2018年3月号
- 目次
- 国滅ぶとも正義は行わるべし オペレーションの〝凄み〟標語と人事
- 「Xファイル」の背後にある、驚くべき標語
- 香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その179)
- 愛知県警が迫る!広域暴力団頂上作戦
- 本紙報道で大きな波紋が広がる!
- 磐越自動車道・龍ヶ嶽トンネル巡る前代未聞の大騒動
- 徳島新聞の阿波踊り「荒稼ぎ」
- 遠藤市長が記者に「徳島新聞に責任と言わせたいの?」
- 今井参院議員との「不倫」・神戸市議会
- 投票に「暴力団」、地方選候補者にも疑惑浮上
~ 紙面外ニュース ~
国滅ぶとも正義は行わるべし オペレーションの〝凄み〟標語と人事
「Xファイル」の背後にある、驚くべき標語
「Xファイル」をアクシス(軸)にして、新たなる稼働を始めた、オリーブ・オペレーション。稼働のテンポは、驚くべき加速度をもって速まってきているようだ。
垣根を越えた捜査――。
このテーマは、捜査当局においてはまさしく永遠の課題である。しかし、今のオペレーションは違う。この永遠のテーマの打破を目指し、さらにそれを実践していこうと、いや、いるのだ。
その証拠をここに披露しておこう。
オペレーションのなかで、某検察幹部のある発言が、今や標語になりつつある。
『検察には、暴力団捜査が出来ないという、〝規範〟があるのです。わかっていただけますか?』→『共犯者に、どうして捜査を任せられるのですか!』
これは、奇しくも本紙社主、川上道大が受けた理不尽な暴力団からの襲撃事件(銃撃二回、鉄パイプ襲撃一回)において語られた台詞である。これはもはや、レジェンドになっている。この経緯は、本紙の長期連載『香川県警の捜査放棄と冤罪捜査』に詳述されている。「Xファイル」が前輪の軸ならば、もうひとつの軸こそ、この長期連載であることを付け加えておこう。
このレジェンドになった発言は、今のオペレーションの標語になっているのだ。
このオペレーションの動きを示す記事がここにある。今のオペレーションの動きを先取りするような大変重要な記事である。これを一部にはなるが、ここにひもといてみよう。
暴力団を効率よく管理し、抑え込んだ時代から「強い刑事司法」の時代へ
たかだか500人規模の暴力団工藤会に対し、警察、検察が2014年9月以来、総力を上げて「頂上」作戦を展開している。その成果を検証し、今後の課題を連載で探る。最終回となる第8回の本稿では、治安政策と暴力団対策のあり方を考える。
■日本の暴力団政策
証券取引等監視委員会の佐渡賢一委員長は、検事、監視委委員長を合わせると計45年以上、経済事件の法執行に携わってきた。東京地検刑事部長時代には、本稿第2回で紹介した山口組幹部らを摘発する手法として、警護役の組員の拳銃の所持を摘発する際に警護を受ける立場の幹部までをも「共同所持」で立件する手法を編み出し、大阪地検検事正時代には、山口組元最高幹部の滝沢孝芳菱会総長の「共同所持」事件の公判を指揮した。
佐渡委員長は、暴力団のような反社会勢力から社会を守る方法は2つしかないという。
ひとつは、イタリアやアメリカのように、国家が、その存在そのものを認めない。結社の自由を認めず、見付け次第、つぶす。参加者には厳しい制裁を加える。それを担保するため、実体法や手続き法を整備し、捜査の武器を強化する。
もうひとつは、結社すること自体は認め、警察・検察権力が一定の管理をして、暴力団への新規参入を抑え、時間をかけて衰退させる方法だ。
日本は、後者を選んだ。歴史的に、市民社会、経済社会そのものが暴力団の存在を認知してきたからだ。縁日の露天商を束ねるテキ屋、博打場の胴元から民事紛争の解決に当たる顔役まで、江戸時代から、一種の必要悪として存在を許容し、文化・習俗の一部になってきた。警察は、明治以降もそれを前提に反社会的勢力を封じる治安政策を立案、執行してきた。
1980年代まで警視庁や大阪府警、兵庫県警など暴力団の本部事務所を管轄地域に抱える警察現場には、山口組や住吉連合、稲川会などの暴力団ごとに内情に通じたベテランの刑事がいて組事務所に自由に出入りし、組織の領袖クラスから直接情報を聴き出した。
抗争事件があると、電話一本で、事件の経緯を報告させ、場合によっては、抗争の実行犯の組員を出頭させた。格安のコストで、地下社会の統治を行ってきたのだ。
反面、そのスタイルは、警察と暴力団の癒着の温床になる。警官が暴力団の接待を受けたり、金をもらって摘発情報を流したり、ついには、暴力団の手先になってしまうこともないではなかった。警察と暴力団との癒着に対する国民の視線は次第に厳しくなり、一方、世代交代で、暴力団幹部を心服させるような人間力を持った刑事も姿を消した。
従来の統治・管理のスタイルを近代化しようと考えたのが1992年施行の暴力団対策法だった。この数年前に日米構造問題協議で、日本政府は米国から官製談合システムを厳しく指弾された。当時の警察庁幹部は、従来型の統治スタイルが、国際社会から「前近代国家」と見られることも恐れたのではないか、と筆書は推測している。
暴対法は、犯罪歴のある構成員の比率が一定以上の組織を「指定暴力団」とし、都道府県公安委員会が指定すると、所属組員は組の名前を利用した用心棒代要求や地上げ、示談への介入などの行為を禁止される。従来の法律では取り締まりにくかった、暴力団による恐喝まがいの資金集め=民事介入暴力を防ぐのも狙いのひとつだった。現在、暴力団対策法で禁止されている行為は27。下請け参入要求なども入っている。違法行為には公安委員会が中止命令を出すことができ、違反すれば罰金刑に処せられ、逮捕されることもある。
■暴対法の功罪
暴対法施行で、警察と暴力団の関係は劇的に変わった。警察は、行政的に、指定暴力団を認定するだけで取り締まることができるようになった。それは、刑事が体を張って暴力団組織に入り込み、その実態を把握し、具体的な事件の端緒情報を探る必要が小さくなったことを意味する。警察上層部は、捜査員が暴力団員と会食したり酒席をともにしたりするのを避けるよう指導した。
一方、暴力団側は警察に協力する「うまみ」がなくなった。構成員を減らして指定を逃れるようになった。暴力団事務所の看板を外し、建設会社やNPOに衣替えする組も出てきた。一部の暴力団では警察との対決姿勢が鮮明になった。山口組は警官との接触を禁じ、逮捕されても警察に協力して供述することを禁じたとも伝えられた。
警察は暴対法施行後、事件摘発と並行して、用心棒代の要求などを禁じる行政命令を3万件以上出し、各種業界や公共事業からの排除を進めてきた。暴力団関係者に生活保護費を支給しない仕組みもつくった。
警察庁のまとめでは、全国の暴力団勢力(構成員・準構成員)は暴力団対策法が施行された1992年に約9万600人いたが、21年後の2013年末には約5万8600人に減った。特に都道府県で暴排条例の制定が進んだ2010年以降は、13年までの3年間で2万人も減った。
しかし、大企業や自治体に対する暴力団など反社会勢力の浸食は衰えなかった。暴対法施行後も、相変わらず企業のカネは地下経済に流出し続けてきた、というのが実態だろう。
確かに、暴力団組員の数自体は減ったが、山口組や工藤会などはかえって強力になった、と指摘する元検事もいる。山口組は、弱体化した他の勢力のシマを奪い、懐が豊かになったというのだ。
元検事総長はいう。
「暴力団構成員も生身の人間だ。『飯』を食って生きていかなければならない。彼らに、生きる手段を与えないまま、押さえつければ、先鋭化するだけだ。闇勢力を力業で弾圧しようとする試みは必ず失敗する」
朝日新聞で長く暴力団取材を続けてきた緒方健二記者は、朝日新聞のウェブのコラムで以下のように指摘した。
「社会全体で暴力団排除を、との警察の主張は正しい。でも、やり方が拙速だった。暴力団の存続を支えるのは、一部市民や企業が利益を提供しているからだとして、法律ではなく、影響力がやや落ちる自治体の条例によって暴力団への利益提供を禁じた。すべての都道府県が警察の後押しで同様の条例をつくった。自治体によって制裁内容は異なるが、違反すれば制裁が科されることになった。さらに警察は、暴力団とつながりのあった企業や市民にも『縁を切れ』と迫った。東京のように暴力団が温和しいところでは一定の効果を見たが、北九州市や福岡市では『入店お断り』の標章を貼ったスナックの関係者が軒並み襲われた。語弊があるが、警察が、市民や企業を排除の最前線に押し出した結果だ」
その通りだ。工藤会事件は、まさに、警察の暴力団政策のあり方を問うものだった。
■「不都合な真実」を直視し、捜査を強化せよ
最近の暴力団対策では、不都合な真実もいくつか散見される。
まず、警察当局の離脱組員支援がうまくいっていない。地域で受け入れられ、働き口の保証がなければ、暴力団組員は離脱したくてもできない。
福岡県警の要請を受けた警察庁は15年7月、福岡市博多区で就労支援のNPO法人などを集め、初めて「全国社会復帰対策連絡会議」を開催。地元への就職では工藤会から報復される恐れがあるため、福岡県警は「会の影響の及ばない土地で、人生の一歩を踏み出せる仕組みを作ることが大切だ」とし、再就職に向けた取り組みを強化するよう訴えた。
ただ、企業社会の離脱組員受け入れは、警察の治安政策でカバーできる問題ではない。企業や地域社会の意識改革が必要だ。それには時間がかかる。さらに離脱組員側の問題もある。
「言いにくいが」と断って、検察幹部がいう。「せっかく、就職斡旋しても、組員が断るケースがある。組員の事情は個々に異なるが、一部の組員は、真面目に仕事をするのが嫌でヤクザになった。そういう人の意識改革も必要だが、警察の手に余る。それを誰が担うのか」。(~以下、後略~村山治著法と経済のジャーナル2016年6月16日付記事より抜粋引用)
この記事には今のオペレーションへの段階的変化と布石がきちんと記されているといっていい。現在の大きなうねりを端的に予言している見事な記事である。
人事こそ、オペレーションの礎なり
さて、オペレーション大車輪の如くの稼働を裏付けるもうひとつの大きなバックボーンは、これまで本紙が重ねて報じている、〝人事〟である。
垣根を越えたオペレーションは、極めて効率よい人事で体制を固めている。それはこれまで本紙が報じてきたとおりである。
オペレーションの本気度を見るには、やはり、今起きている人事をしっかりと把握することが重要である。ここにその人事の真相を描いている記事がある。これもまた、非常に重要度の高い記事である。ここに引用しておこう。
官邸の注文で覆った法務事務次官人事 「検事総長人事」に影響も
検察独立の「結界」は破れたか政治と検察の関係を考える
検察と政治の関係に変化が見える。それを象徴する出来事があった。今年9月に発令された法務・検察の幹部人事で、法務省が作成した法務事務次官の人事原案が官邸によってひっくり返され、それと連動して検事長の人事も変更されたのだ。1970年代以降半世紀にわたり、時の政権は、検察を抱える法務省の人事については、口をはさむことはなかったとされる。「政治からの独立」という検察の「結界」はついに破れたのか。
■官邸の注文で原案を撤回
今年9月5日付の法務省人事は、大野恒太郎検事総長(64歳、司法修習28期)が2017年3月末の定年まで半年を残して退任し、後任に西川克行東京高検検事長(62歳、31期)を充てたほか、稲田伸夫法務事務次官(60歳、33期)を仙台高検検事長に転出させ、稲田氏の後任に黒川弘務官房長(59歳、35期)を充てるなど体制を一新する大型人事だった。
複数の法務・検察幹部らによると、この人事の法務省原案では、稲田氏の後任の法務事務次官は林真琴刑事局長(59歳、35期)を昇格させ、黒川氏は地方の高検検事長に転出させることになっていた。ところが、7月中旬、稲田氏が官邸に了承を取りに出向いたところ、官邸側が黒川氏を法務事務次官に昇任させるよう要請したという。
これを受けて稲田氏や大野氏ら法務・検察の首脳が対応を協議した結果、黒川氏を法務事務次官に起用し林氏を刑事局長に留任させる人事案に切り替え、内閣の承認を得て8月15日に公表した。法務・検察首脳らは、官邸側で黒川氏の次官起用の人事を求めた最終決定者は菅義偉官房長官だった、と受けとめている。
法務省内では、人事原案の変更について「官邸側の要請がお願いベースだったため、法務省として断り切れなかった」と説明されているが、官邸に近い筋は「官邸側の意思は硬く、稲田氏の説得が受け入れられる状況ではなかった。稲田氏は真っ青になって帰った」といっている。
従来、官邸への法務省人事原案根回しは黒川氏が行ってきた。今回は、黒川氏自身が異動対象になるため、稲田氏が根回しに動いた。稲田氏が官邸に出向いたとき、黒川氏は海外出張中だった。「黒川氏が根回ししていたら、こうはならなかったかもしれない」という検察首脳もいた。
法務事務次官は、法務大臣を補佐する事務方トップで、法務・検察の序列では、天皇の認証官である検事総長、東京、大阪など8高検の検事長、次長検事に次ぐポスト。検事総長への登竜門とされ、最近では、大阪地検の不祥事対応で急遽登板した笠間治雄氏を除く8人中7人が法務事務次官から東京高検検事長を経て検事総長に就任している。
■法務省の竜虎
法務事務次官のポストを争った黒川、林両氏は、粒ぞろいとされる検察の司法修習35期の中でも傑出した存在で、検事任官約10年後から2人とも、将来の検察首脳候補として法務省の行政畑で重用されてきた。
黒川氏は政官界へのロビーイング・調整能力を買われ、司法制度改革の設計段階から法務省側の中枢的な役割を担った。改革実現後は、秘書課長、官房審議官、官房長と政界や他省庁との折衝を担当。官房長在任は5年の長期に及んだ。
一方の林氏は、制度改革で黒川氏を支える一方、2002年に発覚した名古屋刑務所の虐待事件を機に矯正局総務課長に就任。警察人脈をフル活用し、百年に一度の改革といわれた監獄法改正をなしとげた。その後は、人事課長として大阪地検、東京地検の不祥事処理を陣頭指揮し、最高検総務部長から刑事局長の道を歩んできた。
法務・検察部内での両氏の評価に甲乙はないが、林氏が監獄法改正で矯正局総務課長を3年務めたため、エリート検事が歴任する刑事局総務課長ポストは黒川氏が先任し、林氏に引き継いだ。2人をよく知る元検察首脳は「人事案をひっくり返されたのは衝撃だったが、これまでの経歴を見れば、順当な人事だったともいえなくもない」と言っている。
■「次の次の検事総長」を見据えた検察の人事構想
法務・検察首脳が、同期のトップを走ってきた黒川氏を本流から外し、林氏を法務事務次官にしようとしたのは、次の次の検事総長人事を睨んでのことだった。法務・検察首脳は人事原案作成時には、西川氏の次の検事総長に稲田氏を充て、稲田氏の次の総長には林氏を据える方針で合意していた模様だ。その時点で黒川氏は検事総長候補から外れていた。人事原案は、法務・検察として、次の次の検事総長候補は林氏だと内外に周知する狙いもあったとみられる。
なぜ、法務・検察首脳が、黒川氏を検事総長候補から外したのか。
黒川氏が務めてきた官房長は、法務省の予算や法案を国会で通すとともに、政権の危機管理の一翼を担い、また、検察の捜査や人事で政治の側の「介入」をはばむ、という難しいポストだ。
特に、特捜検察が政治家のからむ事件に切り込むと、官邸や国会議員から法務省に対し陰に陽に様々な注文がつく。
その際、官房長は、検察が政治の側から直接圧力を受けないよう、防波堤の役割を担う。
黒川氏の官房長在任中は、政権が民主党から自公に交代し、政治との距離感がとりづらい時代だった。
また検察で不祥事が続発し、法務・検察への逆風も吹き荒れた。
黒川氏は、小沢一郎元民主党代表の資金管理団体を舞台にした政治資金規正法違反事件では、同党議員から自公政権に有利な捜査を主導する「黒幕」と非難され、直近では甘利明元経済再生担当相があっせん利得処罰法違反で告発された事件でも「政権与党側に立って捜査に口をはさんだ」とネットメディアで批判を受けた。
法務・検察首脳は「黒川氏が恣意的に動いたことはない」とそれらの批判を一蹴するが、一方で「検事総長は検察の象徴であり、政治と近いとのイメージを持たれただけでふさわしくないとの見方があった」とも語る。
■本当の理由
ただ、それは表面的な理由だ。法務・検察首脳にとって黒川氏を検事総長候補にしにくい最大の理由は、黒川氏を次の次の検事総長候補にすると、西川検事総長、次の検事総長と目される稲田氏の検事総長在任期間の調整が難しいことにあったとみられる。
検事総長の定年は65歳。これに対し、検事長以下は63歳が定年だ。そのため、検事総長のポストは、期にして2期、年齢は2歳違いで交代していくのが、法務・検察の人事権者にとって最もスムーズなのだ。
実際、歴代検事総長の任期は、大阪地検の不祥事(2010年発覚)のため在任半年で途中降板した大林宏氏(在任約6カ月)、そのピンチヒッターとして登板した笠間治雄氏(同1年7カ月)、次期検事総長の東京高検検事長が女性スキャンダルで引責辞任(1999年)したため、それぞれ約3年間在任した北島敬介、原田明夫両氏を除くと、1990年代半ば以降は、だいたい2年前後務めてきている。
今回総長に就任した西川氏は1954年2月20日生まれ。次の検事総長が確実視されている稲田氏は1956年8月14日生まれ。黒川氏は稲田氏とはわずか半年違いの1957年2月8日生まれ。黒川氏を検事総長にするには、黒川氏が満63歳の誕生日を迎える2020年2月8日までに稲田氏が辞めなければならない。3年半の間で西川、稲田の2人が総長を務めるという窮屈なことになる。
これに対し、林氏は1957年7月30日生まれ。稲田氏とは約1年違う。西川、稲田両氏が2年ずつ検事総長を務めても、十分時間的余裕があるのだ。
■官邸の思惑
官邸側は、黒川氏の危機管理、調整能力を高く評価していた。黒川次官にこだわったのは、長期にわたって政権を支えた「恩」に報いる「処遇」の意味もあったとみられるが、政権を安定的に維持するため、今後も黒川氏をこれまで同様に使いたいとの考えもあった。
安倍政権は、沖縄の辺野古移設訴訟、「国際公約」とされる「共謀罪」法案を抱え、従来にも増して野党や弁護士会などへの法務省のロビーイングを必要としていた。特に、共謀罪法案は野党や弁護士会などの強い反対でこれまでに3度廃案になっており、政権幹部の一人は朝日新聞の取材に対し「共謀罪をやるためにここまで黒川氏を官房長として引っ張ってきた」とも話した。
黒川氏が検事長になってしまうと、検察の独立の面から捜査、公判以外の仕事はできなくなる。法務事務次官ならば、官房長の上司であり、官房長同様、各方面への根回しの仕事を期待できるとの思惑があったとみられる。
一方、法務省は、臨時国会での法案提出に備え、対象となる組織の定義を暴力団やテロ組織などに限定し、さらに犯罪構成要件についても過去の審議で「争点」となった問題点をクリアするための手当を人事原案作成時点で終えていたという。法務省としては、仮に黒川氏がいなくなっても、国会審議を乗り切って法案を通すため、できるだけの準備をしていた訳だ。そうした点については当然、政権側も承知していたと思われる。だとすると、政権は、法案成立もさることながら、法務・検察をグリップするため、あえて人事に口出ししたのではないか、との見方が出てきてもおかしくない。
結局、共謀罪法案は、TPP法案などの成立を優先するため、として政府は臨時国会にかけるのを見送った。
■政治主導の官僚人事
中央省庁の幹部人事は、従来、各省庁が人事案を固めた後、官房長官主宰の人事検討会議に諮って決めてきた。民主党政権時代も含め、省庁案が官邸でひっくり返ることはほとんどなかったとされる。
ところが、2012年暮れの総選挙で誕生した第2次安倍政権は、政治主導を強調し、慣例にとらわれない人事を目指した。13年7月には厚労事務次官人事で、本命視されていなかった村木厚子厚労省社会・援護局長を抜てきした。旧運輸省事務系キャリアの「指定席」とされていた海上保安庁長官に初めて現場生え抜きの海上保安官の佐藤雄二氏を充てた。村木さんは大阪地検が摘発した郵便不正事件で起訴されたが、無罪となり、「検察暴走の犠牲者」と受けとめられていた。
また、同年8月には、内閣法制局長官人事で、昇格確実とみられていた法制次長でなく、外務省の小松一郎駐仏大使を起用した。集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変えたいとの意向があったとみられる。さらに、中央省庁人事ではないが、同年3月には、デフレ脱却に向けた金融政策への変更を図るため金融緩和派の黒田東彦アジア開発銀行総裁を日銀総裁に起用した。
14年5月末には、中央省庁の幹部候補600人の人事を官房長官のもとで一元管理する内閣人事局を設置した。内閣人事局が、閣僚が推薦した各省庁の公務員が幹部にふさわしいかを審査して幹部候補者名簿を作成し、首相や各大臣が協議して決定することになった。14年7月の人事では、法務省初の女性局長として人権擁護局長に岡村和美・最高検察庁検事(現消費者庁長官)が充てられた。中央省庁の幹部らは、これらの省庁の幹部人事は、首相の意を汲んだ菅官房長官がリードしたとみている。
そういう省庁人事をめぐる改革はあっても、安倍政権は従来、法務・検察の人事については、岡村氏の人事を含め法務省側の原案を尊重し、くつがえすことはなかったとみられる。
■検察独立の「結界」
検察は明治以来、政治とカネの不正を摘発する機関として国民の期待を担ってきた。その期待に応えるには、検察が検察権行使や人事で政治から独立していなければならない。
しかし、検察の権限や責任などを定める検察庁法15条は「検事総長、次長検事及び各検事長の任免は内閣が行い、天皇が認証する」と規定している。制度上、検察幹部の人事権は内閣(政治家)の専権事項なのだ。検事正以下の検事ら検察職員、法務省職員の人事権は法務大臣が持つ。安倍政権になってからは法務省を含む各省庁の局長以上の人事は内閣の閣議決定が必要となっている。
そうした中、「検察の政治からの独立」は、政治腐敗を許さない世論を頼みとしてかろうじて成立してきた歴史がある。戦後のどさくさの時期、検察が大事件を摘発すると概ね、世論は検察を支持した。1954年の造船疑獄で法相が指揮権を発動して与党幹部の逮捕にストップをかけたが、政権は次の総選挙で敗北した。以来、世論を背景に野党やマスコミは政治の側が捜査や公判に介入しないよう厳しく監視し、同様に、政権側が法務・検察人事に口出しできない雰囲気を作ってきた。
それでも1960年代半ばまでの検察は、戦前からの公安検察と経済検察(特捜検察)の内部対立を引きずっており、それに乗じて政界が検察幹部の人事に介入しようとしたこともあったといわれる。
今にいたる政治と検察の緊張関係を決定づけたのは、政界最大の実力者だった田中角栄元首相を逮捕した1976年のロッキード事件だった。10数年にわたる公判闘争で元首相は一貫して無罪を主張。検察に圧力をかけるため、検察の捜査、公判にかかわる指揮権を持ち、検察人事を握る法相に親田中の国会議員を次々送り込んだ。マスコミは、法相が検事総長に対し、元首相に対する論告の放棄や公訴取り消しなどを命ずるため指揮権を発動するのではないか、と危惧し、機会あるごとに法相に「指揮権行使の意思」を問い、行使しないよう厳しく牽制してきた。
法務省はこうした世論を背景に、法務・検察幹部の人事で波風が立たないよう周到な根回しをし、時の政権は概ね、法務・検察の人事や仕事に対する介入については謙抑的な姿勢を貫いてきた。そのバランスがついに壊れた形だ。(~以下、後略~村山治著法と経済のジャーナル2017年9月17日付記事より抜粋引用)
確かにこの通りなのだ。いまや、上意下達の組織体制は過去の事となってしまった。ましてや捜査機関は官邸が主導するものでもなんでもない。そのことを如実に知らしめているのがこの記事である。
新生オペレーションの活動は、一気に成熟に達してきた。
改革前夜の今を、大切に育んでいかねばならない。
香川県警の捜査放棄と冤罪捜査(その179)
愛知県警が迫る!広域暴力団頂上作戦
愛知県警は今や一丸となって、広域暴力団のサミットを追いかけ、そして、いまや、追い詰めようとしている。
そのキーワードは、ズバリ、『頼母子講』である。
確かにこれまでの愛知県警は、暴力団に対してはあまり芳しい風評はなかった。次の記事などはその代表的なものであったろう。
「福岡から警察が捜査に来る」──福岡市で約7億5000万円分の金塊が盗まれた事件で、名古屋在住の野口直樹・容疑者らに、電話で捜査情報を教えていたのは、何と愛知県警!
(~中略~)
「かつて暴力団と警察のつながりは密でしたが、名古屋では司忍組長の出身母体である弘道会が、『警察に情報を売らない、付き合わない、事務所に入れない』の『三ない主義』を掲げて、警察との接触を絶ってきました。しかし、警察も弘道会も、本当は双方とも情報が欲しい。そこでパイプ役を担ったのが、企業舎弟や半グレです。
4年前に警察を脅迫して逮捕された風俗チェーン経営者は弘道会の企業舎弟で、警察の個人情報を捜査一課警部から入手していたとして当時大きな問題になりました。今回の容疑者らは半グレ集団に属していたという。暴力団以上の反社情報が集まり、かつ暴力団のような制約がないということで、捜査員も付き合いやすい。だから今回も、『福岡の事件だから』と軽い気持ちで情報を流してしまったのではないか」。
(~中略~)
しかし、愛知県警にも言い分がある。
「福岡県警は名古屋の人間が関与しているとは分かっても、人物の特定まではできていなかった。野口容疑者らを割ったのは愛知県警で、『そもそもこっちが教えた話じゃないか』というのが彼らの言い分。確かに捜査情報まで流したのは問題ですが、通信傍受の内容までメディアに流されたら面目丸つぶれだと怒っています」(愛知県警担当記者)敵は味方のフリをする──警察を舞台にした話題ドラマ『小さな巨人』より激しい警察内部抗争が勃発か。(週刊ポスト2017年6月23日号記事より抜粋引用)。
しかし、今の愛知県警はまったく違う。暴力団に対しては毅然と臨み、いまや、その頂点にまで迫ろうとしているのだ。そして、その具体的プランまで見えてきている。
対暴力団とのネガティブな関係は、前述した記事からはもう出てきていない。確かに愛知県警は変わったのである。その情報は、余すところなく本紙にも聞こえて来る。
「まさかの決断が必要だ」。
これは、元首相小泉純一郎氏の著書の中に書かれている言葉である。(『決断のとき』小泉純一郎著集英社新書)
愛知県警は、間違いなく、このまさかの決断を下したのだ。キーワードは頼母子講。もちろん、アクシスになるのは、「Xファイル」と「捜査放棄と冤罪捜査」であることはいうまでもない。
平成15年4月号から始めた香川県警の捜査放棄と冤罪捜査も179回を数え、来月の平成30年度の4月は180回でちょうど15年目だ。
「ネバーギブアップ」
まさに「継続は力なり」ではないか。
日本は大丈夫。それぞれの組織の良識派が立ち上がり始めた。そう、潮目は変わったのである。
ここで、日本タイムズの題号改称前の四国タイムズ平成28年1月号から引用してみよう。
「三代目の原点回帰なら罪を償え」
「山口組六代目の殺人未遂・未解決事件」
本紙川上が六代目山口組司忍組長を使用者責任で神戸地裁に提訴したのは、平成17年11月2日である。その同月29日、最高裁第1小法廷は、銃刀法違反(共同所持)の罪に問われた指定暴力団山口組六代目組長篠田建市(通称司忍)被告(63)の上告を棄却する決定を下した。
ここで13年前の平成16年12月号本紙を、ホームページのバックナンバーから抜粋する。
【ヤクザの原点・任侠道を見直そう】
【代紋を支える人、ぶら下がる者】
《誰かにこんな話を聞いたことがある。
「ワシは『ヤクザ』であるが、暴力団ではない。
本紙川上は、このこだわりのある心意気が好きである。人生、どの生き方を選択しようとも自由であるが、やってはならないことは絶対にある。
本紙川上にヤクザの世界を語る資格はないが、業種は別にして人間としての資格で触れさせてもらいたい。
「冤罪捜査が自殺にまで発展
日本の精神文化を取り戻せば犯罪は減る」
捜査放棄と冤罪捜査シリーズで登場する人物に、山口組二代目梶原組の元若頭をしていた近藤秀三郎氏がいる。
近藤氏は、十六才でヤクザの道を選んだ。いわゆる任侠道ヤクザを志した人である。その近藤氏が組長をしている籐正組に、六車・通称「ロクさん」という、若頭がいた。平成四年、事情があって近藤氏は若林組副長で迎えられた。もちろんロクさんも若林組の幹部に座った。悲劇はここから始まったようだ。
本紙川上が、平成六年、ロクさんと国際ホテルで最初にあった時、「あんたがロクさん、地元では、なかなかええ男や、と聞いてますよ」であった。そのロクさんは、平成十年八月、神戸三宮で電車に飛び込んで自殺した。
自殺する直前、香川県警から指名手配を受けて逃走していた近藤氏にロクさんから電話が入った、
「親分、なんでワシに隠し事するん、ワシが指名手配を打たれてたのを、どうして教えてくれんの、篠原がワシに言いよった『あんたの親分、どうしてあんたに指名手配が出てるのを、知っとって教えんのかいな、冷たいのとちゃうか』、こない言われたら、親分のこと信じられんようになった」
「アホ、なに言いよんじゃ、俺がそれ知っとって、おまえに教えんはずないがー…、おまえは疲れとるけん、俺が明日、迎えに行くけん、酒でものんで寝てしまえ…」
「親分、そうやろな、親分がワシの指名手配知っとって、教えんわけない…、…」
これが籐正組近藤秀三郎組長と六車若頭の最期の会話であった。親分子分で、こんなに残酷で悲しい場面はない。
両者とも、広沢が腐敗警官に請け負わせた冤罪捜査による指名手配ではないか。
どちらにしても、香川の改革には、広沢と腐敗警官を許すわけにはいかない。
これは、平成16年12月号の本紙から抜粋したもので、若林組広沢(黄津一)が腐敗警官を使って冤罪捜査を仕掛けさせ、近藤秀三郎氏を高松刑務所に収監させた後の記事。収監が決まったあと、近藤氏は本紙川上に言った。
「山口組のヤクザに恥じないよう、迎えに来る前にこちらから行って来る…。3年余りやけど身を清めてくるわ…」任侠道をもう一度見直そうではないか。》
山口組六代目は任侠道を歩むならば、罪を償うべきだ。
本紙報道で大きな波紋が広がる!
磐越自動車道・龍ヶ嶽トンネル巡る前代未聞の大騒動
本紙先月号で報じた『NEXCO東日本が地籍を消した?』が、関係各所において、さざ波のような反響をもたらせている。当のNEXCO東日本はもとより、特に国交省周辺が騒がしいようだ。
そんななか、取材を進めるうちに目を剥くような情報が舞い込んできた。これは、出所がハッキリしない怪情報の類いではなく、正真正銘の内部告発についての情報である。
ここに、一枚の写しがある。(参照①)もたらされた内部告発情報の裏付けとなる極めて重大な資料である。
この資料は、ある測量会社の受注業務を綴った原簿の一部を複写したものなのである。
この資料の左端には、日本道路公団新潟建設局津川工事事務所、とある。これは、この業務の発注者である。次の項目には、磐越自動車道西会津地区管理用津面作成業務、とある。
さらに、ここがこの写しの最も核心部のひとつとなるのだが、このように記されている。
自)福島県耶麻郡西会津町野沢至) 〃
次には、業務内容について記された項目である。この項目も、前項目同様、最重要のひとつである。
測量業管理用図面作成及び財産管理事務の図面作成作業・資料確認・測量・管理用図面作成・事業用不動産台帳作成~(以下省略)
ここまででこの写しには、内部告発が飛び出した測量会社が、日本道路公団(NEXCO東日本)から請け負った業務について記されたものであることが明確に見て取れる。そして、肝心のその業務は、といえば、〝地籍が消された〟という疑惑を抱え込まされた龍ヶ嶽トンネルの測量、そして各種図面、調書、台帳等の作成、ということがしっかりと示されている。
この内部告発は、本件取材を進めているときに、ある図面がNEXCO東日本より提供された直後になされた。さらに詳しく記すと、取材は、地籍抹消の疑惑を決着すべく、龍ヶ嶽トンネルの〝測量図〟を求めて進められていた。当時引かれた測量図さえ入手できれば、このにわかには信じられぬ地籍抹消の疑惑も一目瞭然、天下に晒されるのだ。このコトの経緯は非常に重要なので、読者はしっかりと記憶せられたい。
NEXCO東日本は、龍ヶ嶽地籍滅失についての回答として、ある図面を提供してきた。(参照②)
この図面は、くだんの龍ヶ嶽トンネルとその隣に掘削された長坂トンネルの〝測量図〟ということで、NEXCO東日本が、鼻息荒く差し出してきたものである。「ホラ、(龍ヶ嶽トンネルの坑口は、〝龍ヶ嶽〟ではなく、〝雨沼〟になっています」、という自信に満ちた言葉と共に(※この国交省との下りについては、本紙前号を参照して戴きたい)。
確かに提供してきた図面には、龍ヶ嶽トンネルが記されているようには見える。その坑口を見ると、そこには雨沼という地名も瞥見できる。
ところが、である。この図面をよく見ると、確かに日本道路公団のものであることは間違いないようだが、〝測量図〟ではなく、〝調査図〟となっている。
専門家にあたると、「測量図と調査図は全く違うものです。NEXCO(東日本)ともあろうところが、調査図を測量図と称して出してきたのですか?」、と却って反問されるような次第なのである。NEXCO東日本は、先ずここで大きなミステイクを犯したが、図面そのものもつぶさに見るとそこには現実とは全く違う記載があるのだ。
それは、〝調査図〟のなかに書かれている地名が、現実とはまったく正反対に位置しているのである。〝耶麻郡西会津町野沢〟が、現実とはまったく正反対のところにあるのだ。
先の専門家は言う。
「呆れてしまいますね。もちろん、ミステイクでは済まない話ですが、これは測量したと称している会社なり人がそもそも現場に行っていないとしか考えられない。これはミスなんかではなく、仕事をやっていないということですよ」。
いよいよこの提供資料が、ぐらつき倒れる寸前まできたところで、その内部告発は飛び出してきた。
この資料には図面名と測量者名が明記されている。それらは、管理用図面と株式会社アジア共同設計コンサルタントとなっている。
つまり、前述の内部告発を裏付ける資料は、この測量者に帰属するものなのである。加えていうならば、内部告発は、この資料が突然降って湧いたように現出したわけではもちろんなく、勇気ある告発者の厳粛な証言が添えられてのものなのだ。告発者は、NEXCO東日本が自信を持って提供してきた〝調査図〟(※傍点筆者)の測量者であるアジア共同設計コンサルタントの関係者X氏である。
「まずは、ご指摘のように、この図面は調査図であって測量図などではありません。苦肉の策というか、苦し紛れにこんなものを、〝測量図〟として出してきたとしか思えません。
実際のところ、測量図は私たちは持っていません。実は全く別なところにありますが、それにはわけがあるのです…」。
X氏の〝告白〟もとい、〝告発〟は、いよいよもってシリアスになっていく。
「有り体に申し上げましょう。実は、この件、つまり、龍ヶ嶽トンネルに関わる測量ですが、私たちは何もやっていません(!傍点筆者)」。
そういって、X氏は、前述の写しを密かに持ってきたのである。
「ここに、ホラ、金額を示す数字が書かれているでしょう?1,125万4,000、となっていますね。これは、私たちの請負の対価です。つまり事業収益です、もちろん、この業務の、です。言うまでもなく、NEXCO(東日本)、当時の日本道路公団から私たちに支払われたものです、実際このお金は、きちんと支払われました」。
しかし、X氏に拠ればこの業務、つまり測量は実際には、一切行っていない、という。前出の専門家が肯綮に指摘した通りなのである。ここで何が起きているのか?
「要するに、測量図と称している調査図を、私たちが測量したことにしてくれ、という〝お達し〟なんです、NEXCOからの。お金はそのアリバイ作りの協力に対する〝駄賃〟です。どうしてそこまでしなければならなかったのか?それは、(本紙先月号記事のコピーを指し示しながら)この通り、〝事実〟が明るみになったらNEXCOや国交省が困るからでしょう。都合が悪くなったら、地籍さえも消し込んでしまうのですよ、私たちはそのお方棒を担がされたのです…」。
仰天情報である。
この写しの末尾にある人物の名前が記されている。この人物は、測量業務の管理責任者である。この人物に取材を試みたところ、ハッキリと、「その通りです、うち(アジア共同設計コンサルタント)ではこの件で(測量は)行っていません。ただ、〝調査図〟を引いたということのアリバイのために、うちが(業務を)受けた、という証明が必要だったのです。だから、わたしが、(調査図のための)測量をしたということにして、名義だけを貸したのです」、と証言するのである。
いわゆる〝名義貸し〟の問題が、巷間を騒がせたのは、何年前のことだったか?多くの人は記憶に新しいはずだ。
しかしながら、この龍ヶ嶽トンネルをめぐる地籍滅失の件について、実際に少なからずの公金が動いていたのだ。しかもそれは正当に費消されるどころか、〝地籍滅失隠蔽〟のために使われたのである。
「(告発の)動機は、そこにあります。公金が不正に使われた。明白な横領です。私たちは(測量については)何もやっていない。それでもやったように見せかけ、公金が支払われています。私たちから次にパシコンに業務は転じますが、むろんそこにも公金は動いています。パシコンへの業務移転はNEXCOからの指示です。
さらなる問題は、この支払われた公金は、当のNEXCOの個別の人や国交省の同様の人にも環流しています…」。
取材は、目下、この公金環流の先を追究している。
誰の腹も痛まない公金という名の潤沢なる資金―。これは、人知れず誰かの懐を暖めているのである。
ところで、真の〝測量図〟はどこにあるのか?
X氏とは別のアジア共同設計コンサルタントの関係者Z氏が、渋々と答える。
「あれは、今、NEXCO総研というところに〝厳封〟されて眠っています」。
当事者らはあくまで闇に葬るつもりなのだろう。
取材を進めるなかで、突然、国交省の広報担当課から、取材妨害の電話があったり、取材先の測量会社に唐突に地検の捜査が入ったり、焦臭いことが頻々と起きている。この件の闇は深い。
この龍ヶ嶽トンネルの問題は、ついに、その争いの場を法廷(東京地裁)に移した。原告人側の主要メンバーとなっているのは、本稿でも登場している、旭菱である。被告人は、東日本NEXCOである。
原告側の主張は、ズバリ、『トンネルを元に戻しなさい』、というものである。決してこれまでの損害賠償を請求するものではない。しかしながら、この訴訟は重大な意味を持っている。突き詰めていけば、今まで恣意的に隠し通していた〝真実〟、つまり、地籍龍ヶ嶽を掘削したことが明らかになるからである。
現時点ですでに二回の公判が開かれた。来る3月27日には三回目が開かれる。
蓋し見物である。
徳島新聞の阿波踊り「荒稼ぎ」
遠藤市長が記者に「徳島新聞に責任と言わせたいの?」
徳島名物の阿波踊りで徳島新聞が「荒稼ぎ」をしている実態と、背後に徳島市の遠藤良彰市長が見え隠れする問題をこれまで本紙では追及してきた。
ここにきて、新たな展開を見せている。阿波踊りを徳島新聞とともに主催している徳島市観光協会。現在4億3600万円の累積赤字を抱えている。
徳島市は「阿波おどり事業特別会計の累積赤字の解消策等に関する調査団」を設置。「不正会計があった」と指摘。今後の事業継続は「極めて困難」と報告書で結論付けた。
そして徳島市は徳島市観光協会の阿波踊り事業の赤字に対して補償と補助金停止を決定。徳島市観光協会を「清算」する方針を打ち出した。
それを受けて2月13日、借入先の四国銀行は徳島市観光協会に〈通知書〉で4億3600万円の支払いを求めた。
本紙既報のように徳島新聞は関連会社とともに、徳島市観光協会にかわり「阿波おどり会館」と「眉山ロープウェイ」の指定管理者となった。徳島市の遠藤彰良市長と「結託」して阿波踊り事業まで「独占」が目前なのだ。
「週刊現代の報道を皮切りに、日本タイムズなどで徳島新聞の荒稼ぎを報じてもらった。おかげで昨年の阿波踊りは、徳島新聞が勝手にできず支出がおさえられ2600万円の黒字になった」
と徳島市観光協会は猛反発する。
そこで先の報告書を見ると、徳島市観光協会は徳島新聞から
〈その収支についての裏付書類(契約書、請求書等)が保管されていない。観光協会の説明では裏付書類の提出を受けないまま精算(支払い)を行っていた〉
ことを不正と認定している。また、毎年決まった業者への「随意契約」も問題視されている。
「裏付資料を出さないのは徳島新聞ですよ。随意契約の相手、これも徳島新聞の関係先です。徳島新聞を調べてほしい」(前出・徳島市観光協会関係者)
2月13日、徳島市の遠藤市長は定例記者会見で、阿波踊りの赤字問題で、徳島市観光協会の清算手続きの協議を認めた。そして
「阿波踊りをよくしようと観光協会に話し合いを呼びかけたが応じてもらえなかった」
「赤字の原因は観光協会ができる努力やってこられてない」
と説明した。
阿波踊りは徳島市観光協会と徳島新聞が主催である。冒頭に書いた調査は、徳島市観光協会に対してのみのもの。徳島市も徳島市観光協会に人材を送り込み、債務保証をしていた徳島市の責任を聞かれると、遠藤市長は
「赤字がふくれることを黙認していた徳島市にも責任がある」
続けて、同じ主催者の徳島新聞への責任について聞かれると態度が一変。
「会計は観光協会がやっていた。徳島新聞は知らない、役割分担」
「徳島新聞を調査する? 観光協会には地方自治法で調査権限がありますが、徳島新聞にはない」
と徳島新聞の責任を否定する回答が相次ぐ遠藤市長。このまま4億円以上の赤字を徳島市の税金で肩代わりするなら
「徳島新聞も赤字があること知っていて何もしていない。負担を求めるべきでは」
「遠藤市長は、徳島市にも責任があると認めている」
「観光協会ばかりに責任を負わせすぎではないか」
とさらに記者から追及されると、
「徳島新聞に責任があったと私に言わせたい?」
と述べた遠藤市長。
「遠藤市長の記者会見には、ただあきれるばかりです。今年、徳島市観光協会は黒字を出した。それを無視して、税金を使って徳島市観光協会を清算して、手法を変えるという。要は徳島新聞を荒稼ぎさせるためではないのかと批判の声が市役所内でも高まっている」(徳島市議会関係者)
そして、重大な疑惑が浮上しているのだという。徳島市観光協会では、阿波踊りのチケットを点検した時だった。
〈本券はいかなる場合も払い戻しできません〉
と赤いスタンプが押されているものが多数、発見された。
阿波踊りは毎年、8月のお盆に開催される。悪天候で中止になることもあり、払い戻しを受け付けている。
「徳島市観光協会で調べてもこんな赤いスタンプはない。チケットのエージェント、楽天のチケットスターも知らないという。となるとこのチケットは偽造された可能性がある。もしくは、チケットを扱える何者かが勝手に赤いスタンプを押したかです」(徳島市観光協会関係者)
そこで、近く警察に被害届を出し、捜査を求めるという。
こんな状況で今年の阿波踊り、無事、開催できるのだろうか?
今井参院議員との「不倫」・神戸市議会
投票に「暴力団」、地方選候補者にも疑惑浮上
昨年8月、橋本健神戸市議(当時・辞職)が自民党参院議員でタレントの今井絵理子氏と「不倫」騒動を週刊新潮がスクープ。その後、橋本氏は、市政報告のチラシ架空発注し、政務活動費(政活費)
690万円の詐欺容疑で、神戸地検は2月19日に在宅起訴した。
「もう兵庫県の地方議会は、無法地帯です」
と話すのは、兵庫県庁OB。
橋本氏は、印刷業者にメールを送信して、マスコミの追及をかわそうと口裏合わせまでやっていた。
その生々しい文書を、本紙も入手しているが
<印刷は本当に受注されてますか?
「はい」>
<お金は?
「橋本くんが現金をもってきていました」>
<納品は?
「〇〇印刷さんが橋本くんにしていたと思います」>
そこまでして、税金を不正に受け取っていたのだ。
2016年、兵庫県議だった野々村竜太郎氏が架空の出張をでっちあげ、政活費913万円を不正に受け取り、詐欺と虚偽有印公文書作成・同行使罪で有罪になった。
そして、橋本氏が起訴された当日、神戸地裁には3人の元神戸市議がいた。岡島亮介被告、梅田幸広被告、竹重栄二被告。神戸市議会の会派「自民党神戸」(解散)による政活費の不正流用、詐欺に問われその判決公判が行われたのだ。神戸地裁は3人に執行猶予付き有罪判決を言い渡した。この公判で被告たちは
「政活費は第2の給料だと思っていた」
と政治活動に使用しなくてもいいという認識のもとで、飲食代など遊興費、果ては
「住宅ローンの返済にあてた」
とまで明かす被告までいた。
その手口は、業者から白紙の領収書をもらい自分で金額を書き込む、もしくは水増し金額の領収書を発行させるというもの。
「兵庫県は他の都道府県と比較して、地方議員とカネの関係がとてもルーズです」(前出・県庁OB)
先の県庁OBが
「過去のことだが」
と断ってさまざまな税金の不正支出を明かしてくれた。全国の都道府県の地方議員が集まり野球大会が開催された。兵庫県は共産党系議員以外、ほぼ全員が参加した。高齢でとてもプレーなどできない議員もやってきた。その理由はカネだった。
「ヒット1本打つと1万円、ホームランは3万円と現金が出る。その原資は、各会派の政活費などから捻出した裏金。高齢の議員は試合に出ないが、よく応援したということで1万円。夜はこれまた3次会までどんちゃん騒ぎ。そのカネは役所が作った裏金。口やかましい議員をおとなしくさせるためです。他の県の担当者と雑談したら、そんなことやっているんかと、びっくりしていた」(前出・県庁OB)
県庁OBの話はこれにとどまらない。これまで表にはなっていないが、選挙違反容疑のあった市議を裏口から逃走させて、警察の捜査が収まるまで裏金で隠すという「犯人隠避」。それどころか
「兵庫県のある重要な市長選挙では、暴力団に便宜を図るかわりに不在者投票を依頼して、辛勝したこともあります」(前出・県庁OB)
「無法」は当たり前になっていたという。そんな中、兵庫県では近くまた地方選挙があるという。
「P氏という有力な2世議員が出馬する。P氏も印刷の発注先が橋本氏と同じS印刷。橋本氏と同様、架空発注をしていたのではないかと、噂なのです。本当に反省がありません」(前出・県庁OB)