国滅ぶとも正義は行おべし リオン旗揚げ前夜2014年12月
12日の天下分け目の攻防戦。ドキュメンタリー、サムライの白刃に怯える大勲位、かつての親分≠フ庇護に逃げ込んだ首相。すべてを認めた名古屋の風俗王S、そして、反社のトップ!
そして、やんごとなきお方は…!
14日、衆議院選挙投開票――。リオン、リオンジュニアは、『自民党をぶっ壊す!』これからのリーダー宣言!
18日、首長検挙のXデー。オペレーションは万端、首長のスケジュールを掴んだ!
なにも考えていない、あなたはただのダミーですか?政治家として恥を知れ!おぞましき法務大臣の指令。
『これは、間違いなく法律違反、直ちに法務大臣を逮捕せよ!』
激動の2014年の締めくくり。
昨年の師走は、まさしく歴史の転換期だった。本紙は、その激動の渦中にいた。激動の中にはいつだって、本紙社主、サムライがいる。リアルタイムにおける報道というものよりもさらに劇的なのだ。ど真ん中にサムライがいるのだ!これ以上の迫力あるドキュメントはあるまい!
《大勲位の場合》
12月12日――。
この日の虎ノ門界隈は実に騒々しかった。虎ノ門・第30森ビル8階では、野太い声が大きな大きな声が響いていた。
『サムライがそこまできているじゃないか!え?サムライの右手に持っているものが見えないのか?』。
背の高い老人、そう、元首相そして大勲位の中曽根氏が、大きな声で誰にともなく、こんな興奮した言葉を吐いていた。誰にも手が付けられない。何しろ大勲位だ。これを手なずけることができる人間などいるはずもない、サムライを除いたら。
大勲位は繰り返す。
『サムライがオレを睨み付けている。あのこと、そうあのことをサムライは知っているからだ!サムライだけが知っている。あのことを、あのことを、あのことを…』。
まるで、うわごとのように叫び続ける。
あのこと、というのは、まさに大勲位が引退したとはいえ、これまでの政治生命に深い深い傷を残す、大勲位の晩節をも、汚すもののことである。
その大事件については、本紙のあとに詳しく記すこととする。これは大変な事件なのである。あっという間に大勲位が政界より退場しなければならない、それほどの事件なのである。それほどの事件がこれまで、半世紀近く経過するのに、隠され続けてきた、というのはまさしく奇跡である。
その奇跡の上に大勲位はあまりに胡座をかいていた。長きにわたっての蔵匿が、大勲位をして、盲目にしていた。要は、高をくくってしまったのである。
ところが、である。わが、サムライがここにいた、そして、サムライは、その大事件の全貌を知ったのだ!
そのことを、大勲位は、なにかを感じたに違いない。
『サムライは、あのことを知ってしまった…』、
大勲位は、長年の政治的な勘で、サムライ川上が、あの大不祥事を知ったことを感ずいてしまった。だから、12月12日のその日、前述したような錯乱を見せたのだ。サムライ川上が、不正を許さず、知ったからには、その悪を、自慢の白刃で断つ!ことを知っている大勲位は、だからこそ、怯えたのだ。ただでさえ、自分のそばに来る、ということを意識して、虎ノ門ヒルズの高層フロアへの移転を取りやめにしたくらいだ(本紙既報)。
しかし、大勲位は、その日の二日後(12月14日)に衆議院選挙があることを頭の片隅にかろうじて押さえていた。
そして、こう言っている。
『安倍君、いいか、このままでは自民党は勝利するがそれの勝利はある男たちによってもたらされたものだ。これからはその男たちによって自民党はいいようにされるだろう。
その男たちとは、そうだよ安倍君、小泉親子鷹だ!』。
そして、必ずこう付け加えた。
『親子鷹は、サムライがいることで安心して政治に専念できている。今や、親子鷹とサムライが一枚岩になっていて、だからこそあの一大勢力となっているのだ。早く、早く、親子鷹の息子の方を自民党から切り離さないととんでもないことになってしまう!
小泉進次郎を今すぐ、選挙直前でもいい、自民党から切り離せ!』。
血迷ったな!大勲位!かかる大犯罪を犯しておいて、それがサムライに知れたことに感ずくや否や、サムライとスクラム組んでいる小泉親子鷹ことその現役議員の方を切ってしまえ!、と言ったのだ!
それはとりもなおさず、自分の大旧悪がはがされることへの恐怖からの発言なのだ!
いうまでもなく、親子鷹は、本紙においてこれまでも報じてきたが、サムライとは同化し、新しい背骨のまっすぐした日本の創設に血道をあげている。
大勲位はそれを怖れているのだ。だからその、『親子鷹の息子を直ちに切れ』、と安倍首相に命じたのだ。狂気の沙汰とは思えない、この乱心。こうした人間が我が国の背骨をとことんまで曲げてきたのだ。
先の讃岐の首長をめぐる指揮権発動≠ノしてもそうだ!造船疑獄の時に味を占めた大勲位は、原発の生殺与奪の件を握る讃岐首長温存のためにおぞましくも三度も、サムライ川上がついにクビをはね飛ばした、小津前検事総長を使って、指揮権発動を陰から指揮した。
如何に最後の55年体制首相系経験者であっても、これ以上の狼藉は赦されぬ。サムライの白刃にぶるぶる震える大勲位による蛮行は、このサムライ率いる四国タイムズが断固阻止する。
大勲位が、親子鷹息子を切れ!とのたまわった!
しかし、その安倍は、呼べど叫べど大勲位の前に姿を現すことはなかった。かつての平成の指揮権発動≠フ時のように、呼べば間髪をおかず飛んでくるはずの首相は、大勲位の下に来なかった。
《首相の場合》
安倍首相はその時、どこに行っていたか?選挙二日前のことだから、それこそ全国を遊説していた、最後の応援演説をしていた。
それはそうに違いない。
しかし、大勲位が首相を呼びつけたのが、午後8時半のことだった。大勲位は、その日、朝からサムライ襲撃の幻想に錯乱状態だったが、午後8時頃にあった錯乱の波が途切れるかと思うと、8時半頃に首相への勅命を出すべく呼びつけたのだ。
一方の首相は、といえば、その日朝7時半過ぎには富ヶ谷の私邸を出てから、山形や栃木など数カ所の応援に走り回っていた。そして、午後8時15分過ぎ、富ヶ谷の私邸に到着している。
首相は、その時頭が朦朧となっていた。応援演説で最後の力を振り絞ったからか?いやいや、違うのだ。首相は、驚くべきことに大勲位と同じ心理状態にあったのである。
そう、首相も、サムライの襲撃と親子鷹の反乱というリアリティある想念に眩惑されていたのだ。
なぜか?
首相は、応援演説を重ねるごとに、『これは自分に対する声援ではない。
同じ自民党にいる親子鷹息子に対する期待、待望がこの熱気になっている』、ということに気付いたのだ。
それは確かに首相の思いの通りだったのだ。
誰も今の首相などを応援はしていない。親子鷹の息子の台頭にしか期待していない、この実態に首相は気付いた。
この有権者の真の思いを読んだことは、先の大勲位のように、政治家として多少はこなれてきたのだろう。いつも自分が一番くらいにしか思っていなかった首相も少しは進展したものである。その進展も実は、親分だった親子鷹の親が教えたものだったが…。
有権者の真の思いに気付いた、そして、次に首相は必然的にサムライのことに頭が及ぶ。下手に大勲位らの言うことを聞いてこれまでずいぶんサムライの追撃をかわそうとしてきたことに思い当たったのだ。
特に讃岐の首長を五月の連休中に、自分の思い通りになる、東京春帆楼で匿ったこと、そして、そのあとも大勲位と一緒になってその首長を守るために指揮権の発動を法務大臣に促したこと、そして、極めつきは、本紙にズバリ、隠し子≠ェいることを曝かれ、それが他のマスコミにまで発展してしまったこと。
その積み重ねが、結局、今自分にサムライの白刃が振われることを招いてしまっていること、そして、偽らざる恐怖。
その一方で、大勲位からはいつだって、『サムライを何とかすることはできないのか?』、『親子鷹息子を自民党からはずせ!』、あるいは、『讃岐の首長をとことん匿え!』、と矢のような催促が来る。大変なプレッシャーがますます首相の消化器を壊していく。
しかし、現実は首相として、いつだってこれら恐怖と圧迫を露ほども見せずに、威厳を保っておかなければならない。
今回の選挙の実態像とサムライからの襲撃の恐怖、親子鷹が狙っている自民からの根こそぎ脱藩、そして大勲位からの理不尽な圧迫。
もうダメだ、限界だ。
12月12日午後8時半を過ぎたとき。ついに首相は、あるところに助けを求めるために密かに富ヶ谷の自宅を抜け出し、五反田に向かった。携帯電話はわざと持たないで家を出た。
家を出た直後に、ホットラインの電話が鳴っている。大勲位からだ。その呼び出し音は、出る人がないまま、15分近くも鳴り続けていた。
首相の向かった先は、親子鷹親の私宅だった。
親子鷹親は、しかし、こっそり訪ねてきた首相を家には上げず、門前払いとした。
親は、インターフォン越しにこの一言だけいった。
『サムライに心で聞け…』。
ああ、親子鷹親は、ここでサムライの白刃が振われるかどうか、自分で判断せよ、と説いたのだ。
首相は、うちひしがれて、そっとその場を去っている。サムライに面と向かって問いただすだけの器量も勇気もまた、自負もなかったのだ。
親子鷹親は立ち去る首相を確認しながらいった。
『サムライよ、これが今の背骨の曲がった日本だ、舵取り役の首相の真の姿だ。サムライよ、ワシはお前についていく、いいか、ワシについてくるんではないぞ、サムライよわしがお前についていくんじゃぞ!首相もそして、大勲位もその白刃で倒すのじゃ!そして、日本の背中をまっすぐにしようぞ!』。
《風俗王Sと反社頂点の場合》
名古屋の風俗王Sと反社の頂点は、その日、すっかりとすべてを認めてしまった。
それまで、そのことについての一切に口を噤んでいたSは、12月12日正午過ぎを以て、すべてを認めてしまった。
本紙先月号で報じた、11月7、8日の、讃岐首長の犯罪行為。これで、首長検挙が固まった!
それまで数日間、あの饒舌なSは、そのことについて、ついに口を割らなかった。
そう、Sは、四国タイムズ12月号の記事を見せられ、『ここに書いていることについてきちんと話せよ、お前を捕まえようってことは思っちゃいないから安心だろ』、と取調官からいわれていた。
そこまで言われても、Sは、口を割らなかったのだ。
ところが、12月12日、Sは崩れた。それはどうしてか?
その正確には35分前、愛知県警の捜査員〜むろんオペレーションに参加捜査員〜は、名古屋市のある場所に行っていた。
名古屋市名東区にある広大な邸宅だった。そこには、反社の頂点がいた。そう、そこは、讃岐の首長が、まさしく同人によって、会食をし、サムライの排除を依頼した場所だった。
捜査員は、それまで二日間不在だった頂点の在宅を確かめた上で、その家のベルを鳴らした。
『やあ、おみえでしたね、よかった』、
頂点はちゃんと門にまで出てきて応対した。
『お時間は取らせません、このことです』、そう言って捜査員は、四国タイムズのあの記事を頂点に見せている。
『ほう、これがどうしましたかな?』、記事を読み終えた頂点がおもむろに聞く。
『間違っていないですな?』。
端から見ると和やかな会話だった。まるでお隣さん同士の世間話のような感じだった。
しかし、この最後の質問をした時は一瞬、その空気は張り詰めた。この答え如何ですべてが決まる。
はす向かいの家の犬が突然大きな声で吠えた。
『大きな声やなあ』、頂点が呟く。二人の捜査員はジッと黙ったままだった。
『よう書けてまんな、まるでスパイが入り込んだようなあ、まさかワシの倅じゃないやろな、ハハハ』。
捜査員は、すっと緊張感が抜けていくようだった。『これで、首長はオペレーションがいただく!』心の中でこう思っていた。
それから正確に35分後、Sは、すべてを認めたのだ。
『誰から聞いた話かね、見事だよ、四国タイムズ』。
Sはただこう言った。
さあ、すべては揃った!それから、すべてを計算して、首長検挙のXデーを12月18日に決めた。オペレーションの総仕上げの日はそこで定まったのだ。
この名古屋でのエピソードにはドラマがあった。
どうして頂点は、それまでまるで逃げるようにこの問題から体を躱していたのに、この時になって認めることとなったのか。
それは、その直前に、サムライが、W弁護士を最高検に告発したからである。
その情報が矢の如く、頂点のところにも入ったからだった。
『この告発状を元に、速やかに今後はサムライ、親子鷹の時代に染め変っていくだろう。こちらも首長の持つ原発利権や大勲位や首相の方ばかりになびいていたら、足下をすくわれる。
ここはサムライが勝ち馬じゃ!わしらの認知が首長逮捕となり、サムライの告発状が決定打となろう』。
ここまで空気を読んだ挙げ句に頂点の判断があったのだ!そこは頂点に立つもの、その判断力には素直に、見事というべきであろう。
大勲位にしても首相にしてもまた頂点にしても、そのポストが生み出す、いわば尋常を越える、何か≠ヘ持ち合わせているということの証左である。
しかしながら、2014・12・12、まさしくこのときこそ、天下分け目の時だったのだ!
ここに12月12日、サムライ川上が満を持して提出した告発状を写真で公開しよう。気をつけて欲しい。この告発状における被告発人こそ、S&頂点からの供応を首長と共に受けていたのである!
《やんごとなきお方の場合》
選挙直前のその日、そこは世間の喧噪が嘘のように静まりかえっていた。
やんごとなきお方は、学友と話し合っていた。わずかなくつろぎの時間――。
そこで一言。
『切れ味のよい神剣が、美しい内海(瀬戸内海)の岸辺にあるそうですね』
静謐そのものの時間は、こそ、とも揺れずたゆたう。巷間の澱を飲み込んで。
『期待、しております、漢』。
そのお言葉は、独りごちた―
漢、男の中の男をこう呼ぶ。
ついに選挙の時がきた。結果は、周知の通り。また、その原因の衆目の一致するところは、親子鷹息子の存在である。
そうなのだ、すべてはもう先にわかっていたことだったのだ。
《12月18日、首長検挙のXデー》
この日、オペレーションも非常に緊張していた。先に取り決めたXデーである。
その日の首長のスケジュールはきちんと押さえてある。そして、検挙に必要な『フダ』は、各警察本部から、それぞれの裁判所に出立を依頼している。もう遺漏はないぞ!
まず、本陣である香川県警が、首長を追尾し始める。すでに証拠は揃っている。もっとも都合のいい場所で、突然検挙することを企図していた。
先人は、頃合いを見て『フダ』を裁判所に請求した。手慣れた事務的行為である。いつだって齟齬はない。
ところが、である。なんとしたことだ!フダが出ない。かかっても小一時間もあれば複数のフダだって取れるのだ。
二時間経過、三時間経過…。おかしい!
誰かが思わず叫ぶ!
出ない!香川県警が怒鳴る、愛知県警も怒鳴る。しかし、警視庁は諦観。
そうなのだ。
各裁判所に、法務大臣が、フダの出札停止を命じていたのだった。
代わったばかりの法務大臣、お飾りに過ぎない法務大臣。
上川陽子。
このお飾り法務大臣への尋常ならざる指令は一体誰が飛ばしたのか?
そうなのだ、12月12日に親子鷹父を訪ねたものの、『サムライに心で聞け』といわれ門前払いされた、首相、その人だった。すべてはあの日の無碍にされ得てしまった逆恨みが上川法務大臣を通して、指揮権発動とは異になる『フダ』出札拒否事件となったのだ。
こんなことが赦されていいはずもない。
これからは、背筋の通った日本にしていかなくてはならないのだ。
親子鷹父はいった。
『サムライよ、経済的地盤をもう一度見直し、そしてフェニックスの如く天空に舞い上がれ!
お前についていくぞ、ワシは!
そしてその時こそ、リオンの旗を高々と挙げるのじゃ!リオンの旗は、現代の千成瓢箪ぞ!サムライの後ろにはリオンがおるぞ!
もう二度と邪魔はさせない』。
ああ、豊臣秀吉の千成瓢箪!天下分け目の関ヶ原で、もし、この旗が揚がっていたならば、間違いなく西軍は勝利していただろう!
しかし現代は、その錦の御旗は上がるのだ!サムライ川上が、かかげるのだ!
まっておれ、この期待を一身に受けて、リオンはここに旗を揚げる宣言をする。
リオンのコラージュとサムライの白刃をあしらったリオンの旗が真っ青な空に向けて突き刺さる日は近い!
これが、大勲位の半世紀前の犯した大犯罪である!
大犯罪の一部始終をここに記す!
神戸市西区伊川谷町は、神戸市の西端に近い。ほとんど明石市に隣接する。かつては垂水区だったが、西区ができてそちらに行政区が移った。
伊川谷町に長坂という地区の地下には、毎日隧道の中を大変な数の新幹線が疾駆している。この軌道は、1965年に時の運輸大臣の認可を受け、その七年後の1972年には開業された。以降、現在に至っている。
昭和の時代に意図的に隠された策謀がこの地区に埋まっているとは、まずもって誰も気付かず、さらにそれが平成も四半世紀過ぎたときになって、ひょんなことからめくり返されるとは、それこそ誰ひとり想像し得なかったことに違いない。
そのうえ、この秘められた策謀が発掘されたことが、今後、政界に新たな嵐が巻き起こることになろうとは、たとえ当事者にしても、にわかには認めることすらできないことに違いない。この先、この秘事が大きな話題になっていくことは必至なのだ。それは、この事案について、検察関係者が強い視線を当てていることで証左されよう。
「これまで神戸などというところに父名義の不動産があったなんてことすら知らなかった。そんな不動産の固定資産税だなんて、冗談としか思えなかった」、とX氏はいう。
改めて、その当該の不動産についての資料を取り寄せる。
神戸市西区伊川谷町長坂アンノ山×××――。
山林、約二千六百平米(※同地だけでなく同地に十数倍の不動産もある。ただし、両地は隣接していない)。
この不動産のちょうど真下に山陽新幹線が毎日、走っている。この土地に沿うように新幹線専用の隧道が掘削されているのだ。
この不動産は正確にいうと、昭和四十四年十月に、X氏の実父が手に入れている。その後、なんの変化もなかったが、昭和五十六年に日本国有鉄道に転売されている。(※ちなみに国鉄への転売が見られるのはこの部分だけで、他はいまだに父親名義になったままである。他の土地は、地下に隧道などは走っていない)
この土地の関係者の話を総合すると、次のような驚くべき事実が浮かび上がってきた。
X氏の実父は、前田仁氏という。むろん故人である。この人は、実業家であるが(※X氏はこの前田仁氏が立ち上げた会社を継いでいる)、その一方で、化学者としての顔も持っていた。そのまま楽器として使える摩訶不思議な岩石、サヌカイト(※香川県坂出市辺で出土する古銅輝石安山岩)の日本人発見者のひとりである。
前田仁氏は、生前、大勲位中曽根康弘元首相とは、いわば刎頸の友であった。この二人の縁は、前田仁氏の実兄、前田敬二氏だったようだ。
前田敬二氏は、実弟と違い、実業にはいささかの興味も示さず、終身、政治にその身を置いた。
〜前略〜
知事選挙の基本要素は次の通りである。
候補者。
前川忠夫(73才)無現社会・共産・社民連・革白連推薦,民社支持,知事,
瀬戸大橋架設推進県協議会長,香川育英会長(信州大教授,香川大学長,同塵学部長,岩手大教授)東大農学部卒(カツコ内は前元職),
前田敬ニ(65才)無新自民・新自ク推薦,県商工会連合会長,自動車学校社長(県議会自民党議員会長,県議会議長,大蔵大臣秘書官)南満州工業専門学校卒。
〜後略〜
(神江伸介著『県知事選挙における運動の実態〜高松市の場合〜』より抜粋引用)
前田敬二氏は、前述資料の中にある通り、地元政界のみならず国政にも積極的に参画していた。若き時、26歳で衆議院に初当選した織田正信氏と共に救国青年連盟を結成して副代表に就任。当時の矢野庄太郎大蔵大臣の秘書なども務め、後に地元県会議員とし長らく活躍。香川出身の故・大平正芳元首相の地元を固めていたのは周知の通りである。
そんな兄・敬二氏の弟・仁氏は、兄とはまた違った飄々たる世渡りの人間味ある人物で、中曽根康弘元首相からは「刎頚の友」と言わしめた。
かつて、四十日抗争≠ネどといわれ、相克の争いを演じていた二人の下に実の兄弟がそれぞれついていたのは、歴史の機微というか皮肉を感じさせるが、それが却って自然に写るのもまた政治の世界だからこそだろう。
中曽根氏は、ことのほか前田仁氏とのつきあいを大事にしていた。時には、本当の兄弟のように他人からいわれたりもしたという。中曽根氏はおそらく前田仁氏が政治の世界の人間じゃないことで、利害関係など微塵もなく、それだけに安心して肝胆相照らし合えたのであろう。
あるとき、〜それは中曽根氏が運輸大臣(昭和42年から同45年まで就任)を務めていたときだった〜、中曽根氏は、前田仁氏に、ある土地の購入を勧めている。
『その土地は今でこそ二束三文、獣の天国だが、1,2年後には、大きく化ける。その後は(地価は)上がりっぱなしになる。青天井だ。だから今のうちに仕込んでおいて欲しい…。必ず使えるときが来る!』。まさに殺し文句。誰だって時の運輸大臣からそう言われれば、借金をしてでもその土地を仕込むであろう。万人がそれをしないのは、誰もそんな言葉を掛けられないからだ。
前田氏はその土地を中曽根氏の薦められるままに不見転で購入している。購入金額などたかがしれたものだった。それが前述の通り、昭和四十四年(1969年)7月のことだった。
中曽根氏のいうようにその土地は、購入後、待っていたように、すぐに上がり始めている。時、折しも、山陽新幹線の新大阪・岡山間の延伸は認可されて(昭和40年)、起工式も済ませていた(昭和42年)。工事はすでに始まっており、前田仁氏の購入した土地の真下は新幹線の隧道(伊川谷トンネル)が掘られることとなった。
中曽根氏は運輸大臣だった。前田氏に買わせた土地が上がることはむろん知っていたはずだ。
そして、この土地は、これも前述の通り、昭和56年に国鉄によって買われることとなる。
詳しくはわからないが、これで前田仁氏は莫大といって差し支えないほどの金額を手にしたといわれている。一説には、購入時の三桁倍(百倍から数百倍!)の値段となったともいわれている。中曽根氏が前田仁氏に囁いたとおりのことが現実的に起きたのだ。土地の購入後、12年を経過したときのことである。
ところがその金は決して前田家には反映されなかった。
どこへ消えたのか?
前田仁氏の刎頸の友、中曽根氏は、昭和57年11月に念願の首相になっている。前回の総裁選は、前述した、四十日抗争≠招いたことでもわかるように、昭和53年の総裁選に初出馬した中曽根氏は、大平氏に敗れた。しかし、今度こそはその大平正芳氏(当時の内閣は、急死した大平の遺志を受け継いだ、とされた鈴木善幸内閣だった)を倒し、首相となったのだ。
自民党関係者はいう。
「初めての総裁選で中曽根氏は(総裁選では)どれほどのカネが必要なのかを、『身を以て知った』、としみじみ言ったそうだ。事実、今でもその通りだよ」。
もうおわかりであろう。
運輸大臣の時に仕入れた新幹線建設の、インサイダー情報≠前田仁氏に与え、土地を仕込ませ、じっくりと醸成させ、今度は、政界において一番金が唸る総裁選に臨むために、その土地を最高値で国鉄に買わせて、そのままそれ(総裁選)に充てる。
驚くべき、スケールの大きな錬金術といっていいだろう。
中曽根氏は晴れて首相となり、速やかに、国鉄の分割民営化に手を着けていく。まるで、証拠隠滅の如く、である。
この一件はここで記した以上に複雑で臨場感ある展開があったはずだが、それも近いうちに必ずや詳らかにされる可能性大なのだ。
これも前述したように、この秘話は、検察関係者の熱い注目を浴びているからだ。
「これはどう解釈しても、汚職を免れ得ない事案でしょう。汚職については、それが知られた時点から公訴時効が発生するという法的解釈は成り立つのです」(検察関係者)。
すでに死去した前田仁氏が残した遺産≠ヘ、実にとんでもないところの火種になろうとしている。一寸先は闇、自民党副総裁、川島正次郎氏の口癖である。大勲位の場合もまさにこれだろう。
香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その141)
司法改革の真打ちは上川陽子法務大臣
捜査放棄と冤罪捜査の連載も、12年近く(141回)の時を経て煮詰まり、とうとう司法の真打ちである法務大臣の罷免請求にまで行き着いた。
「真打ち登場!」
「いよー、待ってました」ではないが、安倍内閣の上川陽子法務大臣が司法改革の真打ちを務めてくれそうだ。
きっちりと無難に法務大臣の職責をこなしていれば、「司法改革の真打ち」を務めるのは無理。
法務大臣として、絶対にやってはならぬ法を犯したからこそ、その真打ちの大役がまわってきたとも言えるのではあるまいか。改革に踏み込むには、国民が理解しやすい上川陽子法務大臣のような悪役は必要であったともいえよう。
そりゃそうでしょう。
香川県の浜田知事らの逮捕令状が東京地裁から4回も出されたのを、小津博司前検事総長が「受けない」と逮捕を拒否した。今度は、先(12)月18日に捜査官が高松地裁や各裁判所に浜田知事らの逮捕令状を請求したところ、上川陽子法務大臣が逮捕令状を出さないようにと指示した。
上川陽子法務大臣に、浜田知事らの逮捕令状を出させないように要請したのは、なんと、安倍晋三内閣総理大臣ではないか。
時の内閣総理大臣が、すでに4回も逮捕令状が出ていた浜田知事らを逮捕させないように介入して東京の「下関春帆楼」を前検事総長との密談の場に提供したり、法務大臣に命じて令状を出させないよう画策するとは以ての外だ。
密約事件の教訓 特定秘密保護法は時機尚早
大韓航空の趙顕娥(チョヒョナ)・前副社長(40)がナッツの出し方に激怒し、搭乗機を引き返させた事件で、韓国のソウル西部地検は30日夜、航空保安法違反などの疑いで前副社長を逮捕した。(12月31日付朝日)
これは韓国のニュース。
一方、日本のニュースでは四国タイムズ社が浜田恵造香川県知事の殺人依頼の実態をドキュメントとして報道したが、上川陽子法務大臣が地方裁判所に逮捕令状を出さないように圧力をかけて浜田知事らの逮捕を阻止した。
いったい、日本はどうなっているのだろう。
韓国はナッツ騒動で前副社長を逮捕。日本では六代目山口組の司忍組長に本紙川上の殺害を依頼した浜田知事の逮捕令状を法務大臣が潰すとは。
浜田知事は香川県暴力団追放センターの会長。その会長が名古屋に出向いて日本の暴力団組織のトップである山口組の司組長と昼食を共にし、殺害を依頼するとは前代未聞のニュースで韓国のナッツ騒動どころではないではないか。
その上、こともあろうに香川県弁護士会の渡辺光夫弁護士が菅官房長官と打ち合わせをして六代目組長と香川県知事との会合の場が持たれたというのであるから、開いた口がふさがらない。
本紙川上が、ハッキリ言う。
特定秘密保護法は見直すべきである。
だってそうでしょう。法律を作っても、その法律を使いこなす人間が、まだ日本にはいないんだもん。
ここで、朝日新聞の編集委員である村山治氏が、インタビューした記事を紹介する。
〈秘密法、密約事件の教訓
元検事総長・松尾邦弘さん〉
村山《国家の安全保障に関する情報の漏洩(ろうえい)に厳罰を科す特定秘密保護法が施行された。国民の知る権利や取材・報道の自由が脅かされることはないのか。秘密漏洩が現実のものとなった時、起訴するか否かの判断を担うことになる検察庁の元トップ、松尾邦弘さんが、沖縄返還を巡る日米政府の密約事件の教訓を中心に課題を語った。
【松尾】「私は、秘密漏洩が起きても、従来ある法律で十分対処できると思っています。重罰規定を持つ法律をなぜ新たに作る必要があるのか、政府は国民に丁寧に説明し、納得を得なければなりませんが、その手続きは不十分だった印象があります」(中略)
「刑事処罰に深く関わる役所にいた立場からすると、10年以下の懲役というのはいかにも重い。国家公務員法の1年以下の懲役とでは、刑罰の質が数段階違ってくると言ってもいい。捜査し起訴するかどうかの判断に相当影響するでしょう」
本紙川上も。元検事総長であった松尾邦弘氏の考え方に大賛成である。
日本人はバカではないのであるから、安倍政権は手抜きをせずに丁寧に説明し納得させなければならない。
要するに法律を作っても、本紙川上が今経験している権力の都合で法律を操るのは如何なものかということだ。
中曽根総理誕生の秘話を証言
運輸大臣当時の裏金作りは公金横領罪
総理の一念は狂気であり、首相の権力は魔性である。私は、すべてを書き遺した。
これは、中曽根康弘大勲位が著作した『自省録』(新潮社)の帯封に記されていた。
本紙川上の体験からしても、まさに中曽根大勲位の一念は狂気であり、魔性の権力を悪用したものは安倍晋三総理以外他におるまい。
この『自省録』を、国際政治学者の中西寛・京都大学教授が書評しているので引用する。
《戦後日本を代表する「政治的人間」を挙げるとすれば、著者はまず間違いなく入ってくるだろう。日本国憲法下の最初の総選挙で初当選して以来、昨年の衆院選前に小泉首相からの勧告を受け、無念の引退を余儀なくされるまで、政界を生き抜いてきた人物である。
従って、『自省録』といっても、深く頭を垂れて自らの来し方を反省する内容を期待してはならない。小泉首相が引退を要請しに訪れた際の会話を冒頭に掲げ、首相が思想、哲学、歴史観を欠いた「ポピュリズム」政治に堕していると批判した上で、あえて自らの歴史観、政治観を披瀝(ひれき)する内容である。》
歴史法廷が判決を下す 被告・中曽根大勲位に隠居を命ず
なるほど、そうなのか。
中曽根大勲位が、平成16年に著作した『自省録』の冒頭からにしてこうある。
「二○○三年十月二十三日午前九時十五分、約束の時間どおりに小泉純一郎総裁が、私の執務室の入り口にあらわれました」
「中曽根先生は、国内的にも国際的にも、どういう地位になっても、その発言や行動には皆さんが注目し、影響力があります。今後もそういった形でご活躍願いたい」
分かりやすく言えば、橋本竜太郎前総理が中曽根元総理に自民党の「終身比例代表一位」を約束したのに、小泉純一郎総裁が他の代議士では誰もできない「猫の首に鈴をかけに行った」ということ。
すなわち、中曽根康弘代議士に次の選挙では自民党の「終身比例代表一位」ではなくなりますよと、小泉総裁が言い渡しに行ったということなのである。
さすがは、小泉純一郎元総理。このお役は、代議士は数多いるなかでも代わってできる人は皆無であるのは間違いあるまい。
もし小泉純一郎総裁が中曽根元総理に「終身比例代表一位」の取り消しを言い渡してなければ、中曽根大勲位はいまだに現役の国会議員である。想像しただけでも背筋が寒くなる。
その点、宮沢喜一元総理は、あっさりとその要求をのんで若手に議席を譲った。
また、「自省録」にはこんな内容も。
「小泉君には、情愛というものがありません。私は、すこし前に読んだ小沢一郎君の小泉評を思い出していました。『小泉さんには、理性、論理、合理といった"理"が欠けている』
よく言うよ、中曽根大勲位。
本紙川上がこの際ハッキリ言う。
「情愛がないのは中曽根康弘先生ではないのですか」と。
だってそうでしょう。
中曽根大勲位が、刎頚の友であったと言わしめた前田仁氏。その実子の願い入れにも耳を貸さず、頬かぶりして逃げ回っていたのはどこの誰。
「前田君には大変に世話になった。彼は男だ。あの事を墓場まで持って行ってくれたんだからね」
こう、中曽根先生はジャーナリストTに話しましたよね。
本紙川上は、中曽根大勲位の情愛を感じ、前田仁氏が残した神戸の土地で相談しようとして虎ノ門森ビル30ビルを訪ねたところ、秘書の殿地(どんじ)氏に追い返されました。後で聞くところによれば中曽根先生は奥の部屋におられたそうじゃないですか。
さて、ここらで中曽根大勲位が「墓場まで持って行ってくれた、あの事」について記しておこう。
ここに閉鎖謄本がある。
所有権移転、昭和44年10月6日受付け。所有者、前田仁。
続けて、同じ土地の「土地売買契約書」も披露する。
昭和56年3月3日付で土地の売主は前田仁、買主は「日本国有鉄道総裁」の代理人「日本国有鉄道大阪工事局長・片瀬貴文」
土地の表示は、神戸市垂水町伊川谷、山林、調整区域、1平米当たり「15700円」。なんと、この土地が当時坪単価に換算すると「5万円」にもなっていたのだ。
安倍首相を支援する面々
暴力団支援企業と手を組む危うさ
菅義偉官房長官が、従来の長官像から脱却する動きを見せている。政権を陰で支える長官の役回りとは異なる行動に対し、危機管理上の懸念に加え、選挙応援の効果を疑問視する声も上がる。
これは、大手新聞によく出る菅官房長官の最近の論評記事である。
なるほど、大手のマスコミにも菅官房長官の安倍政権を支える役回りとは異なる行動に対して不信感を持ち始めた。
確かに本紙の11月号でも報じたが、菅官房長官は横浜の藤木会長や香川県の渡辺光夫弁護士らを交え、新宿の水炊き屋「玄海」で昼食、本紙川上の殺害密談を3時間もするとは逸脱もはなはだしい。
まして、朝鮮総連本部の落札について、本紙が追及している暴力団支援企業の「マルナカ」中山芳彦会長や野中広務元官房長官と昵懇な上田籐兵衛会長に協力要請するとは従来の長官像から逸脱し過ぎではないのか。
安倍首相は幹事長当時から上田籐兵衛会長と固い握手で結ばれているのであろうが、六代目山口組若頭との火の粉を被るリスクは避けるべきだ。
渡辺光夫弁護士の告発状は今
最高検察庁から高松地検に回送
本紙先(12)月号では、渡辺光夫弁護士を検事総長に告発したのを記事にした。
その告発状は18日付で、
貴殿から送付のあった「告発状」と題する書面(本年12月12日付け)1通及び同封資料一切は、本日付で高松地方検察庁に回送しました。
と最高検察庁から簡易書留で本紙川上に届いた。
さぁー、いよいよ司法改革が始まるようだ。
先の高松市選管委員職員の逮捕も、本紙川上が平成25年夏の参議院選挙後9月末に、検事総長に告発したのが高松地検に回送されて職員3人が逮捕されたではないか。
まして渡辺弁護士は、本紙11月号でも掲載したが、菅官房長官らと新宿の水炊き屋「玄海」で本紙川上を亡き者にする密談をした。
それも、その後の昨年11月8日の土曜日、山口組六代目に浜田知事を引き合わせて昼食を共にし殺害依頼とは到底許されるものではない。
司法改革に努力する捜査関係者にエールを送るために、告発状の概要を再度記す。
《告発人川上道大
被告発人渡辺光夫
【第1告発の趣旨】
被告訴人の行為は、刑法104条の証拠隠滅罪に該当するので、厳重な処罰を求める。
【第2告発事実】
被告発人は、香川県弁護士会所属の弁護士であるが、かねて香川県高松北警察署が捜査中の岡谷一子にかかる傷害事件につき、同人の処罰を免れさせようと企て、平成20年6月25日の事件発生以降、高松市内またはその周辺において、同事件の重要な証拠となる被害者の事件発生直後の「診断書」及び前記岡谷が犯行当時「統合失調病」であったことの事実を隠ぺいしようと考え、同人に対し、捜査官に対しては「統合失調症」に罹患していることを隠すように指示するとともに同人からその旨記載のある「診断書」の受け取りこれを隠匿し、もって同人の刑事事件に関する証拠を隠滅したものである。
【第3告発に至った経緯】
(中略)、被告発人は、四国タイムズにおいて、被告発人の非違行為をたびたび指摘されていたことから、これが気に入らないとして、かねてから株式会社四国タイムズ社及び告発人を破綻させたいと考えていた。
そこで、告発人が四国タイムズで取り上げた岡谷一子による安西玲子氏に対する傷害事件の記事(資料あり)があたかも虚構の不実で…》
是非、本紙の既報を読んでもらいたい。
新年号スクープ第一弾!
本紙発、あのブルネイ王室による詐欺疑惑で、ついに、ブルネイ当局が、本紙に捜査協力依頼!
すべては本紙報道から!
突然、予期せぬメールが届けられた。
差出人はRoyal Brunei Police Force(王立ブルネイ警察隊)。
本紙2014年9月号で報じた、「ブルネイ王族による詐欺=v記事にからみ、ついに当のブルネイ当局が動き出したのである。
メールを続ける。
Greeting(あいさつ)に、始まる文面には、次のように記されている。
私の(名前)は、王立ブルネイ警察隊の犯罪捜査局、イッザルディン・オスマン(Izzaldin Osman)警視補(Assistant Superintendent of Police)です。私たちは、最近、在日本(ブルネイ)大使館から、カマルル・バーリン(Kamarul Bahrin)と、高嶋貞幹による忌まわしい犯罪の被害者がいることを知らされました。ブルネイ大使館は今までの彼らについてのすべての情報を私たちと分け合ってきました。
私たちは、情報について学習(?=study)してきました。そして、あなたたちにふりかかった深刻な状態について話し合ってもいたのです。あなたたちの情報で、バーリンに対しての捜査本部を開設しました。
この点について、私たちは、あなたたちのこれまで以上の協力と補助を求めると共に、バーリンの被害者たちの身元や詳しい被害状況、バーリンのあなたたちに対する犯行(=claims)を示す資料なども提供して欲しいのです。
私たちは、あなたたち被害者たちに出来得る限り協力するつもりです。あなた方の前向きな応答を期待しています。
王立ブルネイ警察隊犯罪捜査局経済事犯捜査課上級捜査官(Senior Investigation Officer)イッザルディン・オスマン
このメールは、昨年(2014年)11月30日に飛び込んできた。
こうした国を挙げた形でのメールが、プライベートなアドレスに飛び込むことは極めて珍しい。これは、第一に、ここでも書かれている、Pgバーリンというブルネイ王室関係者が犯した事案(本紙2014年9月号参照。この点について文中では、明らかに、climes=犯罪と記されている)について、在日本ブルネイ大使館を取材したことで、このような形のメールが飛び込んでくることとなったのであろう。この推察はそのまま事実であろう。メールの冒頭に、とうの時日本ブルネイ大使館ことが記されていることでも、立証される。
いずれにしても、本紙記事がブルネイ当局が重要視していることは明らかである。
実は、その後、二度に渡って、ブルネイ警察オスマン氏から催促≠促すメールが来ている(同12月4日並びに同14日)。
事案の説明並びにエビデンス(証拠資料)の提供や被害者の身元などの通知などの催促である。ブルネイ当局がいかにこの事案に対して関心と捜査上の情熱を抱いているかがそのメールを熟読してもわかるのだ。
ここで問題となっているブルネイ王族関係者、Pgバーリンについて、東京四国タイムズは、第一報後、さらなる資料、すなわち、オスマン氏からのメールにある、同氏による犯罪行為、被害状況を示す資料を入手している。先の本紙記事を参照に新たに得た資料を見てみよう。これこそ、ブルネイ当局が求めているcooperatin(協力)≠フ中身そのものなのだ。
分厚い資料のなかでもとりわけ重要視されるのが、ひとつは一枚の写真、もうひとつは、『ブルネイ開発事業投資ファンド出資者リスト』である。これは、ブルネイ東京が求めている究極の資料といってもよい。ちなみに、後者リストは、victim(被害者)≠ェ自主的につくったものであり、日本の捜査当局(※一部被害者たちは大阪府警はじめ(在住)地元警察には被害を届け出でしている)も持ち得ていないしろものだ。
ここには、正確に57名の個人名が記されている。
住所・電話番号に始まり、最も重要なのは、ファンドの口数と金額である。ファンドは一口500,000円となっている。リストを見ると一口の者もいるし、また、複数口の者もいる。一番高額なのは、栃木県に住む男性の20口1000万円である。57名の合計は、1億50万円となっている。
このファンドは、くだんの王室関係者、Pgバーリンによる犯行≠フ一部である。そのほかについては、本紙第一報で述べている。
この投資ファンドは、2007年9月1日から同年11月30日までに契約されたもので、その後も不定期に続けられているという。
ここで非常に気になる項目がこのリスト中にあるのでここに特筆しておこう。リストには、備考@唐ェあるが、そこには、ある共通した文言が記されている。それは、
新規・アルマ会員
これは何を意味するのか?
次の記事の一部を読んで欲しい。
政権交代を占う選挙といわれた東京都議選投票日(7月12日)、新宿区内の公営施設に集まった二百数十人の投資家は、わずかな希望も打ち砕かれて落胆するしかなかった。
壇上にいるのは、投資集団のアルマグループ(アルマ)と東京フィナンシャルグループ(TFG)を率いる高橋誠氏――。
「おカネはもうありません。体の調子も悪い。株式の運用で利益を出し、お支払いしていくしかない」〜以下、後略〜
あとのくだりは当該記事を参考にしてもらいたいが、ちなみに、この記事のタイトルは、
100億円集めた「アルマ・高橋誠」ギブアップ
投資家から逃れても捜査当局の追及を逃れることは難しい
何を隠そう、この記事にある、アルマとは、これすなわち、ブルネイ開発事業投資ファンドリストにある、アルマと同一のなのである。結局破綻してしまい、大きな社会的被害を生み出したアルマと、目下、本国で問題化しているブルネイ王室関係者による犯罪的事案の被害者は、直結していたのである。この事実より先の推察はあえて避けることとするが、それにしても、この因果関係は、意外な分、大変、興味深い。
このアルマの高橋というのは、本紙が従前指摘した、例の山健組三幹部とは、まさに同じ穴の狢なのである!
さて、もうひとつの抜き差しならない資料となる、一枚の写真である。
ここには、3人の男性が写っている。真ん中に立つのが、Pgバーリンである。
左側に写る男性が被害者(※この人物は、2000万円近い被害を受けている)、右側は通訳である。
この写真の重要な点は、写した場所で、これはPgバーリンの自宅なのである。証人はいうまでもなく、利害関係の全くない通訳である。
ブルネイ当局は、これら資料がどうしても欲しい、とメールで言う。最初は、seek
(求む)≠セったものが、次に、need(必要なのだ)≠ノ変り、三通目には、mention that Osaka police(大阪府警に陳述しろ)、それを自分たちは大阪府警に聞きに行く=Aと、すっかり命令調になってしまっている。
このブルネイ当局の動きは、今後、大いに注目していいであろう。
菅官房長官と反社会的勢力
本紙社主をとことんまで追い詰めようとした菅官房長官≠フ反社との接点が判明!
この接点を、本紙は曝く!
横浜市神奈川区にクレーシェなる会社がある。オフィス機器やら水素水サーバなどを扱う商社である。商社といっても決して大きくはない。
2008年創業だから、社歴にしてもわずかに6年といったところである。
ずばり、この会社、もう少し正確にいうならば、同社社長なのだが、警視庁組織対策第三課が虎視眈々と狙っているのだ。同課は、ここで説明するまでもなく暴力団担当。
すると、この会社、あるいはターゲットという社長が、反社会的な存在なのか、あるいは関係している?
「まだ三〇(才)前の若い社長なんだが、妙な人脈を持っている。名前は、高橋正英という」。
当の警視庁組織対策第三課関係者はこう言う。
妙な人脈というのは、誰とのそれ、を指しているのだろうか。この思わせぶりな符丁も警察から出たということでやはり気にしないではおれない。
「まず、同じ横浜にシンシアという会社の子会社(横浜金沢シンシア)があったことは知っていると思う。この親会社は主に産業廃棄物を手がけていたね。(クレーシェの)社長は、そのシンシアと取引があったことから、元横浜市長の中田宏氏の知遇を得て、その後、昵懇になった。クレーシェ社長の高橋の人脈その一人は、その中田氏で、今は、何を隠そう同じ横浜の菅(官房長官)なんですよ」(同)。
中田宏氏といえば、元横浜市長だがそれよりなにより、かつて民主党の代表だった菅直人氏の愛人などといわれた某テレビ局の女性記者をいち早く匿ったことで知られている。
そしてその匿った先が、先の警視庁関係者の言葉にあった、『横浜金沢シンシア』だった。その女性記者は、そのあと、中田宏市長のブレインの一人となって、横浜市のややこしい事案などの対処に携わっていた。
「高橋という若い社長は、そのことをすっかり知っている。それを楯にしたわけではなかろうが、今でも中田氏とは昵懇だ。だからクレーシェという会社の本社は横浜なんです」(同)。
さらに、もう一人、高橋社長が昵懇≠ニところ憚らずいう人物がいる。
「さっきもいったようにそれが菅(義偉)官房長官なんだ。ことにこの菅氏との接点が、われわれが捜査対象にしているフィールドの大幹部といわれている(※弘道会の森なる人物です。芸能界やあるいは薬物の担当といわれているようです)んだな。高橋の会社は設立すぐにここ横浜にいくつも支社をつくっている。それは中田に代わった菅がいるからだ。
それは当時の中田(元市長)氏にしたって同じで、シンシアは表向き、そのシンシアは、横浜の有力暴力団(益田組)とは表裏一体なんだ。中田氏や当時の民主党はそれを知っていてシンシアを金庫代わりに使っていたという経緯があるんだ。むろん、シンシアにしたって、産廃処理場の許可を得るなど特典付きだったがね」(同)。
要するに、クレーシェなる会社の社長高橋正英氏は、中田宏氏や菅氏との関係をことさらひけらかしながら、その裏では彼らを結びつける反社会的勢力に属する連中とも緊密な連携を常にとっているということなのだ。
「そういう状況でなければわれわれが(クレーシェと高橋氏を)常に定点観測するはずはないよ」(同)。
高橋氏は、ネット上のある媒体で次のように応えている。
『現在、営業拠点は本社の横浜、大阪、静岡に展開していますが、2年以内に東京、千葉、埼玉、そして東北へ進出するつもりです。また、2017年の株式上場を目標にしています。』(SUPERCEOより抜粋引用)。
東北進出、そして、上場。ビジョンは大きいようだが、その背景は何なのか、気になるところではある。
これは、最後には、本紙が一番最初に追及した、羽田空港第四滑走路事件に直結する。先ほど登場した益田組がそれを示唆していることは、本紙の賢明なる読者諸兄はもうお気づきであろう。
新年号第二弾!
本紙の読み通り!マルナカホールディングズ(本社・高松市)のものになった朝鮮総連本部ビル(東京)は、やはり、即刻、転売される!
そして、国から北朝鮮に賃貸!
まずは次の記事を読んで欲しい。
朝鮮総連本部の所有権、マルナカHDに移転手続き完了
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物(東京都千代田区)の所有権が21日、不動産投資会社「マルナカホールディングス」(高松市)に移った。東京地裁で続いていた同本部をめぐる競売手続きが終了したため。朝鮮総連は「北朝鮮の事実上の大使館」とされる同本部の所有権を失った。
競売でマルナカが約22億円で落札。同社は代金を支払い済みで、この日、必要な書類を地裁に提出し、正式に手続きが完了した。これにより、所有権が移転した。同社は朝鮮総連に明け渡しを求める方針を明らかにしており、その法的な準備が整ったことになる。〜後略〜(2014年11月21日付朝日新聞記事より引用抜粋)
国民の多くの耳目を集めた朝鮮総連本部ビル競売の行方だが、結局、昨年(2014年)11月21日に、香川県高松市のスーパー、マルナカに正式に所有権が移った。
しばらくの間、流言飛語を地で行った状況はこれでピリオドが打たれたといっていい。
ところが、である。
先のような報道が一斉にあって一週間も経過しないうちに瞠目すべき情報が飛び込んできた。
情報元は、当の朝鮮総連ビルに関わる保険の取扱者である。
「マルナカは、この購入では実はなにもしません。どうしてかって?所有権を得た時点ですでに転売先が決まっているからです。これは、当然のことですが、朝鮮総連も承知の上のことです」。
これだけでも十分、仰天情報であるが、この情報元の言葉にはなんの誇張も欺瞞もあるいは衒いも感じられない。そこは保険取扱者という職制が為せるところであろう。情報はまさしく正確なのだ。
「その転売先ですか?
それは京都の若藤という会社です。若藤は、この物件を63億円で購入することも同時に決まっています」(同)。
驚くべき情報としかいいようがないが、そう目を剥いてばかりはいられない。
ここに出てくる、若藤とは一体どのような会社なのか。下馬評の片隅にも挙がっていなかった高校がいきなり甲子園に初出場し、初優勝を遂げるようなイメージである。「詳しくは私もわかりません、ただ、この若藤という会社は、実質、上田藤兵衛という人がやっている会社ということです。その後ろ盾には大きな政治力があって…」(同)。
ニュースソースからの情報をひとまずここで整理しなければならない。
マルナカホールディングは、先に引用した記事を見ての通り、朝鮮総連本部ビルを表向き22億円で落札している。しかし、この金額はあくまで表向きの額面であって、
「実際は、合計50億円を(朝鮮総連側に)支払っている。これは、関係者の間では通説となっている。事実そうなのだ。マルナカ幹部が認めている」(地元高松の事情通)、ということである。
この点は、本件のニュースソースとなる保険取扱者も同じ情報を共有していた。
「(マルナカホールディングスが支払った額は)実際、50億円と聞いています。もっともパブリックな落札額が実際支払った額と異なるケースは民民の間ではそう珍しいことではありません。この場合のように二倍以上というのは滅多にありませんがね」。
ここまではマルナカについての情報である。
次に登場するのが、若藤なる京都の会社である。
この会社の事業内容は次の通りである。
(1)環境マネジメント
(2)不動産コンサルティング
(3)コンストラクションマネジメント
(4)都市開発総合プロデュース
(※同社HPより引用)
社歴は18年ほどあるようだ。いろいろな意味で気になる会社であるが、特に注目すべきは、同社の本社は京都市下京区になるのだが、東京支社というのは、千代田区永田町2丁目にあるのだ。
ここには、それこそ妖怪のような政治家が集う永田町TBRビルがある。特に旧経世会系(旧竹下派)の実力派というべきか強面がここに集っていた。妖怪ウオッチがあれば、数え切れないほどの妖怪を見ることができるだろう。
さらに刮目すべきは、ここに登場する上田藤兵衛という人物である。
この人こそ、まさしく知る人ぞ知る、人物である。
たとえば、ウイキペディアには次のようにある。
上田 藤兵衞(うえだ とうべえ、1945年6月21日 - )は日本の部落解放運動家。自由同和会京都府本部会長。京都で「同和のドン」として知られる。
京都市山科区の母方の実家に非嫡出子として出生。小学校5年生の時、家業の材木商「若藤」が倒産。村井秀明(部落解放同盟と全日本同和会の京都府辰巳支部を設立)の勧めで部落解放運動の世界に入り、京都市山科区川田地区に依拠して部落民宣言をおこなう。
全日本同和会京都府連合会青年支部長を経て、1984年、参議院議員で自由民主党地域改善対策特別委員会理事長の堀内俊夫と知り合う。〜中略〜自由民主党京都府連合会党員・党友。〜後略〜
この上田氏にまつわるエピソードはそれこそごまんとあるだろう。京都で何かあれば、必ずその名が取り沙汰される人物であることは紛れもない事実である。しかし、その半分以上は勝手にその名を引きずり出されたものであることもまた、事実である。
引用したウイキペディアの小学校時代の記事に目を向けて欲しい。
家業の材木商「若藤」が倒産――。
今ここで指摘されている若藤とは同じ社名である。
この2つの「若藤」については因果関係は、情報元ではまったく知り得ていない。知る必要のないインフォメーションなのだ。ただ、マルナカから物件を再購入する若藤という会社は、上田藤兵衛という人物と関係がある、という情報を有しただけである。
さて、この情報は、いよいよクライマックスを迎える。
「実はですね、若藤が再購入した朝鮮総連ビルは、全面的にリニューアルします。それを丸紅が行うことになっています。むろん、丸紅が直に行うわけでなくリニュアールの権利を持つ、ということになります。丸紅がどこかの業者にそれをやらせるのです。
そしてそのあとがまさに白眉なんですが、リニューアルされたビルを再び国が買い上げ、改めて朝鮮総連に賃貸する、ということになるのです。
リニューアル後の朝鮮総連への賃貸までの橋渡しは、若藤の後ろ盾になっている政治力、具体的には、これも京都の野中(広務)元自民党幹事長が行うということです。ここまでの道筋がすでにきっちりとしかれているのです」(同)。
これが今後、この通りに行われていけば、それは確かにある意味、見事なシナリオというほかはない。
登場人物もまさにこの人しかいない、というものである。
野中広務元自民党幹事長が、旧経世会の重鎮であり、尚且つ、登場する上田藤兵衛氏とは肝胆相照らす中であることは、もはや周知の事実である。さらに、野中氏が対北朝鮮外交の第一人者であることもまた衆目の意見の一致するところである。
この実務者からの衝撃的なインフォメーションを単なる怪情報≠ネどと受け流すか否かは、すべて受取り側の判断に委ねられようが、その内容があまりに現実に即していることだけは確かである。あとは、エビデンスが揃うのを待つだけである。
暴力団支援企業のマルナカ
儲けで総連跡地を政府機関に売却
ここで本紙の平成26年4月号を見てみよう。
《朝鮮総連の土地建物をマルナカに売却させる。大雑把に言って、50億のア社を不許可にして20億のマルナカに一旦売却し、後々ほとぼりが冷めてマルナカに15億ほど足した35億ほどで売却させ、お互いに5億を出し合って、仲介者に10億の謝礼で三方10億円の儲けでシャンシャンだ。
この戦略に白羽の矢が当たったのが、マルナカの中山芳彦会長ではないだろうか。
東京地裁の最終的な許可は、朝鮮総連がそのまま居座れるように計らう裏方キーマンが必ずいるはずだ。》
平成23年9月号でマルナカ中山社長を暴力団支援企業と追及した本紙の記事で退任したが、その後もテナントTを通じて若林組を支援中だ。