する。
《「社会不在」の六代目山口組・司忍組長が提訴された。司六代目が収監されたあとに起きた、山口組系3次団体の組員による「強盗傷害事件」の被害者が、司六代目の「使用者責任」を問い、損害賠償を請求したのだ。昨年施行された改正暴対法を、色濃く反映させたと言える異例の事態の全貌を緊急レポートする!》7月23日付アサヒ芸能
鉄パイプや拳銃で何度も本紙川上を襲撃させた二代目若林組の篠原重利組長は、山口組の直参組長には相応しくないと、この際、断言しよう。
山口組は本紙川上との訴訟を長引かせれば、それだけ六代目組長が苦境に立つということだ。
未解決事件に迫る 麻生太郎秘書官宅への銃撃事件
日本も被害者の重視や裁判員制度の施行を迎えた今、本紙川上も被害者としての務めを果たしていこう。それは被害者でなければ見えない事件の本質を抉り出すことだ。
さてそれでは、本紙川上が、山口組を使用者責任で提訴した平成16年に遡って本紙のバックナンバーに目を通してみる。
【平成16年4月号】
《「麻生大臣秘書官と本紙への相似な銃撃」
JFEの地元対策費を巡るトラブルか川上社主襲撃事件と麻生総務相秘書官宅銃撃事件は繋がっていた!
(中略)1日午前7時25分ごろ、東京都豊島区高田1、麻生太郎総務相の秘書官、村松一郎さん(48)から「自宅の玄関ドアが拳銃で撃たれた」と110番があった。
警視庁目白署で調べたところ、ドアに銃弾4発が貫通した跡があった。(中略)
村松秘書官は、昨年来、本紙が初報道したJFEによるゴミ処理場建設問題に密かに首を突っ込んでいた。これは、全く知られていないことであるが、この問題のさる関係者がソッと証す。
「村松秘書官には、在京のある元代議士を通じて、事態の収拾を依頼しました。事態の収拾というのは、裏金を運んだ人物がその後のケア(※裏金を運ぶ見返りにJFE側からもたらされる表向きの仕事のこと)を実行されなかったために、JFE側を告発する動きを見せたため、それを押さえるために私たちは動いたのです。それの一翼を村松秘書官に担ってもらうために要請に動いたのです。それが結局、遠因となって今回の村松秘書官銃撃事件になったのです」。
裏金をもらって地元の調整を図ったのは、前号でも記したように地元有力暴力団だった。この暴力団が今回の村松秘書官銃撃事件に関与している可能性は大いにあるのだ》
『国会便覧』の平成19年2月号を調べてみた。確かに麻生太郎の政策秘書官は村松一郎とあり、中川直秀の第2秘書は西村晴成とある。
ところが、その後作成された『国会便覧』には、二人の秘書の名前が見当たらない。西村晴成氏は、塩川正十郎代議士が引退した後に中川秀直代議士の秘書を務めていた人物。柔道では淡路の寺岡会長の後輩と聞くから、本紙川上も気になってしかたがない。
ここで、被害者の本紙川上でしか見えない目で、拳銃に絞って事件を整理する。
@、平成9年11月29日、川上宅が拳銃トカレフで4発撃たれた。(犯人は若林組の川原豪=未解決)
A、平成16年3月1日、松村宅が回転式拳銃で4発撃たれた。(暴力団=未解決)
B、平成18年3月7日、川上自身が回転式拳銃で3発撃たれた。(犯人は若林組の森裕之=逮捕)
松村秘書官宅と、川上自身に発射したのは回転式拳銃であったのだ。とにもかくにも、事実解明を期待するのみだ!
高松高裁への陳述書@
六代目山口組・使用者責任の今
平成16年秋、原告が神戸地裁に山口組五代目や2次団体の二代目若林組の襲撃関係者を使用者責任で提訴して、はや5年が経とうとしています。
原告が提訴した時期は、ちょうど五代目山口組組長も別の使用者責任が問われ最高裁の判決待ちでした。この判決前、山口組五代目組長の使用者責任が別途に問われたことを山口組執行部の岸本総本部長が心配して、盛力健児会長を原告との交渉に立てました。真相解明を求めていた原告は、神戸地裁で進める公判中、山口組は原告に危害をくわえないという条件付きで、被告・五代目山口組渡辺組長だけの提訴を取り下げました。
ところが平成17年夏、山口組の組長も、内部事情で渡辺五代目組長から司忍六代目組長に代わりました。もちろん原告は、五代目組長の提訴を取り下げしていた経緯から、新たに六代目山口組司忍組長を神戸地裁に提訴しました。
ですから、原告との神戸地裁においての裁判は、二代目若林組関係者と六代目山口組組長の二つ行われていたことになります。
こういう状況下、原告は、真相解明のために二代目若林組と癒着していた香川県警の腐敗組関係者にも触れて公判では証言をしました。ところが、平成18年3月7日夜、山口組関係者は原告殺害のために二代目若林組組長秘書役の森裕之に発砲させたのです。
神戸地裁では二代目若林組関係者の判決が下され、原告の主張は認められず敗訴でした。原告は、ただちに大阪高裁に第1、第2の襲撃にくわえ第3の襲撃である平成18年3月の拳銃発砲事件も追加して控訴しました。ただ神戸地裁には六代目山口組組長の裁判はそのまま残っている状況でした。
これら複雑な経緯の中、大阪高裁から、
「第1、第2、第3の事件を一括して新たに裁判を起こしてください、そうしないと被告側代理人が納得しないでしょう」
という連絡が原告代理人に入ったのです。
そこで原告は、複雑な経緯だけに新たな事件を一括して審理する方が裁判官にも理解しやすいであろうと考え、高松地裁に六代目山口組組長や二代目若林組関係者9人、合計10人を提訴しなおしたのです。
琴平町と国保連は相関
飲み屋の延長でトップは務まらず
本紙の先月号に「琴平町・国保連の相関関係起きるべきして起きた不祥事と自殺」を掲載したところ、琴平町の読者と思われる人から電話をいただいた。
「山下町長誕生の秘話は、悪いことをこれ以上せんように町長に担ぎあげたらいい」
ということであったようだ。
となれば、そもそも琴平町の百条委が開かれる要因は、山下町長の就任当時から付きまとっていたとみても間違いあるまい。
さてそれでは、丸亀高校から中央大学、そして町議から町長になった人物の背景に触れてみよう。
父親は、S新聞に籍を置き、母親は自宅を兼ねていたスナック「ルミ」のママ。その後、山下町長の夫人も母親の後を継いで「ルミ」のママを務めた。また、山下町長の妹も、同じ琴平町の金倉川横で「フイールン」というクラブを営んでいたから、山下町長を語るには琴平町の夜を抜きにしては語れまい。
スナック「ルミ」やクラブ「フィールン」の常連から話を聞こう。
「琴平町の職員がよく来てました、業者もね。
ママさんに、町長さん呼んでよ、と声をかけたら、山下町長が顔を出し、一緒にワイワイやってましたよ」
「妹のクラブ『フイールン』は、グランドピアノもあって、なかなかシャレてましたね。近くの親分衆もよく通ってましたよ」
山下町長と琴平町の夜は、切っても切れないようだ。
これらを押さえて、高岡副町長の「酒気帯び運転もみ消し」「町長印不正使用・遺書残し自殺」を紐解けば、事件の本質が見えてくるはずだ。
【酒気帯び運転もみ消し】平成16年に高岡副町長が酒気帯び運転で摘発され、罰金20万円の略式命令を受けていた。この事件を山下町長はもみ消しに加担したが、高松地検に請求したオンブズマンの確定訴訟記録から4年目に発覚。それでも山下町長は、副町長を庇い、500万円の退職金までも支給した。
【町長印不正使用・遺書残し自殺】高岡副町長は総務課長だった15年前から町長印を使用。そして、農協への借り入れと返済を総額8億5000万円も繰り返し、8000万円もの使い込む不祥事に発展した事件。不正発覚の3日後、高岡副町長は自殺した。
要するに、山下琴平町長は国保連の理事長でもあるから、本紙の警鐘乱打にも関わらず国保連の改革を放棄したのは山下理事長の責任である。
まして、殺人未遂事件までもが発生すればなおさらだ。
瀬戸内学院の迷走C
清水理事長の疑惑隠蔽は補助金対策
瀬戸内学院の存続を願い、本紙は今年の1月から連載を始めた。その後、清水・三豊市副市長が副市長職を辞して4月から瀬戸内学院の理事長に着任した。
清水理事長の錦の御旗は、
「学院の存続」。
この「学院の存続」の御旗の下では、学院元職員の横領や労働組合法をも無視と決め込んでいる。いや、補助金確保のためには、元横領職員をも隠蔽工作に関与させているに違いない。それも、清水理事長は香川県職員労働組合の元書記長であったにも関わらずだ。
さて本紙は、「瀬戸内学院の健全な存続」を目指してペンを進めよう。
去る7月10日、瀬戸内学院では香川西高校、専門学校、瀬戸内短大の全職員に対して、再建計画についての説明会が開催された。その内容は既に6月20日付の新聞やTVで報道されたものばかりであったが、ただ一つ、注目すべきは負債総額についてである。
マスコミ発表では負債21億1千万円となっていたが、実は26億円であるとの説明がなされた。職員からそれについての質問は出なかった(出せなかった)ようだが、どうして負債総額に5億円もの差があるのか、何故、職員は質問をしないのか、本紙はその背景を取材した。
すると、出るわ出るわ、瀬戸内学院とはまるで疑惑のデパートである。その元凶は本紙が追及してきた石川元本部長だけでなく、最高責任者の清水理事長も深く関与していることが判明した。
この清水邦夫理事長、香川県職員労働組合書記長まで務めた男であるが、「エセ組合書記長、エセ理事長」としか言いようがない。関係者からの証言を紹介しよう。
ある日、職員組合に所属していた短大職員が出勤したところ、机の上に『あなたは退職してもらうことになっている』と書かれた紙が貼られていたという。周囲の職員はかかわりたくないので知らん顔、その職員は精神的に追い詰められ辞表を提出した。それは、清水理事長が本部職員に書かせ、職員の机上に紙を貼るよう強要したのである。本部職員はそのような嫌がらせはしたくなかったが、理事長からの職務命令で仕方がなかったというから、完全なパワハラである。これが、職員を守るべき労働組合の書記長であった男の姿なのか。当然、その職員は学院宛てに内容証明を送付して抵抗したが、清水理事長は「個人的に貸し付けた退職金を返してやる」という条件でこの問題を終結させるようだ。この手口が、先月号にも載せた退職金問題のアンバランスを惹き起したのだ。
また他の職員も、いつ我が身に同じことが降り掛かるかもという恐怖感から、疑心暗鬼でストレスがピークに達しているようだ。本紙川上と今年5月に面談した法人本部長代理は、ストレスから肺に穴があき、5月末でその職を辞した。さらに3月に就任したばかりの短大の学長代理も、「これ以上の嘘はつきたくない」という自責の念からか、同じく5月末で辞任をした。
清水理事長は、自分に高卒という学歴コンプレックスがあるのか大学院卒という職員を極端に嫌っているようだ。
理事長としての権力を誇示し、地位や肩書きを振りかざせば何でもできると考えている天下りエセ組合元書記長・エセ理事長に警告しよう。謀略や権力など力によってねじ伏せた者は、また別の力によって同じようにねじ伏せられる運命にあるのだ。
では、清水理事長が何故そのような行動にでるのか、本紙の取材から検証してみる。
今年2月に三豊市は瀬戸内学院に対して3千500万円の異例とも言える補助金を交付した。当時副市長であった清水理事長は市議会で、「学校を存続させなければならない」「補助金は学院再建のためにのみ使う。給与等の経常経費には使わない」と説明した。そして、上限である3千500万円を一旦は再建チームの弁護士に振り込み、その弁護士から学院の給与振替口座に振り込み直して2月分の教職員給与に充当したようだ。
これは、市議会議員や住民を欺く迂回交付ではないのか。
市民が監査請求をしても市が弁護士に振り込んだことしか判らず、学院の給与振替口座を見ない限り迂回交付の件は表には出て来ない。当然のことながら、再建チームや瀬戸内学院の石川元本部長との連携があればこその芸当だ。
それらを隠すためには、清水氏が三豊市の副市長を辞して瀬戸内学院理事長に就任し、疑惑の当事者である石川元本部長を取り込む必要があった。事実を闇に葬るために、清水理事長が石川元本部長と謀議を繰り返さざるを得なかったというのが実情ではなかろうか。
「過去の不正疑惑については不問。だから知っている事実は口外するな」が石川元本部長を取り込む条件、と本紙はみた。
それらを確認するため本紙川上は、6月19日に行われた瀬戸内学院の記者会見に参加した。そして、「破綻の原因である職員の横領疑惑について、再建チームは真相解明に着手しますか」と、再建チームの塩谷弁護士に質問したのである。
すると案の定、「問題の疑惑は、過去の経緯や時効の関係からして事実の解明には手をつけません。当面、疑惑の事実を解明する予定はありません」という答弁が塩谷弁護士から返ってきた。
本紙川上の質問に焦った清水理事長は、三豊市からの補助金に関する事実を隠すために石川元本部長と共謀、議事録の偽造や書類の辻褄合わせをするとともに、事実を知る職員の排斥と全ての責任を元理事長である渡邊氏に押し付けようとたくらんでいる節がある。先月号でも紹介した市議会議員の議長経験者二名もその事実隠し及び情報操作に加担し、スポンサーである四国学院に対してもそのように報告しているようだ。
すなわち、理事でもあった富士建設社長の真鍋氏と渡邊氏を悪役に仕立て、両者の争いを演出し、職員や世間の注目をそちらに向けようとしているのである。本来、上戸学園時代から瀬戸内学院と富士建設との関係は深く、校舎や寮の建設を随意契約で一手に引き受けていた。そして、長年に亘りその交渉の実務を担当してきたのが、石川元本部長と塚本元理事長であったのだ。ちなみに、平成13年の石川元本部長自宅建設も富士建設で、その癒着ぶりを示す事実も次のように判った。
平成19年10月2日に石川元本部長は富士建設から、個人的に現金3千万円の借り入れ、その金銭消費貸借契約書では、連帯保証人が元理事長の渡邊氏となっている。清水理事長及び再建チームは、この3千万円についても石川元本部長を守るために(95%カットの)一般債権として処理しようとした。ところが、貸主である富士建設は納得せず、当時の理事長であったために石川の連帯保証人となった渡邊氏との争いに発展した。清水理事長らの思惑通りということか。
その意味では、石川元本部長に利用された渡邊元理事長も富士建設も被害者かもしれない。
さらに、3月の民事再生申請時にマスコミに発表した「負債総額23億」が26億円ということになれば、簿外債務を疑われるため、この富士建設の訴えをも上手く利用。富士建設に対する負債が確定していないため、6月の記者会見では「確定した負債は21億1千万円」と発表したのだ。
まったく、清水理事長と石川元本部長の悪知恵には舌を巻く。どさくさに紛れて、一旦支払った退職金を振り戻させた債権について、事実を知る者の債権は労働債権に、知らない者の債権は一般債権にと位置づけ、口封じを行い、一方で石川元本部長個人が借入れた3千万円までもが学院の負債に含められるとは。
これらも、「学院の存続」という錦の旗の下、三豊市の補助金3千500万円についての事実隠しという副産物。
「学院の健全な存続」には事実解明が不可欠だ!
新井・丸亀市長への寄付
宮野病院には公的資金は不適格
本紙に届く新井丸亀市長への投書は、いまだに収まる気配がない。それだけ丸亀市民の市政への関心(新井市長の疑惑)が高まってきたということだろう。
まず、本紙の今年6月号。
《…宮野病院ですが、去年から不可解なことが起きています。同じ病院内にもう一つクリニックを作ったりしました。その目的がクリニックにした方がお金が儲かるからなのですが、当時から医療関係からは認可されることが異常で宮野病院が便宜を図ったのではないか…》
それでは次に今回の投書。
《…宮野病院については宮野院長が毎年高額所得に名前を連ねているのに職員には赤字だと言って給料を減額しているという噂を業界内ではささやかれているようです。
それよりも問題なのは、現在病院の実権を娘が握っていることでしょうか。この人物はことあるごとにヒトを切る(解雇)のが趣味のようで、昨年度だけで宮野病院は首切りが5名以上にあがっております。
それと、宮野病院の横に建っております施設に関してですが、知人が説明会に参加したところ、娘の高慢な説明に憤慨したようで多くの住民は帰ったそうです。
また、医療業界では宮野病院の金満主義は有名です。
ある時期になると、年配の看護婦が入院患者を相手に、お礼(お金)を受け取るために部屋を周っているということさえ聞きました…》